ドワイト通りにはいつものように人影がなかった。
けっこう長い坂道なのだが、のぼっていくのはそれほど苦にならなかった。
街路樹が深く、学生街だったせいか、道をはさんで両側にはアパートメントがならび、開け放たれた窓からはカリフォルニアの青空に抜けていくような大音量でロックやらジャズやらラテン系ダンス音楽などが聞こえてきて、それが足を軽くしてくれたからだろう。
のぼっていった先には年中お祭り気分のテレグラフ通りがあるのだが、その日はなぜか、アパートメントを出てほんのワン・ブロックほどのぼった地点でわたしはふいに足をとめてしまった。
一台の乗用車がかろうじて通れるくらいのわき道がドワイト通りへと開いている角にあたる場所だった。
そこでぼんやりと立ちつくしてしまったのだ。
それは屋根裏部屋のある木造アパートの一階で、まるで下顎を突き出した四角い顔のようにも見える、とても奇妙な造りの店舗だった。
扉はいつも開かれたままになっていたが、店内は暗く、窓も塞がれていて、その前を通っても、なかの様子をうかがうことはできなかった。
看板もなかったので、いったいそこが何なのかもわからなかったし、暗い店内に足を踏み入れると、もとの世界へもどってこれなくなるのではないかと感じさせるような、すこし薄気味の悪い雰囲気を放っている入口でもあった。
ある日、茶色の紙袋を胸に抱えた中年の黒人男性がそこから出てきて、何かの弾みで紙袋を落としてしまったのだ。とたんに何かがグシャっと壊れる音がして、その男性は「ファァァック!」と大声を発し、わたしはおどろいてそちらへ顔をむけた。中年の黒人男性はすばやくしゃがみこんで紙袋の中をのぞきこんで調べていたが、ふたたび「おぅファック」と、こんどは落胆したような声を漏らした。
そのため、ちょうどそこを通りがかったわたしは、ため息にも聞こえる彼の『ファック』の連発が気になって、つい路上で足を止めてしまったのだ。
「大丈夫ですか?」
「まあね。いや、ぜんぜん大丈夫じゃないな」
そこへ、店の中から爽やかな足取りの白人青年が出てきて、わたしにちらりと目を向けたあと、その黒人男性と話をしはじめた。
あきらかに何かの瓶が割れてしまったようだ。
彼らの話の内容からして、そこは小さな食料品店(グロッサリーストア)らしかった。
長いあいだの知り合いのような会話をかわしているのを聞いているうちに、白人の彼はその店の店員らしいことがわかった。
そのうちふたりは店内へもどっていった。
何ヶ月間もほとんど毎日のようにその店の前を通っていたのにもかかわらず、その日のその出来事がなければ、その店の正体を知ることはできなかったかもしれない。
新しい出会いは、たいてい、計算されつくした偶然の仮面をつけてあらわれる。
翌日、大学の授業を聴講した帰りに、わたしはさっそくその店に入ってみた。
開きっぱなしの扉の近くには、4人掛けディナーテーブルの幅ほどもない小さなカウンターがあった。そして、その真うしろの、ちょうど運転席ほどの狭苦しいスペースに、昨日見かけた白人の男性が腰かけていた。
昨日は大学に通いはじめたばかりの青年かとおもったのだけれども、近くで見たあとは、20代半ばの大学院生といった印象が強くなった。
Tシャツからのびた両腕には引き締まった筋肉がついていて、上腕から二の腕にかけてタトゥーが彫られていた。
彼は分厚い片手に厚めのペーパーバックをつまんで読んでいるところだった。
こちらに気づいて「やぁ、いらっしゃい」と声をかけてはくれたが、それに応えたわたしのことにはおかまいなく、すぐさま本へ目をもどした。
おかげで、わたしは彼の視線を気にすることなく、店内をゆっくりと見てまわることができた。
とは言っても六畳くらいの狭いスペースなので、陳列されているほとんどの商品を見終わるのに、たいして時間はかからなかった。
店内には、じゃがいもや玉ねぎやにんじんなどの野菜と、缶詰スープに瓶詰めのピクルスが数種類、きちんと整理されて陳列されていた。
冷蔵しなければならないような商品もなかったので、冷蔵庫は見あたらなかったし、まるであと数日後には店をたたむ予定なのではないかと思わせるほどの品数の少なさだった。
ピクルスの瓶をとり、カウンターに置くと、彼はようやく本から目を離した。
「やぁ」
「こんにちは。これ、お願いします」
わたしは彼が何を読んでいるのか知りたかった。
