ワインカントリーで知られるカリフォルニア州のナパ・バレーで2年間暮らしたことがありました。
1980年代のはじめのころです。
ナパワインはまだ世界的には知られていませんでした。けれどもアメリカ国内ではサンタ・ローザやソノマという街とともにカリフォルニアワインの名声がたかまってきていた時分だとおもいます。
あのころからすでにワインカントリーとも呼ばれていました。
盆地でしたから夏は気温が40度をこえることもありました。
正午あたりに外へでますと、髪の毛がチリチリと焦げはじめて粉になってしまうのではないかと、そんなおそろしい錯覚にすらおそわれる暑さでした。
ですから、自動車のボンネットで卵焼きができるといわれて、じっさいにためしたこともあります。けれども白身がぼんやりとにごっただけで、さすがに漫画のなかで描かれるようなことはおこりませんでした。
タマゴの白身は摂氏63度から固くなるらしいのでとうぜんのことかもしれませんが、当時はまだスマートフォンがなく、またインターネットをいっきに普及させるもとになったウェブ(World Wide Web)もなかったので、手のひらの上でそれについて調べることはできませんでした。
それだけに他のひとから得られる情報がとても大切なものだったのです。
友人や知りあいからいただいた助言や忠告やうわさと、あとは図書館の本。
みんな、それぞれ、とても貴重なものでした。
公共放送(PBS)のドキュメンタリー番組とおなじようにありがたいものでした。
そのころナパ・バレー・カレッジにデイブ・エバンス(Dave Evans)という先生がおられました。
英文学を教えておられた方で、サンタクロースさん、もしくはケンタッキーフライドチキンの店頭でほほえんでいるカーネル・サンダース人形の顔からあごヒゲだけをそりおとしたら、そのままデイブ・エバンス先生のお顔になります。
すでに40代の方だったとおもいます。
こちらはもう大学を卒業していましたので、聴講生としてだけ授業に出させてもらいました。
好奇心は強いくせに、とにかく試験(exam) の大キライなナマケモノでしたし。
うれしいことに、じかに先生方におねがいしたら、どのクラスでもすぐにすわらせていただける、そんな自由さのある時代と場所でした。
ワインカントリーにぴったりの田舎町だったこともあるでしょう。
ですから、いちばん前の席にこしかけて、ノートをつけたりしていました。
その先生が、キャンパスですれちがうたびに、いつもまぶしそうに目を細めて顔をしかめるのです。
わたしなにかイヤな思いをさせるようなことをしたのかな、それとも東洋人がめずらしいのかな、と気になっていました。
いつもそうなので、いちど勇気をふりしぼってたずねてみたことがあります。
「その若さがまぶしいんだよ」
それが答えでした。
びっくりしました。
エバンス先生は何冊か詩集を出版なさっていた方です。
学生時代に目にとめたことのある『ユリイカ』や『現代詩手帖』といった雑誌で特集が組まれるようなゲーリー・スナイダー(Gary Snyder)やローレンス・ファーリンゲティ(Lawrence Ferlinghetti)とも親しくつきあっておられた方でした。
そんなエバンス先生が〈若さがまぶしい〉という使い古されたことば(cliche)を返されたことにおどろかされたのかもしれません。
それがいまでは、電車の中で見かけた若い女性や、街中ですれちがった女の子をまぶしく感じているわたしです。
たとえ、つかのまのことであっても、彼女たちの若さはこの目をたのしませてくれます。
若さの対局にあるのは「老い」ではありません、「死の予感」です。
それだけに、若さは貴重なのです。
それだけに、若くして亡くなるのは悲劇であり罪なのです。
若さは、ただ若いというだけで、たしかに、まぶしいものです。
ほかに言いようがありません。
ほかに言いようがないとき、そのことばは、きっと真実をあらわしているのでしょう。
せめて、心のなかだけでも、命がつきるまで、そういう光を、もちつづけていたいとおもいます。
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