ケヴィンの父親は画家だったが、中国の文化大革命の際に吊し上げにされ、石切場での重労働をさせられたあと、ウイグルの強制収容所で死んだらしい。
「ぼくのオヤジは革命政府による犠牲者のひとりなんだ。労働者階級の出身ではなくて中産階級の坊ちゃんに生まれたのが罪だったんだ」
ケヴィンは彼独特の羞じらいのまじった笑みを浮かべてそう語った。
もともと父親はパリに留学していて、そこで知り合った中国人の女性と結婚したのだが、ホームシックになった彼女がどうしても北京に帰りたいと言い出し、そんな妻の切望に負けた彼は、けっきょく学業をあきらめ、二人でともに帰国し、まもなくケヴィンが生まれた。
ところがケヴィンが4歳の誕生日をむかえたときに父親が紅衛兵(こうえいへい)に連行されてしまったらしい。
母親のほうは、逮捕されるまぎわに運良くフランス人記者に救われ、まだ幼子(おさなご)だったケヴィンを抱いて命からがら香港へ逃げた。
そんな家族の話をはじめて語ってくれたのは、シカゴ大学で聴講生をしていたときに知り合って、ほとんど一年が過ぎようとしていた頃だった。
それまでに緒斗とわたしが暮らしている学生寮シェルバーンにはなんどか遊びにきたことがある。
部屋は5階にあり、20畳ほどのスタジオだったが、本棚のとなりの白壁には『不思議の国のアリス』に出てくるような扉があった。
とはいっても、じっさいにそこから別の場所へ行けるわけではなく、わたしがヴィニール製の粘着テープを貼りつけてつくった、たんに扉に見える絵みたいなもので、高さ50センチ幅20センチほどのものだった。
ノブの代わりに、たしか、引き出し用の木製『つまみ』を貼りつけていたとおもう。
彼は部屋に足を踏みいれるなり、まっさきにそのニセの扉に気がついてしゃがみこんだ。
「この壁の扉はどこに通じてるの?」
「異世界」
すると彼は穏やかな微笑をうかべたままふりかえり、やわらかい声色で笑った。
「やっぱりそうだと思ってたよ。それにしても向こう側はどんな異世界なんだろう」
部屋に招いたひとのなかで、そんなふうにわたしの遊びにつきあってくれたのは彼が最初で最後だった。
ケヴィンは社会人類学を専攻している大学院生で、コーネル大学で学士号を取得したあとにこちらへ入学したのだという。
「もしもオフクロが『北京に帰りたい』なんて言い出さなかったら、あのままパリに住んでただろうし、オヤジは死ななくてもよかったんだ。あんな目に遭わなくて済んだんだ。ああいう女と結婚したのがまちがいだったんだと思う」
「でも、そうでなかったら、あなたは生まれてこなかったかもしれないし」
「いや、生まれてこなかったほうが良かったと思うよ。それに僕は母親似じゃないしね。ぜんぜんイケメンじゃないだろ?」
「え? イケメンって、たとえば、どんな顔した人を言うの?」
「古いところだとアラン・ドロンとかロバート・レッドフォードとか? いまだとケヴィン・コスナーとかリチャード・ギアみたいな感じ?」
「わたし、アル・パチーノとロバート・デ・ニーロが好き。ジェフ・ブリッジスも好き」
「となると、昔はたぶんジャン・ポール・ベルモンド派だったってこと?」
「14、5歳のころは彼にハマってた」
「あ~あ、もしもオフクロ似だったら、僕も中国のアラン・ドロンになれたかもしれないけどな」
「だったらお父さん似ってこと?」
「わからない。オヤジと別れたのは、ずいぶん幼いころだったし」
「写真を見たことはないの?」
「オフクロはオヤジの写真を1枚も持ってないんだ。そういえば父方の祖父に似てると言ってたな」
ケヴィンはすらりとした体つきで背が高かった。
おそらく180センチ以上はあったのではないだろうか。
黒縁の丸眼鏡をかけていて、1980年代当時に知性人を気取っていたひとたちの制服ともいえる、かなり小ぶりな襟にモノトーンの衣服を身につけていた。
物腰はやわらかく、寛大で、とつぜん背後から声をかけても驚いたようすを見せずに穏やかな微笑を返してくるため、この世には「焦る」ということばがあるのだという事実を知らないまま生まれてきた人なのにちがいないと思っていた。
その場の空気を乱す事もなく、影が薄いようでいて濃く、濃いようでいて薄いという不思議な存在感の持ち主で、ひとことでいえば、わたしの頭のなかにある『仙人』のような雰囲気につつまれていたといえばいいのだろうか。
