ナパに住みはじめたころ、クルマで目的もなく地図も持たずに山間部へ向かってドライブをすることが多かった。
港町に生まれ育ち大学は東京だったので、街に住むことには慣れていたが、薄茶色のなだらかな山々に囲まれた盆地の田舎町はとても新鮮だった。
ほとんど異世界に見えた。
その日は曇り空だった。
あてもなく北へ山道をドライブしていると、湖が見えてきた。
わたしたちは湖畔にクルマをとめた。地図がないので湖の名前はわからなかった。
不思議な気配に誘われるように緒斗(おと)と歩きはじめた。見わたすかぎり、人っ子ひとりいなかった。静かだった。鳥のさえずりも聞こえなかった。
あたり一面が薄茶色の枯れ草に覆われていた。枯れ草を踏みながら歩いていたので、枯れ草の折れる乾いた音だけがしていたように思う。素足ではとても歩けないような、イバラの原っぱだった。
ふたりでなぜそこを歩いていたのかもわからない。世界から取り残されたような感覚に包まれていたのかもしれない。何の目的もなく、ただ荒漠とした景色に飲みこまれるように歩いた。
砂嘴(さし)のところで、ようやく土肌を見つけ、ハンカチを敷いて座った。対岸までの湖面は濁っていた。
空を見あげると、時間が止まってしまったかのような錯覚に陥った。広大な自然のなかで酸素は十分にあって呼吸をしているのだけれども、ドームの中に閉じこめられて出口が見えないような閉塞感があった。
なんともいえない不気味な雰囲気に、クルマにもどることにした。
車の中、ふたりとも何かに取り憑かれたかのように会話をしなかった。
車窓から見えはじめたナパのダウンタウンの見慣れた景色も何かがちがって見えた。
アパートの駐車場にクルマをとめたところで、長屋の隣の住人のバーニースに会った。年配の女性だ。湖の話をすると、灌漑用の人工湖でナパでは一番大きいのよ、と湖の名前も教えてくれた。
『ベリエッサ湖』(Lake Berryessa)というのがその名称だ。
だいぶ前になるけど、あの湖で殺人事件があって、ピクニックをしていたカップルが襲われたのよ。たしか男女のカップルばかりが狙われて、かならず女性のほうだけが殺されるという、残酷で動機のない連続殺人事件のひとつだったみたいだけど、まだその犯人は捕まっていないのよ。
その話を聞いたとたん、ゾッとして、緒斗と顔を見合わせた。
あんな広大で無人の場所だったら、恋人たちがどんなに叫び声をあげてもだれにも聞こえなかっただろう。
その日から26年がたった2007年に、なぜ『ゾディアック』(Z⏀DIAC)というミステリー映画をTokyoで観ることになったのかはまったく思い出せないのだけれども、おそらく監督のデヴィット・フィンチャーと俳優のジェイク・ジレンホールの名前がウエブサイトの宣伝で目に入ったからにちがいない。
ジェイク・ジレンホールを初めて知ったのは『ドニー・ダーコ』(DonnieDarko)という「自分の死が世界の終わりだった」というテーマをシュールレアリスティックに作りこんだ映画を見たときだった。
もともとは、予告編で目にした最凶のウサギ・モンスターを見てみたいという欲望に負けたせいだと思う。
主演だったジェイク・ジレンホールは、ストーリー展開の複雑さにもかかわらず、死の予感(=世界の終わりの予感)にせきたてられる青年の内面を濃いリアリズムで表現していて、その若さからは想像もできない演技力におどろかされたわたしは、その後、彼が出演している映画はジャンルにかかわりなく見るようになった。
デヴィット・フィンチャーは、『ALIEN3』のひんやりした映像美と感傷をおさえこんだ展開にとてもsingularな監督さんだと感じ、1996年に映画『セブン』(劇中の表記はSE7EN)に出会ってからは、つぎの作品が待ち遠しくなった。
そんなデヴィット・フィンチャーの『ゾディアック』は、1960年代後半から70年代前半にサンフランシスコ周辺の人々を震撼とさせた連続殺人事件をもとに書かれたノンフィクションの本をもとに作られた映画だった。
もともとは、ナパからほんの少し南に下ったサンフランシスコ寄りの街ヴァレホー(Vallejo)で、若いカップルが見知らぬ男に拳銃で撃たれ、女性だけが死に至った事件が発端だった。
それから数ヶ月後の秋、こんどは学生同士のカップルが、ひとりの男にナイフで襲われた。
その現場は、ある湖畔だった。
それがベリエッサ湖 (Lake Berryessa) だったのだ。
フィンチャーの映し出した景色が、ちょうどふたりで歩いた砂嘴(さし)のところだったため、あの日の湖畔の景色がそっくりそのまま目の前によみがえってきて、わたしの背筋は凍った。
映画館の隣の席から「この映画は、あの時、バーニースが教えてくれた連続殺人事件が元になってるんだね」と緒斗にささやかれたせいもあっただろう。
じっさいの事件では、ピクニックにきていた男女のカップルが砂嘴でくつろいでいたところを、黒装束に黒い頭巾を被った男に拳銃でおどされ、ふたりともが縛られた上に、ナイフで何度も刺されて、男性の方だけが生き残った。
その黒装束の犯人が、その後、みずからを『ゾディアック』と名乗ったため、この連続殺人事件は『ゾディアック事件』と呼ばれることになった。
あの薄茶色の荒漠とした景色のなかでその事件は起こったのだ。
どんなに叫んでも誰にも聞こえなかったのにちがいない。
それを知っていただけに、学生のカップルが黒ずくめの犯人に襲われる場面では、おもわず目をふさがずにはいられなかった。
事件は1969年の秋に起きて、それから12年後の1981年の秋に、わたしたちはその湖畔を訪れたことになる。
その時点では、まだ、事件のことを知るよしもなかった。
にもかかわらず、あれほど異様な不気味さを感じたのは、ゾディアックに襲われたときのカップルの恐怖が、その場所にずっと残っていたせいなのかもしれない。
もちろんそれは、事件を知ったあとに浮かんだ考えなのだけれども、どうしてもそんな気がしてならなかった。
そして、そんなオカルトじみた考えを、後年、なんの不思議もなく受けいれることができたほど、あの湖は、ほんとうに不気味だった。
1981年 秋 / ナパ
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