NikeよりもReebok?
みんながみんな、走っていました。
ジョギングしない人間はカリフォルニアに住む資格はない。
そんなふうに言われているみたいでした。
サンフランシスコの対岸に位置するバークレー市で暮らしはじめたのは1980年6月だったのですけれど、アメリカで生活をはじめた最初のころの印象は、とにかく「街を歩くと、みんながみんな、走ってる」というものでした。
しかも、みんな、薄いアウトフィットで走っていました。
女優のジェーン・フォンダ(Jane Fonda)とリチャード・シモンズ(Richard Simmons)が流行らせたワークアウト番組のスタジオからそのまま飛び出してきたみたいな装いでした。
エアロビクスが登場すると、こんどはスポーツブラとレギンスにラニングシューズという「おへそ丸出しルック」でジョギングしている女の子たちの姿が目立ちはじめました。
同性のわたしにとっても、『エアロビサイズ』(Aerobicise)という番組と同じように、たいへん目の保養になりました。
彼女たちとすれちがうたび、こちらの性ホルモンの分泌活動がピークに達し、肌のツヤまでもが良くなる感じでした。
NikeよりもReebokのスニーカーのほうに人気がありました。
たしかAdidasは、1986年のRun-DMCの宣伝がはじまるまでは、まだまだマイナーな感じで、しかも値段が高かったので、一般にはなかなかひろまらなかったようにおもいます。
ところで小脇にスケートボードを抱えている少年たちのほとんどはVansをはいていたような記憶があります。
Tretornをはいているのはお嬢ちゃまとお坊ちゃま?
ただし、カリフォルニア在住の「お坊ちゃま」や「お嬢ちゃま」は、東部の良家の子弟『プレッピーPreppy(名門私立校 prep school)』のファッションをまねて、たいていはトレトーン(Tretorn)のシューズをはいていました。
そして、走って汗をかくのが趣味だなんて変わってるよね、なんていう態度を保ちつつ、そんなジョギング光景に驚かされたかのように、わざとらしく目を丸くしてみせたりしていました。
また、父親(daddy)がサンフランシスコ市やサンタクルズ市にクルーザーを停泊させているような家庭からきていた子弟は、かかとを踏みつけてつぶしたローファーをはき、彼らにとっては安価だと言われていたフォルクスワーゲンのラビット・コンヴァーティブルやアルファ・ロメロのスパイダーなどにむりやり3人とか4人くらいで乗りこみ、あざといほど庶民的なふんいきをまきちらしながら、「人生は暇つぶし」みたいな顔で、キャンパスの周囲の道路をクルージングしながら、衆目をあつめていました。
彼らは、冬休みのあいだ、スイスやフランスのスキーリゾート、もしくはコロラド州アスペンなどでバケーションを楽しむことのできる学生たちです。
全員が、とうぜんのように、大学のソロリティ(女子学生社交クラブ)やフラタニティ(男子学生社交クラブ)に属している学生たちでした。
じっさいに知り合いになると、ハリウッド映画やテレビドラマで描かれているようなちょっぴりイジワル(mean & nasty)でお高くとまった(cocky)ところなどまったくなく、明るく優しくフレンドリーで、しかもユーモアのセンスも抜群で、慈善事業に精を出しているようなタイプが多かったのですけれど、あくまでもこちらは東洋人(people of color)なので、白人であることの圧倒的なよゆうで接していたのか、もしくは日本からやってきた留学生というゲスト(お客さん)にたいする表向きの社交辞令だったのか、ほんとうのところはわかりません。
完璧ボディで「炎上」したペプシのテレビCM?