「彼女は香港に逃げたあと半年も経たないうちに別の男性と再婚したんだ。オフクロって女はね、ようするに、同情を引くのがうまいんだよ。彼女が身の上話をはじめたら、それを聞かされた人たちのほとんど全員が目に涙をためはじめるのさ。その見事な才能で、けっきょく英国人の金持ちと結婚できたんだ。そのおかげで僕もこうやって親の脛(すね)をかじりながら海外留学してるわけだから偉そうなことは言えないけれどね」
「ね、ケヴィン、その義理のお父さんとは上手くいってるの?」
「どうなんだろう。わかんないよ」
「え? 自分のことなのに?」
「物心ついたころから泣いたという記憶がないんだ。たぶんそのせいだな」
「え?」
「たしか香港に逃げるときだったか、オフクロに手を貸してくれたフランス人ジャーナリストから『坊や、男の子はね、泣いちゃいけないんだよ。泣かないものなんだ』て言われたのが頭に食い込んだのかもしれない。とにかく僕が泣かなければオフクロとこの窮地を乗り切れるみたいに幼いながら感じてたのかもしれない」
「かわいそうなオマセさんだったんだね」
「だから怪我をしても、白人の子供にぶたれても、オフクロに叱られても、ぜったいに泣かなかった。ていうか、泣けなくなったんだとおもう。いつのころからだったか、泣きたくなったら、無意識に微笑んでいることが多くなったかもしれない」
「悲しい性癖を身につけちゃったわけね」
「でも微笑んでみると、じっさいに悲しみや痛みが消えていくのがわかったよ。自分の存在すらもが薄くなっていって消えてしまうような感じでね」
「自分自身を無にしたかったのかもしれないわね」
「そうか、僕は自分を無にしたかったのか…。いいね、それ」
他人事のような彼の物言いにわたしは笑ってしまった。
「とにかくそういうことだったんだ。だから義理のオヤジにとっては、僕なんていてもいなくても同じだったんじゃないかな。たとえ4、5日姿が見えなくても気にならないような子供だったのにちがいない。そういえば、彼がそばにくると、いつもいい匂いがした。きっと高級なオーデコロンを使ってたんだろうね。スーツにもうるさかったみたいだし。思い出すのはそれくらいかな。とは言っても、向こうは、僕が眼鏡をかけてたかどうかすら思い出せないかもしれない」
そして彼は羞じらいのまじった笑みをうかべた。
「親からすると、とても便利な子供だったのね」とわたし。
「おかげで嫌われることもなかったよ。そんな僕に比べると母親はほんとうに泣くことが多かった。ちびちびとスコッチウイスキーを飲みながら涙で頬を光らせてるんだ。いつもロイヤルハウスホールドっていう銘柄のを飲んでたよ。半分、アル中みたいなものだったからね。とにかく、子供の僕にはなぜそんなにしょっちゅう泣く理由があるのか不思議だったけれど、とにかく彼女の泣き顔は絶品だった。それだけはたしかさ。ほんとうに美人だった。その絶品の泣き顔をYokoにも見せてあげたかったくらいだよ」
「おかあさまの写真はないの?」
「僕が持ってるわけないだろ? 持っていたいとも思わないし」
「残念だわ」
「で、彼女、このところ、ほとんど毎日、香港から国際電話をかけてくるんだ。で、こっちは、ほとんど毎日、甘ったるいすすり泣きを聞かされてる。カネがあるってのも、けっこうやっかいだね」
もしかしたら彼はなにかの理由で精神的に苦しんでいたのかもしれなかった。そもそも彼が今まで自分のことを語ることはほとんどなかったのに、語り口は静かだったけれど、その日は饒舌(じょうぜつ)だった。
彼の大学寮のアパートの部屋の壁3面は天井までぎっしりと本で埋まっていた。また、16畳くらいのハードウッドフロアには平積みにされた本の山がいたるところにあり、流行中のJapanese Futonが敷かれているだけで椅子がないので、すわるためのスペースを見つけるのがむつかしかった。
キッチンには必要最小限のものしかなかったが、ガスコンロの上には大きな鍋がおかれてあり、その鍋にはカレーが作ってあった。
日々、カレーで命をつないでいると言った。
そんな彼の作ったカレーはさらりとしていたが、タイレストランで食べるココナッツミルクの芳香があるものとはちがっていた。また、こってりした厚みのある舌触りで甘みの強い日本独特のカレー味でもなく、シカゴのインド料理店で当時人気のあったマサラカレーほどさまざまなスパイスが使われているとも感じられなかったけれど、とにかくおいしかった。
