バークレーという街には知る人ぞ知るニックネームがあります。
別名「へんてこ村」(Bizarkeley)と呼ばれていました。
ビザークレーと発音します。
奇妙な、とか、不思議な、とか、風変わりな、という意味をもつ「bizarre」(ビザー)ということばから生まれたあだ名です。
カリフォルニア州そのものが米国のメインストリームからはずれた文化圏だとみなされているのに、バークレーともなると、ほとんど宇宙人たちが住んでいる街としかおもわれていなかったのかもしれません。
ところが、おもしろいことに、他の州からおとずれた人たちだけではなくて、当のバークレー市で暮らしている一般市民やバークレー校の学生たちもがこぞって「へんてこ村」と呼びならわしていたのです。
しかも自慢げに。
彼らはにこやかに近づいてきて「世界でもまれに見るへんてこ村(ビザークレー)へようこそ。ここでの体験はあなたの一生の思い出になるでしょう」と語りかけてきました。
「将来、どこか別の土地で人生のつらさを味わうことがあったとしても、このバークレーでいちどでも暮らしたことがあれば、ここでの思い出はかならずあなたに微笑みを取りもどしてくれるはずです」と。
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ワールド・ワイド・ウェブもスマートフォンもSNSもなかった時代、奇人や変人たちがたくさんいました。
なにを見ても驚いてはいけません。
彼らはこの街ではみなセレブでした。
サンドイッチマンのように店舗の宣伝をしているわけでもないのに熊のぬいぐるみを着て歩いている人がいました。
ローラーブレードをはいたハイレグ・レオタード姿のグラマラスな金髪女性があなたの肩先を突風のようにかすめていったかもしれません。
有名なバークレーの『スケート・レディ』(The Skate Lady)です。
おどろいたとたん、彼女はくるりと身をひるがえし、ちらりとあなたに流し目を送ったあと、まるでプロのアイススケーターのように、こちらに顔を向けたまま、ひざとひじをプロテクトしただけの半裸に近いかっこうで、まるで自分の背後が見えているかのように器用に通行人をよけながら走り去っていったでしょう。
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テレグラフからほんのすこし裏通りに入るとおしっこの臭いがするかもしれません。
コンクリートや建物の壁にまでその臭いが染みついていることがありました。
でも気にしてはいけません。
1980年代に米国で大人気だったゴールデンレトリバーやシベリアンハスキー犬と同じように「ヒト」も縄張りを主張したからです。
その代表的なのがホームレスの人たちでした。
空き缶をひざのそばにおいて(ほとんどの方たちは帽子をもっていませんでした)通りすぎようとしたあなたに声をかけてくるかもしれません。
「25セント(クォーター)ほど分けてもらえないかな」と。
そのときは、あなたの気分とあなたのお財布のふくらみ具合に相談しましょう。
そして、お金をわたすときは、空き缶にではなく、その人の手のひらに、じかに硬貨をおくようにしましょう。
もちろん、そのまま立ち去ってはいけません。
「幸せってなんだかわからないんです。ご存知ですか?」などと哲学的な質問を投げかけてみるのが礼儀です。
会話をすることのほうが5ドル紙幣よりも価値がある場合だってありますから。
「そうだね。幸せって何か。夜がくるたびにいっぱいにふくらむ胃袋と、朝にはからっぽになる下腹。これこそが人生の幸せだよ」
ちなみに、これは、わたしがじっさいに耳にしたことのあることばです。
お礼を述べて帰ったあと、すぐにノートに書きとめておきました。
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海外から来たばかりの留学生や他の州からおとずれた旅行者はすぐに見つけられてしまいます。
おそらく今でもそうでしょう。
この街のすみずみまにまで浸透しているゆったりくつろいだ雰囲気というか、つまり、あの独特の「レイドバック」(laid-back)な雰囲気を身につけていないからです。
すこしでも緊張した気配を放っていると新顔(newcomer)であることがわかってしまいます。