さて、走っている人たちに話をもどしてみますと、あの当時は、ヘッドバンドをつけてジョギングする人たちも多く、走ることに没頭しているというよりも、なにかに囚われているかのような、もしくは、ほとんど宗教的なものを感じさせるような気配に包まれながらジョギングしている人たちがほとんどでした。
みんなで体を動かそう「Let’s get physical」(レッツゲットフィジカル)という時代の潮流のまっただなかへ足をふみいれてしまった気がしました。
とはいっても、小・中学校時代「文学少女」と呼ばれていたオタク精神と、生まれもっての「ものぐさ気質」にとつぜんの変化が生じるわけもなく、またお金があるわけでもないわたしでしたので、ディスコに出かけて踊るか、だれかとベッドの上で踊るほかに、シリアスに体を動かすようなことはほとんどしませんでした。
ところで、1980年代の初頭はコカ・コーラよりもペプシのほうに人気がありましたし、売上もまさっていたようです。
そのペプシのテレビCMで、ハイレグ水着姿のスーパーモデルさんがプールの中からあがってくるシーンを真正面からとらえたものがあったのですけれど、水に濡れた乳房の谷間は深く、腰のくびれは砂時計のようで、しかも引き締まった二の腕や張りつめた太ももなど、そのボディがあまりにも完璧で、あまりにもセクシーなので「あのコマーシャルは一般の視聴者たちをおびやかす」ものであり「一般の女性たちにとっては脅威でしかない」と言われて大問題になり、たちまち消えてしまうという事件がありました。
いまでいう『炎上』です。
わたしも、そのCMがはじまるたびに鼓動が早まり、モデルの女性から目を離すことができなくなることがたびたびでした。
それくらい美的肉体崇拝時代だったことはたしかです。
あのCMに近いものはこれでしょうか。
朝はジョギング、夜はアイリッシュコーヒー?
見た目(appearance アピアランス)がすべてでした。
ほんとうに、性別には関係なく「見た目」がすべてだったような時代の空気を感じさせられました。
たとえば、映画『10(テン)』(『完璧』)の再上映を観にいったときなど、ヒロインのボー・デリックが出てくるたびに、女性の観客たちが「ワオ、彼女、最高にセクシー」とか「なんておいしそうな体つきなの?」なんて感嘆のため息をつく声がいたるところから聞こえてきて、この国の女性のほとんどは潜在的レズビアンなのかしら、とおどろかされたことすらあります。
ビールは、バドワイザー、クアーズ、ハイネケン、レーベンブロイが全米で流行していました。
そして1980年代中ごろからは、「The night belongs to Michelob」(今宵はミケロブのもの)と「Heat of the Night」(夜の熱気)というとてもオシャレなテレビCMによって、いっきにミケロブビールが追いあげてきました。
バークレー校の学生たちが、週末にワイワイ集まって飲み会をひらくのは、キャンパスの北側(ノースサイド)にならんだオシャレなレストラン街か、定番のテレグラフ通り、もしくはバークレー市の南端の湾岸に近いところに点在していた大人向け飲み屋街で、なぜか最初はドイツ風酒場でもりあがり、何軒か梯子酒(はしござけ)をしたあと、おしまいに飲むのはアイリッシュコーヒーというのが、あのころのおきまりコースでした。
でも、〆(しめ)にホイップクリームをのせた熱いアイリッシュウイスキー入りコーヒーというのが、わたしにはまったく理解できませんでした。
しかも、さんざん酔っているところへ、あんなに甘い熱いお酒を飲んで、それでも道路を汚したりする学生がいなかったことには、さすがにおどろかされました。
白人や黒人の若者たちがお酒に強かったのは、モンゴロイド系である東洋人とちがって「ALDH2」という呼ばれる酵素をちゃんと持っていて、しかもその働きが強かった方たちばかりだったのかもしれませんね。
ところで、走っているのは会社勤めの人や学生だけに限りませんでした。
長髪に髭をはやし、エスニック系の染めTシャツをはおってジョギングするヒッピー風の男性たちもたびたび見かけました。
70歳を過ぎたような銀髪の方たちも日焼けした肌で走っていました。
なぜ走っているのは白人ばかりなの?
