クリスマスが近づいていたある日の夕方、わたしはアパートからいちばん近いスーパーへ買い物に出かけた。
その途中、ナパ郡(Napa County)の運営している少年院のそばを通ることになるのだが、そこの高い金網フェンス越しに、コンクリートの運動場で遊んでいる少年たちを見かけることがあった。
その日はひとりの少年がフェンスに指をひっかけて、じっと何かを見つめていた。
14、5歳だろうか。
わたしはなぜか気になって少年の視線を追いもとめた。
ストリートの反対側には前庭のある家々がならんでいる。
そのうちのひとつが目にとまった。
白壁のスパニッシュ造りの小ぶりな家だ。
色とりどりの小さな電球が大きな窓わくにそって点滅していた。
その真ん中に、ライトアップされた聖母マリア像が浮かび上がっているのだ。
わたしは少年とおなじように興味をひかれたので、通りを渡ってその偶像に近づいていった。
それは目を伏せているマリア像ではなく、慈悲(じひ)のこもった眼差しのマリア像でもなく、見開いた目元はやさしく、どちらかといえば艶(つや)っぽく見えた。
振りかえると少年はまだこちらにじっと視線を向けている。
何かに囚(とら)われているかのように動かなかった。
フェンスを越えることのできない少年にも、このマリア像の目元が見えているのだろうか。
もしかしたらマリア像にやさしく誘いかけられている妄想の中に佇(たたず)んでいるのかもしれなかった。
買い物を終えて、スーパーからの帰り道、その少年はまだ金網フェンスを両手でつかんだまま、たったひとり、じっとマリア像を見つめていたが、通りすぎたわたしが、なにげなくふりかえったとき、院内放送用のスピーカーを通して名前を呼ばれたことに気づいたらしく、足早に建物のなかへ走り去って行くのが見えた。
1981年 クリスマス / ナパ
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