シカゴの夏は蒸し暑く、空気は重かった。
8月の初め、西海岸のオークランドから大陸横断鉄道のアムトラックに乗り、ギリシャ神話のなかの西風神ゼファー(Zephyr)の名を冠した列車で2泊3日をすごしたあと、中西部の都市シカゴのユニオン・ステーションに到着した日は、熱風のせいか景色がゆらいで見えた。
西海岸から中西部への51時間にもおよぶ旅客列車の移動で、足がふらついていたせいかもしれない。
シカゴの街全体がサウナ室のようだった。
西海岸カリフォーニアの乾燥した空気のなかで、6年間、生活してきたあとだったせいか、駅のプラットフォームに降りたった瞬間、体が蒸されていくような感覚がきた。
ワインカントリーのナパで暮らしていたころ、初めて摂氏40度の暑さを経験したけれども、これほど肌に貼りついてくるような暑さを感じなかったのは、空気が乾燥していたためだったのだろう。
片道4車線の湖岸ハイウェイは美しかった。
なめらかなカーヴにそって高層ビルが林立していて、パキスタン人が運転するタクシーで、うれしそうに話しかける彼のカタコト英語にうなずきながら、サウスサイドにあるハイドパークへと向かった。
TVドラマやハリウッド映画を通して、なんども見たことのある景色そのままなので、現実感はなかったが、ふしぎなほどの既視感(きしかん)はあった。
到着したホテルの目の前にはミシガン湖がひろがっていた。
事前にそれが五大湖のひとつなのだと知っていなければ、太平洋だと言われても大西洋だと言われても信じるしかないような広大な景観だった。
学生街のはずれにあるホテルは、低層の建物で、ヒルトンホテルとは思えないほどにカジュアルで、わたしの予約したのは一泊わずか90ドルの部屋だった。
廊下ですれちがった黒人の中年の女性ベッドメイクが「今日のこの暑さはね、ミシガン湖が湿った空気を運んでくるからよ」と教えてくれた。
長旅で疲労がたまっていたのか、夕食を終えるとすぐに眠くなり、気がついたときにはふたりでベッドに横になっていた。
けれども、それから2時間もしないうちに、パンパンと言う乾いた音に目をあいた。
緒斗(おと)も同じように上半身を起こしていた。
夜の8時ころだった。まだ〈初夜〉と呼べる時間帯だった。
「なんの音?」
「銃声だね。38口径くらいの拳銃だと思うよ」と緒斗はぼんやりした声でつぶやいた。
「ギャング同士の撃ちあい?」
「さあね」
「だってアル・カポネのシカゴだものね」
「まあね」
そんなことを話していると、ふたたび銃声が聞こえた。
パパパッというような乾いた破裂音で、バークレーに住んでいたころ、深夜、ポリスカーのサイレンがとまったあたりから聞こえてきた音にそっくりだった。
けれどもあいかわらずホテルは寝静まっていた。不思議に思って身を起こし、部屋の扉をほんの少しあけて廊下を覗き見たが、あいかわらず人の気配はなかった。
銃声が聞こえたくらいで騒ぐような人たちはいないのかもしれない。
しばらく耳をすましていたけれど、パトカーがやってくる気配すらなかった。
誰も通報しなかったのにちがいない。
眠れなくなってしまったので、ふたりでぼんやりテレビを見ていると、今度は、バリバリバリという爆裂音が窓ガラスをふるわせた。
今までに聞いたことのない、まるでこの街全体をまっぷたつに引き裂くような音だった。
雷鳴だった。
カーテンをあけると、ミシガン湖の真上あたりの、重くたれこめた暗い雲の内部を、不気味な閃光が照らしあげていた。
しばらくして、こんどは、空全体が、パッと青白く光った。
ひと呼吸おいて、ふたたび、バリバリバリという、背骨から腰のあたりまでをもふるわせるような、とてつもない雷鳴がした。
TVのニュース番組をつけると〈サンダーストーム〉ということばが耳に飛びこんできた。
それはしだいに遠のいていくかにおもえたが、ふたたび空は異様な閃光に明らみ、轟音(ごうおん)がとどろいて、ふいにひっそりと静まり返ったかとおもったら、雲の内臓がパッと銀色に照らされ、そんな雷鳴が2時間くらい断続的につづいた。
シカゴに住む限りは銃声にも雷鳴にも慣れなくてはいけないのだろう。
それがこの街に到着して初めての夜に与えられた教訓だった。
1986年 夏 / シカゴ
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