不思議だったのは、彼らはみな白人で、ジョギングする黒人のひとびとを見かけたことが、ほとんどなかったことです。
オリンピックの水泳競技に黒人選手が登場しなかったのと同じくらいに、街角を占領しているジョガー(jogger)は白人ばかりでした。
テレビのCMに登場する人たちや、スポーツ誌(『Sports Illustrated』などの)の表紙を飾っている人たちも、ジョギングしているのは、みな、白人ばかりでした。
黒人のひとたちはジョギングブームから除外されている、というより、わたしみたいな東洋人をふくめて、ようするに有色人種(people of color)は、みんな、ジョギング・ブームの外におかれていたとしかおもえません。
水泳やスケートやテニスにくらべて、設備投資が必要なわけでもなく、コーチ代がいるわけでもないし、ギアにそれほどお金のかかるスポーツでもないのに…不思議でたまりませんでした。
1970年代に終わりを告げたのがジョギングブーム?
ひとつ、たしかなものとして感じられたのは、ポジティブ思考と新保守主義がひとつに抱きあったような空気のなかで1980年代がはじまったということでした。
巨大化したロック音楽とマリファナと乱行パーティの70年代が終息し、いつのまにかポップミュージックと健康志向(ヘルスコンシャス)とビジネスライク(効率的)な思考法がもてはやされる時代に移り変わっていたような気がします。
でも、なにはともあれ、1980年代のはじまりを牽引(けんいん)していたフラッグシップは、ジョギングブームだったのかもしれません。
それはある種「象徴的」な意味をすらもっていたようにおもいます。
とにかく「みんながみんな走ってる」といった印象とともに、カリフォルニアでの生活がはじまったことはたしかでした。
ジョギングは健康を保つために役に立ちます。
有酸素運動のひとつですから、セックスと同じように全身の血行が良くなることはわかっていますし、もちろん脳を活性化することだってできるはずです。
痩せたい人にはダイエット効果があるでしょうし、ストレス解消にもなるでしょう。
足を使って走るのですから、とうぜん足腰の筋力は高まるでしょうし、持久力もアップするでしょう。
また、走るときには腕も振りますので、肩こりを解消するのにも役に立つかもしれません。
心地よい疲労をもたらしてくれるので、充実した甘やかな睡眠を得ることができるでしょう。
こうやって箇条書きにしていくと、まさに、良いことずくめ、です。
悩みの種から芽生えてくるのは?
ただし「ジョギングすることで人生や人間関係の悩みを解決することはできません。その単純なことがどうしてもわからないアメリカ人が多いのです」とレクチャーしておられたのが、カリフォルニア大学バークレー校で「ストレスへの対処法(Stress & Coping)」を教えておられたリチャード・ラザラス教授でした。
年のせいで唾液がたくさん出ないので、という理由で講義中はいつも飴をなめておられて、女性のTA(Teaching Assistant アシスタント)で人格心理学を専攻していた大学院生のゲイルさんに「ね、リチャード、今日のネクタイも奥さんが選んだの?」ときかれて「もちろんだよ。彼女にネクタイを選んでもらい、こうやって結んでもらわなければ、ぼくの1日がはじまらないからね」というかけあいで授業がはじまるのが常でした。
そんなラザラス先生のジョギング論はこうでした。
① 妻との関係がくずれはじめた夫が、彼女と話し合って解決するかわりにジョギングをはじめても、ぐるりとあたりを一周してもどってきた家には、ジョギングする前と同じ問題をかかえたままの妻が待っている。
② 会社での人間関係がむつかしくなったときに、関係者との対話をもつことをせず、その悩みを打ち消すためにジョギングにはげんでも、明日の朝、会社のオフィスにいけば、解決されないままの人間関係が、そこで待っている。
③ 親との関係がうまくいかず、部屋に閉じこもって自分の趣味に没頭しそうになっていたところへ、よりポジティヴに見えるジョギングをはじめることになった。ところが、あたりを一周して家にもどってきたら、けっきょく以前と何も変わらない親との問題がそこに待っていた。
このような例を耳にして、なぜかお笑いのコントが目に浮かび、ついクスクスと笑ってしまったのは、東洋の島国からきた聴講生だったわたしだけで、クラスを埋めつくしたアメリカ人の学生たちのほとんどは、どんどん深刻な顔つきになっていきました。
身につまされる思いを味わっていたのかもしれません。
そんな顔つきでした。
けれども、わたしにとっては、とてもアメリカ的な、というか、とてもアメリカ人的な特徴だと感じられましたし、彼らの心の琴線(きんせん)に触れているお話ではないかとおもわれました。
悩むことは「貧乏」と同じように犯罪のひとつなの?
