「緊急事態! 緊急事態! イマージェンシー! イマージェンシー!」
色褪せた金髪の髪を振り乱し、痩せた中年の女性が緒斗とわたしに駆けよってきた。
バークレー市の丘から湾岸にかけて縦に走っている通りを歩いているときで、わたしたちが泊まる予定のモーテルはすぐ目の前にあった。
大学通り(University Avenue)と名づけられた片道2車線の大通りで、とつぜん「緊急事態!」という大声を耳にしたのにはおどろかされたけれど、見知らぬ女性がいきなり目の前に迫ってきたことで、わたしはさらにびっくりして、のけぞるように身をこわばらせてしまった。
「助けてちょうだい。わたし、お財布を落としてしまって。急いでサンフランシスコにもどらなくちゃいけない用事があるのに、地下鉄に乗れないのよ。本当に困ってるの。ほんの10ドルでいいから、貸してもらえない? いますぐにでも地下鉄BART(バート)の運賃が必要なの。絶対に返すから、お願い。わたしが住んでるアパートの住所と電話番号も教えるから」
わたしたちは顔を見合わせた。
「それは大変ですね」と緒斗は心のこもった、しかし冷静な声色で言った。
「そうなの、ほんとうに大変なことになってしまったのよ。すぐにサンフランシスコにもどらなくちゃいけないのに。ほんの10ドルでいいから貸してもらえないかしら? お願いだから」
「ええ、まぁ、お気持ちはわかりますけど、ぼくたち、じつは、お金に余裕がないんです。あなたに貸せるほどのお金は持ち合わせてなくて」
彼のそのことばでわたしはたちまち落ちつきをとりもどしていた。
「だったら、ほんの5ドルでもいいから、たすけてちょうだい」
「ちょっとうしろの交差点を見てください。ポリスカーが、いま、ちょうどあそこの信号で停まったところだから、彼らに頼んでみるのがいちばんだとおもいます」
緒斗のアドバイスにわたしが言いそえた。
「もしくはバートの駅で、駅員さんに頼んだ方がいいかもしれません」
すると、その色褪せた金髪の中年女性は、憎々しげな表情で言った。
「貧乏な中国人には、もう、頼まないわよ」
「あのぅ、わたしたち、貧乏な日本人なんですけど」
わたしがそう言うと、彼女はいらだったように舌打ちをして、急ぎ足で去った。
緒斗がナパカレッジからカリフォルニア大学バークレー校へ編入することになったため、アパートを探すためにナパからバークレーに2年ぶりにもどってきた初日のできごとだった。
中古の1974年型フォードLTDを売ったあとだったので、ナパから高速バスに乗ってオークランド経由でバークレーまで来なければいけなかった。
そして、この大学通りにある2階建てのモーテルには3日間の宿泊予定をたてていて、明日はさっそく大学のハウジングオフィスを訪ねて物件をさがすつもりだった。
わたしたちの部屋はモーテルの1階にあった。
ふたりとも疲れていたのにちがいない、昼寝をして目が覚めたときには、とっぷりと日が暮れていた。
窓をあけて夜空をあおぐと、旅客機の衝突防止灯が、まばたきをしているかのようにチカッチカッと点滅しながら、深いカリフォルニアの青空をゆっくりと横切っていくのが見えた。
ふたりでシャワーを浴び、愛用のジーンズをはき、洗いたてのTシャツに首を通して、食事に出かけようと扉をあけた時だった。
目の前にロングヘアーの若い女性が立っていたのだ。
スペイン系のような顔立ちの女性で、ボディラインがはっきりとわかるミニドレスに身をつつみ、そこから伸び出た長い脚には張りがあった。
「ハーイ!」
彼女はずばぬけて明るい笑顔をむけた。
その予期せぬ訪問者に、わたしたちは眉をひそめ、夢を見ているかのように顔を見あわせた。
彼女はにっこりと微笑んで言った。
「あら、スリーサムだったの? 3Pだと、ちょっと値段が張るわよ」
「はぁ? あのぅ、ぼくたちに何か用ですか?」
「だって電話をくれたでしょ?」と彼女は怪訝そうな表情をした。
緒斗とわたしはふたたび顔を見あわせた。
「どこにも電話してないですけど」
「あなた、トムさんじゃないの?」
「ちょっと待ってくださいよ。この顔が、トムって顔に見えます?」
「ほんとはジミーだったりして」と彼女は笑った。
緒斗はあわてたようすで首を横にふった。
彼女は1歩あとずさり、まわりを見まわし、大きなネオンの看板に視線を投げた。
「フラミンゴ・モーテルよね、ココ。まちがいないわよね」