本を閉じてくれたら、彼が没頭している本のタイトルがわかるのに、と願ったが、彼は本を閉じることもなく、また、ひろげてカウンターに伏せるわけでもなく、すばやく背後へ手をまわし、椅子の背と腰とのすきまに本をすべりこませると、そのままピクルスの瓶を茶色の紙袋に納めたので、わたしは支払いを終えて外へ出ながら自分の勇気のなさを呪った。
その翌日、わたしはにんじん一本をその店で買った。
あいかわらず彼は同じ本を読んでいた。かなり読み進んでいるようすだった。もう少し店内が明るかったらページの上に印刷されているタイトルが見れるかもしれないのに、と残念でしかたがなかった。
三日目、わたしはその店に立ち寄って、リグレーのチューイングガムを買った。
帰りぎわ、彼は一瞬目をあげて「カムアゲイン」と言ってくれたので、勇気を出して彼に尋ねた。
「ね、何を読んでるの?」
彼はわたしの質問に少し驚いたのか、照れたように苦笑したが、気を悪くした様子もなく、その分厚い右手にもった厚いペーパーバッグの表紙を見せてくれた。
『Fools Die』(愚者は死す)だった。
「知ってるかい? 『ゴッドファーザー』を書いたマリオ・プーゾだよ」
「原作は読んだことないけど、『ゴッドファーザー』の映画だったら、東京で公開された時に父と見にいったわ。ちょうど夏休みだったから」
「トウキョウ? きみ、日本人?」
わたしはうなずいた。
「おれ、子供の頃、少しの間だけど、トウキョウのヨコタに住んでたことがあるよ」
「ヨコタ? 横田基地のこと?」
「親父が軍人だったせいでね」
「わたしは横田基地には行ったことがないの」
そのあと、ちょっと間を置いて、彼は「ま、とにかく、これは、『ゴッドファーザー』とはまるでちがってるんだ」
「マフィアの話じゃないの?」
「つながりはあるけどね。なにしろラスベガスのホテルとカジノの経営がどんなシステムになってるのかって裏話だからとうぜんコーザノストラも関係してくるけど。でも『ゴッドファーザー』とは別の面白さがあるんだ。読みはじめたらやめられなくなる。こいつを読むには暇があるだけではダメで、体力がなくちゃいけない、なんて言われてるけど、まさにおれにはその両方がそなわってる。暇はもてあましてるし、こいつを読むための体力もばっちりさ」
彼がいきなり腕をまげて力こぶを見せつけたので、わたしはとまどって笑ってしまった。
「ドストエフスキーが左手で娯楽本を書いてたら、もしかしたらこうなるかもしれないって感じの見本だね」
「ドストエフスキーも好きなの?」
「もちろんさ。ロシアの野蛮な知性人さ。好きにならないわけがないじゃないか」
「わたし、彼のものは、ほとんど全部読んだわ」
「すばらしい。あいつはマーティン・スコセッシ監督の神様でもあるからね。知ってるかい?」
「『タクシー・ドライバー』って『地下生活者の手記』だもの」
「まさにその通りだよ。ところで、これ、明日には読み終えるから、よかったら、またここにおいでよ。貸してあげるよ。ドストエフスキーとか好きだったら、きっと楽しめると思うよ」
「ありがとう。でも、いつ返せるかわからないし」
「そんなこと気にしなくていいよ。とにかく、明日、また、この店においで。たぶん今日中には読み終えるつもりだから」
彼のフレンドリーさに、わたしは「じゃ、また明日」と店を出た。
けれども、何かしらの出来事で翌日に寄ることができなかった。
ようやくそのことを思い出して、数日後に店を訪れたとき、彼の姿はなかった。その代わりに、柔和なふんいきの、まさに『ビッグママ』と呼ばれるのにふさわしい大柄な黒人女性が、例の狭いカウンターの背後にすわっていた。
わたしはキャンベルスープを買った。
彼女はその缶入りスープを茶色の紙袋に入れ終えたあと思い出したように言った。
「あなた、ひょっとして、この本のこと、憶えてる?」
そして厚いペーパーバックをわたしに差しだしたのだ。
「ここにいた男性が読んでた本だとおもいますけど」
「クリスからあなたに渡してくれるように頼まれたの」
わたしは驚いて彼女を見つめ返した。
「だってこの店に入ってくる東洋人の女性なんてあなたくらいしかいないでしょ?」
「うれしい。ほんとにいいんですか?」
「もちろんよ。だって彼が貸したいって言ってるのだから」
「でも、この厚さだと、ちょっと時間がかかりそうだし、いつお返しできるかわからないわ」
「気にしなくていいのよ。クリスはもう別の本を読みはじめているし」