まず、アメリカ人の、とくに男性たちが好むことばに「Don’t fill your head with worries」(直訳:心配事で頭をいっぱいにしちゃダメ)とか「Don’t let worries go to your head」(直訳:心配事を頭に行かせちゃダメ)というのがあります。
大学のキャンパスでも、男子学生たちが、たがいをはげますときに、たびたび使うことばなので、自然と耳にはいってきました。
ご存知のように、これらのことばは「Don’t worry too much」と同じように「あまりクヨクヨしないほうがいいよ」とか「心配事に気をとられないようにね」という意味なのですけれど、とにかく眉間にしわを寄せて悩んだりしていると「Come on, don’t worry a lot」(どうしたんだよ。そんなに悩むなよ)ということばが最初に飛んできます。
「ね、どうしたの? なにかあったの?」とたずねてくれるのは同性の女の子たちばかりで、男の子たちはたいてい「Oh, come on, Yoko. Don’t let it go to your head」(なんだよ、ヨーコ。悩みごとにとらわれちゃダメだってば)と言って、それでおしまいです。「で、これから何するつもりなんだい?」とか「このあと、ランチは何を食べる?」というふうに別の話題に移ってしまいます。
逆に、悩みごとのある顔をしている男の子に「どうしたの? なにか問題でもあったの?」とたずねても、「別に、なにも」(Nothing. No problem)と返ってくるだけです。
あの当時は「男らしさ」という装甲(そうこう)に身をつつんでいることからくる弊害(へいがい)だと言われていましたし、わたしもそうだとおもっていました。
でも、それだけではなかったのです。
アメリカでは「貧乏」であることは犯罪なんだよ、とよく言われましたけれど、1980年代には「悩むこと」も犯罪と同じあつかいになっていたように感じられました。
内側に目を向けることそのものが暗さのある恥ずかしい「悪の行為」のひとつだとおもわれる時代に入っていたようにおもいます。
原因を追求することと同じように心の内側に目を向けることは「罪なこと」になりはじめたのです。
そのせいで新たな悩みが生まれてきました。
走ることは健康の維持とストレス解消にはなるかもしれないけれど、心の問題と人間関係からくる悩みの解決にはならない。
そんなシンプルな論理にすら顔をくもらせてしまう男子学生たちを見て、こちらも顔をくもらせてしまったのです。
もちろん健康維持のためにジョギングするひとたちがほとんどだったのでしょう。
けれど、なかには、もしかしたら、ほんとうに、真面目にジョギングをしつづけたら、つまり、ひたすら毎日ラニングにはげんでいたら、家族や恋愛や仕事の問題が改善されるとおもっていたひとびともいたのかなぁ、と逆に不思議な気持ちになりました。
そして気がついたのです。
彼らが、そのレクチャーを受けたときに、はじめてそのことに気がついたのは、どこかで、自分にそういう問題があることすら知らなかったか、もしくは、その悩みを打ち消していたのではないのかしら、と。
心がイヤなことを打ち消すときには何が起こるの?