こまかなスケジュールに従って時間を追いかけている人たちは特に浮いてしまいます。
たとえ明日が入学初日であっても、または、中間試験が迫っていたとしても、あるいは卒論を提出しなければいけない日であっても、けっしてそそくさと歩いてはいけません。
心のなかではあせっていても、それを態度に出してはいけないのです。
「Hi」とあいさつを交わすときでも、あわただしく「ハァイ」と手をあげて通りすぎるのではなくて、よゆうのある笑顔で「ハァ~イ」と手をふるくらいでなくてはいけません。
でも、いま述べたようなことができなくても、心配はいりません。
これらは守らなければいけない規則ではありませんし、この街で暮らしはじめたら、特にそういうことを意識していなくても、あなたはじきにバークレー族(Berkeleyan:バーカリヤン)になってしまうでしょうから。
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夏のあいだ、日が昇るのは午前6時ころで、日没は夜の8時半ころです。
カリフォルニアの空がうっすらとピンク色に染まりはじめるのは午後7時をすぎてからでした。
そのあいだ、大学の正門前からつづくテレグラフ通りでは、観光地でのカーニヴァルのようなにぎわいがつづき、日が落ちたあとはさまざまな場所でパーティタイムがはじまりました。
カリフォルニアの太陽はいつも青空のなかを沈んでいきます。
「Sunset in the Blue」(青空のなかの夕日)といった感じに…。
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映画館の前で、土曜の深夜の2本立てを楽しむために列にならんでいるときには、たいていどこからともなくZigZagペーパーに巻かれたジョイント(マリファナ)がまわってきました。
生のバジルのような芳香(ほうこう)がドライな夜風とともにからまりついてきます。
吸い口に唇をつけることなく3本の指で逆さまにつまんで吸いこむ方法をまわりにいた人たちがていねいに教えてくれました。
学生のころハイライトを吸っていたことはありますけれど、さすがにマリファナと呼ばれるものは吸ったことがなく、そんなものがあることすら知らなかったので、けむりを胸にためこむということがわからなくて最初はずいぶん咳きこみました。
吸ったあとは列のすぐうしろで待っている人にそれを手わたすのがマナーでした。
ジョイントが短くなってくると誰かがステンレス製の小さなクリップのようなものを取り出して「これを使ったらいいよ」と吸い口をはさんでくれました。
その列のすぐそばをバークレー市のポリスマンがゆったりした歩調で「さぁさぁみんな、通行人の邪魔にならないように壁に沿ってならびなさい」と言いながらジョイントを吸っている青年と世間話をして通りすぎていきます。
まだマリファナがカリフォルニア州によって合法化(嗜好用は2016年から)されてもいない時代でした。
わたしはみんなといっしょに逮捕されるのではないかと気が気ではありませんでしたのでポリスマンの態度にすこし拍子抜けしてしまいました。
バークレーはやはり「へんてこ村」(ビザークレー)なのです、きっと。
映画館のなかもマリファナの香りにあふれていました。
従業員の女の子が通路をまわりながら「みんな火には気をつけてね~」と注意をうながしていました。
ハイになった頭でスタンリー・キューブリックの『2001年宇宙の旅』を観ていると、そのまま宇宙空間を漂っているような気分になって、古びたオペラハウスのように天井の高い映画館のなかで、みんなといっしょに、まるでローラーコースターに乗っているかのように両手をあげ、となりの女性や男性と手をつないだまま、ゆっくりと体を左右にゆらしたりしていました。
映画の終盤にさしかかって、いよいよあのサイケデリックな「Star Gate」(スターゲート)の映像がはじまると、そのオーガズミックな疾走感に鳥肌がたち、ぎっしりと館内を埋めつくしたみんなといっしょに歓喜の声をもらさずにはいられませんでした。
1980年-1986年 / バークレー The City of Berkeley
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