「ええ。たしかにフラミンゴ・モーテルですけど…でも何かのまちがいだと思いますよ」
「どういうことかぜんぜんわかんないんだけど」
「わたしも」とわたしは苦笑を返した。
「ぼくたち学生だし、あなたと遊べるような、そんなお金の余裕なんて、ないですし」
すると彼女は不思議そうに首をひねったあと、眉をひそめて「ファック。また、あいつがモーテルの名前を聞きちがえたのにちがいないわ」とつぶやき、肩をすくめて「ね、安くしておくから3Pしない? わたし、いちどは東洋系の女性とやってみたかったのよ。あなたは、見てるだけでいいし」と言った。
「ま、そのうち、いつか」と緒斗が弱々しい笑みを返すと、彼女はあきらめたように口をゆがめ、長い脚にはいたハイヒールのきびすを返して駐車場を横切り、大学通りを曲がって見えなくなった。
「きっとエスコートサービスの女の子だったのね。無駄足をふんでかわいそう」
「大学通りはモーテルばかりだから、大変だろうね」
「けっこう可愛い子だったとおもわない? 冒険したくなったでしょ?」
「うん。まあね」
緒斗はまんざらでもない顔をしてこたえた。
そのあと、わたしたちはモーテルの近くの安い中華料理店へ入った。そして、かなり辛い(ホットな)四川風坦々麺を食べつつ、予期しなかった来訪者の印象を語りあった。エスコートサービスの相場と仕事内容を想像することで、アパート探しの不安と猫のサティをナパに残してきたことへの不安を消そうとしていたのにちがいなかった。
もしものことを予想して一週間分の餌と水をアパートの各所に置いてきたのだが、置いてきぼりにされることを察していたのか、サティは鳴き止まず、つらい思いをしたことをおぼえている。
翌朝、わたしたちは大学が所有しているハウジングオフィスをたずねた。
物件のリストを見せてもらったのだが、大学周辺だと、わたしたちの予算に見合ったアパートは少なかった。
ようやくアパートの内部見学の予約がとれたところはメインストリートから数ブロック南へ、つまり湾岸に近いほうへ下ったところだった。
フラミンゴ・モーテルからは歩いて20分くらいの距離だけれども、未知の場所だったし、大学キャンパスのある丘(バークレー・ヒル)からはさらに遠くなるはずだ。
じっさいに足をはこんでみると、地図で見ただけでは想像できないような雰囲気につつまれた住宅街だった。
人気がなく、家々の前庭には雑草がはびこっていて、窓をおおったカーテンのすきまから、わたしたちよそ者をじっと観察しているかのような視線を感じとったので、それとなく見つめ返すと、カーテンはすばやく閉じられた。
目当ての低層アパートのマネジャーは中年の白人女性でフレンドリーだったが、案内された部屋の床はところどころハードウッドが沈んでいて、しかもトイレの扉は閉まらなかった。
はじめからトイレの扉が開けたままになっていたのは、おそらく鍵がこわれているせいだろうと思った。
そのことについて話をしたのだけれども、不具合を修復してくれそうにもなかったので、私たちはてきとうに口をにごしてそのアパートをあとにした。
もうひとつの物件は、そこからあまり離れてはいなかったが、東南アジア系のマネジャーがいた。
彼はドーベルマンを2頭飼っているだけではなく、面と向かって猫嫌いだと明言したので、即座に退散し、かなり落ちこんだ気分でモーテルにもどってきたのをおぼえている。
夜半に隣の部屋から女性の甲高い喘ぎ声と、男性の唸るような声が聞こえてきて目が覚めた。
じきに彼らの声はおさまったが、わたしはなんとなく不安な気持ちになり、朝まで眠れなかった。
近くのレストランで朝食をとりながら緒斗は「昨夜は動物園のライオンの檻のなかに閉じこめられた夢を見たよ」と苦笑していた。
更新されて間もない物件リストを見るために、朝早いうちからハウジングオフィスへ行き、アドレスを書き写しておいて、管理している不動産業者には予約をいれないまま、まずは、みずからの足でアパート周辺を下見することにした。
それから3日のあいだ、大学のキャンパスから徒歩30分までの距離にあるアパートをあたったが、絶望感は増すばかりだった。
廃墟と化した低層アパートの窓ガラスは割れているところもあった。
また、日が暮れたあとは、みずから戒厳令を敷いたほうがいいような場所もあった。
4日目は、地下鉄バートに乗り、隣街のオークランドにまで足を伸ばした。