わたしは感謝の気持ちを述べて、『愚者は死す』を受けとった。
「わたし、ヨーコです」
「彼にはそう伝えておくわ」
「ありがとう」
「とにかく、彼が本に夢中になってくれるようになって、よかった。部屋のなかが本で埋まってきたしね。最近は、本屋に勤めたいって言ってるのよ。読書が彼の救いになるなんて」
そう言って彼女は微笑んだ。
そのときわたしは怪訝そうな表情をしていたのかもしれない。
「そこまでは話してないのね」
「え?」とわたしは小首をかしげた。
「彼、ああ見えても、じつは、ベトナム戦争の帰還兵でね。体も精神も酷く病んで、病院に入ったり出たりをくりかえしてたらしいわ」
「ぜんぜんそんなふうには見えませんでした」
「代々軍人の家系らしくてね、親子関係もむつかしかったらしいの。それに、あれはアメリカが初めて負けた戦争でもあったし」
彼女はまるで実の息子を思いやる母親のような語調で話しつづけた。
彼は20代半ばの青年にしか見えなかったが、ベトナム戦争の帰還兵であれば、きっと30歳を超えているのにちがいなかった。
「クリスさんによろしくお伝えください」
「あなた、また買い物に来てちょうだいね」
余裕のある物言いからすると、彼女がその店の店主なのかも知れなかった。
それから数日後、大手銀行をやめた緒斗の友達が日本からやってきて、わたしたちのアパートから離れなくなった。
バークレーの街がよほど気に入ったらしく、毎日、街を歩きまわってはカフェに寄り、翌日の朝まで頭が冴えわたるほどエスプレッソを飲んだ帰りには、わが家の猫のサティーのために、お土産としてピュリナのツナ缶を買ってきてくれるのだった。
猫に気に入られて、べったりとなつかれるのが、よほどうれしかったのだろう。
そのあとは、狭いアパートで夫婦生活をしている緒斗とわたしのことなどおかまいなしに、勝手にソファベッドをひきずりだして、夜を占有してしまうのだ。
彼はホテル代の代わりに食費や居候代(いそうろうだい)を払ってくれたのだけれど、わたしとはかかわりのない男性が、ほんの数メートル先で眠っている事態ががまんできなくなり、おまけに自室にしていたクローゼットのなかに彼の持ち物がおかれていたため、その情け容赦のないプライバシーの消滅に、ますます自分の居場所がなくなっていくのを感じ、社会学のブラウナー教授のクラスで知り合いになったエレンが間借りをしていた一軒家へ逃げ込むことにした。
バークレーキャンパスの北側に位置するヒルサイドにあるヴィクトリア朝ハウスだった。
サンクチュアリとしては、ほんとうに居心地がよかった。
なぜなら、そこで暮らしていたのは、3人のレズビアンの女子大生たちで、家主は、アシュケナージ系、つまり白人系ユダヤ人の中年女性だったのだけれども、彼女もゲイとレズビアンとマリファナを好むリベラルなひとだったからだ。
じっさい、居間の壁布やソファや絨毯には、マリファナ独特の香りが染みついていたようで、わざわざインセンスを焚かなくても、ふだんからバジルをおもわせる芳香がただよっていた。
家主のユダヤ系女性はバークレー高校の英語の教師だった。ミシガン州立大学で『日本の中世における民衆の自由性』という論文で日本学の修士号を取得したらしい。日本に滞在していたおりに、抹茶の虜になったらしく、キャビネットの中には抹茶茶碗や茶筅(ちゃせん)に棗(なつめ)もあった。
わたしが幼少の頃からお手前を習ったと言うと、彼女は目を潤ませるほどに感激し、そのおかげでわたしはその家に好きなだけ居候(いそうろう)することができた。
もちろん、家の掃除をしたり、みんなと交代で食事を作ったり、エレンの自転車を借りて食材の買い出しに行ったりもした。
ただし、ヒルサイドにある家だったので、行きは楽だったが、帰りの坂道は心臓が破裂してしまうのではないかと心配になるくらいに辛かった。
わたしが居間で『愚者は死す』を読んでいると、それに気づいた家主の女性が「それは傑作よ。カジノのことなんてわからなくても、3人の主人公にどんどん引き込まれていったわ」と声をかけてきたので、わたしは「今まで読んだことのない感じの小説だけど、人間が生々しく描かれてるのに、一人称になったときの『わたし』が感傷的に書かれていないところが、やっぱりアメリカの作家の作品だと思います」という感想をのべた。