心理学では「否認」(ディナイアル:denial)という無意識の防衛機制(ディフェンス・メカニズム)と考えられているものです。
たとえば、お母さんが大切にしている植木鉢を落として割ってしまった子供が、父親にそのことをきかれて「知らないよ。だってぼくじゃないもん」とケロリとした顔で否定するときの、あの心理的な戦略です。
「だけど、家で留守番をしてたのはおまえひとりだったよね」
「うん」
「家にはほかにだれかいたのかい?」
「ううん、だれもいないよ。ぼくだけだよ」
「じゃ、だれがこの植木鉢を落としたんだろうね」
「わかんない。ぼくじゃないもん」
「ふしぎだね」
「うん」
「この家にはおまえしかいなかったのに、だれがこの植木鉢が割ったんだろうね。おとうさんにはどうしてもわからないなぁ」
「ぼくもわかんない」
「ほかにだれもいなかったのに…ほんとにふしぎだね」
「うん。きっと宇宙人のせいだよ。こっそり落としていったんだと思う」
「へぇ、宇宙人がやったのか。その宇宙人は見たのかい?」
「ううん。見なかった。だって宇宙人は見えないんだもん」
この場合、もしも、坊やが自分のしたことをちゃんとわかっていて、パパに叱られたくないからウソをついていたり、自分がしたことを否定しているときには、そのことが、どことなく悪びれた態度にあらわれるでしょう。
いま流行中のことば『BSing』(bullsitting:ブルシッティング)を使いますと、でっちあげたウソっぱちな『言いわけ』をしているときには、表情にもそれがあらわれるはずですから。
でも、否認(ディナイアル)という無意識の防御で心を守っている場合には、坊や自身が自分のしたことを意識していません。
イヤなことはぜんぶ心の奥底へおしやってしまって、本人自身がそう思いこんでいますから、表向きには、ほんとうに何も悪いことはしていないという態度にしか見えないのです。
ですから、どこからどう見ても「悪びれた」ところが感じられないのはとうぜんなのです。
ようするに「悪いことは、見ようとせず、聞こうとせず、言おうとしないのがいちばんだ」というぐあいに心が働いているわけですから。
「詐欺師」と「サイコパス」と「政治家」の共通点とは?
たしか2012年ころだったとおもいますけれど、「政治家はもっともサイコパスに近い人格の持ち主たちだ」という臨床心理学者(クリニカル・サイコロジスト)たちの論文が出て話題になりました。
否認という防衛機制をもっともたくみに使いわけることのできるのは「詐欺師」と「政治家」と、いわゆる連続殺人事件の犯人として収監されている「サイコパス」であり、この3者にはおどろくほどの共通点がある、と結論づけられていたとおもいます。
だからこそ、たとえこの3者を嘘発見器にかけても、まったく真実を聞き出すことはできない、と書かれてあったはずです。
また、この坊やの例とはまるきり関係がないようにみえる次のような例も、じつは否認(ディナイアル)という人間心理の不思議な働き方をあらわしています。
ほんとうに夫のせいではないの?
たとえば、酒に酔うたびに暴力をふるわれてきた妻が、警察官にたずねられたときなど、あきらかに殴られた形跡のある顔と傷だらけの体なのにもかかわらず「これは階段から落ちたせいだ」とか「自転車でスピードを出しすぎて曲がりきれずに隣の家の壁にぶつかってしまった」などと、夫の暴力行為を否認するのもそのひとつです。
警察に真実を告げたことがわかると「彼からふたたび暴力をふるわれるかもしれない」とか「彼が収監(しゅうかん)されてしまうと経済的にやっていけなくなるかもしれない」という理由だけでは説明がつかない何かがそこにはある、と心理学者はつぎのように言っています。
そういう女性のなかには「夫が暴力をふるうのはわたしに落ち度があるからだ」とか「殴ったりするのも、ほんとうは、彼のわたしにたいする愛の証(あかし)なのだ」などと説明するひとたちがいます。
しかも、どこからどう見ても心の底からそう信じているとしかおもえない表情と態度でそう説明する女性たちが多く見受けられます、と。
ですから、生活相談員(ソーシャルワーカー)の判断によって、法的に夫が近づけない措置をとってあげたのにもかかわらず、ふたたび暴力夫のもとへ帰っていく女性たちがほとんどです。
もしかしたら、つぎに暴力をふるわれたときには、ほんとうに殺されてしまうかもしれないのに。
「あばたもえくぼ / 恋は盲目」(Love Lies Bleeding)なんて甘いことは言っておられない状況に閉じこめられているひとたちなのです、と。
虐待されても別れないひとってマゾヒストなのでは?