食べ始めからおいしくて、おしまいのひとすくいまでもがおいしかった。
絶品なのだ。
わたしは毎日食べたいくらいだった。
彼は10ヶ月ほどインドを放浪したことがあったらしいが、そのとき友人になった男性からスパイスの組み合わせを教えてもらったのだと言った。
わたしがカレーの味にうっとりして、おかわりをねだったときも、フライパンでチャパティと呼ばれる円いパンを焼きつつ彼はさらに話を続けた。
「オフクロが泣きながら電話をかけてくるのにはワケがあってね。じつは義理のオヤジに愛人がいたらしくてさ。それも最近になってわかったんだけど、その愛人とのあいだに男の子がいたらしいんだ。その子がもう10歳になってるんだって」
「そんなに前から浮気をしてたってこと?」
「そうなんだよ。にもかかわらず、オフクロのやつ、そんな愛人がいたことにも気がつかなかったらしいんだよね。いきなり男の子がいると知らされて、しかもその子を後継ぎにしたいと言われたらしくて」
「え? 本人から?」
「うん、そうらしいんだよ。で、そうなると、自分の妻としての立場が危なくなるんじゃないかって、もう、パニック状態でさ。とは言っても、オフクロの場合は、もともと愛なんてないわけだし。そもそも、あのひとにとって、結婚なんてのは職探しみたいなもんだから。それに彼女は自分だけにしか関心のない女だからね。そのせいで、長いあいだ、すぐそばにいる夫の変化にすら気づかなかったんだとおもう。もしくは義父はそれ以上にずる賢い男だったのかもしれないけど」
「ケヴィンには悪いけど、まるでテレビドラマを見てるみたい。このカレーを食べながらだといっそう楽しさが増してくる感じ」
「ところでね、彼女は僕が悪いっていうんだよ。こうなったのもすべて僕のせいだってね」
「ぜんぜん意味がわからない」
「僕が香港を離れたせいだとか、義理のオヤジにたいして息子っぽいことをしてこなかったせいだとか、わけもわからないことを言い出す始末だし」
「わたしもわけがわからない」
「だから提案してやったんだよ。浮気してたのは向こうなんだから、離婚して、たっぷりと慰謝料をしぼり取ったらいいじゃないかってね」
「ケヴィンってけっこうすごいのね」
「そうしたらなんて言ったと思う? 『彼を愛しているわたしの気持ちがわからないの? わたしの気持ちを理解してないような息子には、もう仕送りはしませんから』だってさ。で、昨夜は、そこでいきなり電話を切られてしまったんだ」
「でもケヴィンには奨学金があるでしょ?」
「生活費だよ、Yoko。生活費がすくなくなったら本が買えなくなるってことだよ。それがいちばんの大問題さ」
「ほんとね」
「あ~あ、人類学なんかやってても、将来は高校教師になれるどころか、おそらくマクドナルドの店員にもなれないかもしれないし。友だちにハーバードで社会学をやってたやつがいたんだけど、卒業後はマクドナルドのマネジャーをめざすよ、って真顔で言ってたもんなぁ。あ~あ、どうしたらいいんだろう」
それから一週間後、彼は電話をかけてきた。
彼の母親が自殺未遂をして入院したらしく、その見舞いに香港へ戻るつもりだ、とのことだった。
すぐにシカゴにもどってくるから、そのときはまたYokoたちの部屋へ立ち寄るよ、と言った。
「義理のオヤジによると、狂言ではなかったらしい。バーボンといっしょに、かなり大量の睡眠薬を飲んだらしくて、発見されるのがおそかったらマジにあの世行きだったんだって。ただ、どうしても理解できないのは、なぜ、オフクロはウイスキーではなくバーボンを飲んでたかってことだよ。オヤジはウイスキーしか飲まなかったし、ふたりともケンタッキーとはなんの関係もないのに、そこんところが、どうしても納得できないんだ。おまけにバーボンの銘柄すらわからないし」
そんな彼が香港へたってから数日もしないうちに北京では天安門事件が起き、ケヴィンがもどってきたのは、たしか、9月になってからだった。
シカゴ大学の学生たちはその話題でもちきりだったが、彼は天安門事件のことで意見をもとめられても、ただ羞じらいがちに微笑むだけだった。
1989年 夏の終わり / シカゴ
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