「そうね。たしかに日本の小説とはちがうかもしれないわね。でも、ダザイ・オサムとかミヤザワ・ケンジの作品はとても乾いていて、彼らの倫理観はアメリカ人の心にも響くはずよ。日本の文壇のなかの『ガイジンさん』かもしれないわね」
そう言って彼女はわたしを笑わせてくれた。
女性に優しい女性なのだと感じた。
「ところでわたし、ひとつ、心配なことがあって。この本、最後まで読み終えることができないかも知れない」と言うと、彼女は「わたしも3分の2くらいのところでリタイアしたわ」とつけ加えた。
「ディテールがだんだん重たくなってきて」とわたし。
「わかる、わかる」と彼女。
わたしたちは、ほとんど同時に笑っていた。
「ところで、ヨーコ、あなた、エレンとベッドをシェアしてるの?」
「もちろん。ダブルベッドだし、よゆうたっぷり」
「安心したわ。ソファで寝るのはつらいからね」と彼女はほほえんだ。
2週間がすぎたころ、緒斗から電話があって、彼の男友達が明日にはニューヨークに出発するらしいから、と教えてくれた。
その夜、わたしはドワイト通りのアパートメントへもどり、3人でお酒を飲み、猫のサティを遊ばせたり、閑談に興じたりして夜明けを待った。
そして、その日の昼過ぎ、わたしは『愚者は死す』をたずさえて、あの小さな狭苦しいグロッサリーストアへと出かけた。
けれども店は閉まっていた。
翌日も閉まっていた。
そのまた翌日も閉まっていた。
結局、再びその小さな店が開かれることはなく、その場所で足をとめることもなくなり、それから一年くらい経った頃だろうか、わたしがテレグラフ通りとヘイスト通りの角にある本屋『コディーズ・ブックス』で、テーブルに平積みにされた新刊本の一冊を手にとった時だった、白人の男性が隣にやってくる気配がしたかとおもったら、すぐそばの広いテーブルの上に積み重ねられている本をてきぱきと整えはじめたのだ。
その腕にはみごとなタトゥーがあった。
さりげなく彼の横顔を盗み見ると、見覚えのある顔の男性だったので、無意識に「え? 信じられない」と声に出していた。
あの小さなグロッサリーストアの店員だったからだ。
「クリスさんでしょ」
「ええっと、きみはたしか…」
「わたしのこと、おぼえてる? 『愚者は死す』を貸してくれたでしょ」
「もちろんだよ。ちゃんと憶えてるよ。逆にこっちのことを憶えててくれてるか心配だった。おれの名前まで憶えててくれてうれしいよ」
「お店がずっと閉まったままになってたから、本を返せなくて」
「あそこのオーナーはかなりの年だったし。あの本のことだったら、気にしなくていいよ。返さなくていい。あれはきみにあげるよ。おれは、今、ここの店員なんだ。なんとか雇ってもらうことができて最高に幸せさ」
この『コディーズ・ブックス』書店の店主は、ひと昔前に、ベトナム戦争反対デモをしている学生たちに向けて撃ちこまれた警察の催涙ガスから、彼らを守るために店内へかくまって、彼らが抗議をつづけるための安全なサンクチュアリを提供したことでも知られた人で、サンフランシスコのテレビ局が取りあげたこともあったらしい。
そのことを社会学を教えていたブラウナー教授から聞いたことがあった。
「ありがとう。あの本、大切にするわ」
「あ、そうだ。じつは、おれ、子供ができたんだよ」
なにを言っているのか一瞬わからなかった。
彼はジーンズのポケットから財布を取り出し、赤ちゃんのスナップ写真を見せてくれた。あの柔和な雰囲気の黒人女性の腕に抱かれた赤ちゃんだった。
男の赤ちゃんだ。
愛くるしく見開いた目に、少し縮れた髪の毛が、かすれた水彩画のように頭を染め、その褐色の肌はいまにも弾けそうなほどに健康的だった。
「おれのワイフだよ。そして、こいつがおれの息子さ」
「おめでとう。奥さん、ほんとうに優しいステキな方だった」
「彼女は生活相談員(ソーシャルワーカー)なんだ。俺のことをいろいろ助けてくれて、俺を生き返らせてくれた恩人でもあるんだ。彼女がいなかったらとっくにこの世にはいなかったかもしれない」
それからは、バークレーを去るまで、その『コディーズ・ブックス』という本屋に立ち寄るたびに、わたしに気づいた彼が、書棚の整理をしたり品出しをしたりしながら、さりげなく近づいてきて、新刊本や古本の情報をそれとなく教えてくれるようになった。
1984年 秋 / バークレー
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