ひと昔前までは白人の居住地区だったところらしい。
街の中心部には美しい人工湖があった。
けれども、昔の面影はすでになく、坂道に並んだ店々の窓や扉は鉄格子でおおわれていて、「拳銃なしで出歩くのには向いてない場所だよね」と緒斗は言うのだった。
「そんなものを持ってたほうが、よけいに危険だとおもう」
その夜、モーテルの受付に滞在延長を申し入れに行くと、デスクにいた白人男性が「バークレーの無料新聞には、けっこう色々な物件が掲載されてるから試してみれば?」と、思ってもいなかったアドバイスをくれたのだった。
キャンパス前の坂道にならんだ書店の店先につみかさねられていたフリーペーパー『The Berkeley Gazette』(ザ・バークレー・ガゼット)には「ルームメイト募集」の欄があった。
カップルもオーケーということばが目に入って胸が熱くなったのをおぼえている。
治安の良いキャンパスのノースサイドにもいくつか物件があった。
電話をかけてみると、どの物件もプライベートルームは家具付きとのことだったが、キッチンとダイニングとバスルームは共同だと言われた。
案内されたところはダブルベッドの置かれた広い屋根裏部屋だったり、階段がきしんだ音を立てる幽霊屋敷のような雰囲気のヴィクトリア朝建築のアパートメントだったりした。
また、いたるところに観葉植物のおかれている家をたずねたときは、神経質そうなスレンダーな女性が姿をあらわして、キッチンはみんなで使う場所だからという理由で冷蔵庫に入れて欲しくない食材の数々を説明しはじめた。その女性は赤毛のロングヘアーで、まるで6、70年代のフラワーチルドレンの生き残りといった雰囲気の女性だった。
家主の妹ということだったが、ナイフやフォークのおきかたひとつにもこだわりのある、その神経質そうな目つきに気づいて、同じ屋根の下には住みたくないタイプの女性だとおもった。
とにかく、何日間も歩き回ったせいで、わたしたちはふたりとも疲れきっていた。
それはちょうど歩道をこするような足運びでフラミンゴ・モーテルへもどる途中のことだった。
すでに午後5時をまわっていたと思う。
マクドナルドのある角を曲がって、いつものように大学通りをくだっていくと、とつぜん窓に描かれた『REALTOR』という文字が目に入ってきたのだった。
ほんとうに小さな店構えの不動産屋だった。
何日もその店の前を通っていたのに気づかなかったのが不思議だった。
なんの収穫もなく明日はナパへもどらなければいけないと落胆していたところだったので、藁(わら)をもつかむ思いでその小さな不動産屋の扉をあけた。
すると70歳くらいの白人の老婦人が、たったひとり、事務所の真ん中におかれた大きなデスクに座っていた。
ここの経営者らしかった。
事情を説明すると、1週間後に空くという大学に近いアパートをすぐさま見つけてくれた。
家賃は予算よりもほんのわずか高めだったが、夢をみているとしか思えなかった。
しかも彼女は「まだ住んでいる人がいるから外観だけでも見せてあげるわね」とそのアパートまで旧型の大きなビュイックを運転して案内してくれたのだ。
わたしたちはそのアール・デコ調のアパートを誰にも譲りたくなかったので、事務所へもどるなり、その場で契約をすませた。
その夜は、上半身をベッドのヘッドボードにあずけ、ふたりでぼんやりとTVを見つめながら、テイクアウトの中華料理を食べた。
すぐに眠くなった。
けれども、夜半をすぎたころ、ふたたび隣の部屋から女性の喘ぎ声と男性の唸り声が聞こえてきて目が覚めた。
ベッドの軋む音もすごかった。
ときにはヘッドボードが壁にあたる音まで聞こえてきた。
女性の喘ぎ声は日替わりで変わったが、男性の唸り声は相変わらず同じ声だったので、隣の宿泊客は、毎夜、エスコートサービスの女の子を呼んでいたのかもしれない。
翌朝、ナパへもどる準備を終え、モーテルをチェックアウトして、バス停へ向かうために大学通りのゆるやかな坂道をくだっていると、白人の痩せた中年女性が、深刻な表情で、足早に近づいてきた。
「イマージェンシー! イマージェンシー! 緊急事態! 緊急事態!」
一週間前に遭遇した女性だった。
1983年 8月 / バークレー
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