また、一般のわたしたちが想像するような、「こういうタイプの女性はきっと夫との関係でマゾイスティックな性的快感を得ているのにちがいない」とか「生まれながらにしてマゾ的な性質をもっているのだろう」なんていう解釈も通用しません。
もちろん、そういう女性たちのなかには、少女時代に実の父親や義父から性的な虐待(ぎゃくたい)を受けたせいで、そうすることが女としての自分の義務だと信じこまされてしまったひとたちがいます。
また、この世界でゆいいつ自分を守ってくれるはずの者から虐待を受けたために、この現実世界にはどこにも安全な場所がなく、たとえどんなひどいことをされたとしても「この親」以外には逃げる場所がないのだ、と思いこまされてしまった女性たちもいます。
つまり、彼女たちは、暴力をふるう夫とのゆがんだ関係そのものに依存せざるをえないのです、と心理学者は解釈しているようです。
相手の男性は、もしかしたら自分の人生を破壊してしまうような人間なのかもしれないことは感じとっているし、どこかでその結末がわかってはいるけれど、「別れたくても、別れられない」とか「逃げたくても、逃げられない」という精神状態におちいっていると考えられています。
これは性的なマゾイズムとはまるでちがうものです。
性的遊戯(ゆうぎ)のひとつであるSMとは、あくまでもそれを好むふたりのあいだの同意によってプレイされる「支配と服従」というゲームのひとつです。
ゲームなのですから、とうぜん、それぞれルールがあり、おたがいに取り決めたこと、つまり、そのルールの範囲内で、ふたりに共通した性的嗜好(しこう)を満たすために協力し合っているわけです。
それはじっさいの性的虐待とはまるで異なるものです。
虐待は有無を言わさぬ暴力そのものなのですから。
そして、心理学者やセラピストたちは、夫から虐待を受けている女性たちにたいして、けっきょくのところ「わたしは暴力をふるう夫とのいびつな関係に依存しているのにちがいない。これは愛でもなければ夫婦関係と呼べるものでもない」という事実を掘りおこし、それを正面から見すえて、それを認めないかぎり、牢獄に閉じこめられたような依存症から自由になることはできないのだ、と教えています。
イライラしていて、つい、やってしまった?
それはちょうど「やめたくても、やめられない」アルコール依存症やヘロインやコケインなどの薬物依存症と変わらないのです、と。
これとおなじようなことを、わたしたちは日常生活のなかでおこなっている、というのが、さきほどのラザラス先生のお話でした。
妻との関係がうまくいっていないことを否認(ディナイアル)して、無意識の奥へとおしやってしまったために、自分がどんな問題をかかえて悩んでいるのかすらわからない。
ただ、なんとなく暗いイライラした気分で、日々、わけのわからないストレスを感じつつ生活をしている。だからそんな暗いイライラした気分を払いのけるためになにか行動をおこさなければいけない。
というように思いつめていって、たいていのアメリカ人は、心理学者さんたちのおっしゃる『行動化』(acting out:アクティングアウト)に移るのだそうです。
これも『否認』と同じように防衛機制のひとつだと考えられていて、イヤなことキライなことを忘れるために、もしくはそのことで悩みたくないために、なんでもいいから、じっさいに結果があらわれるような行為に走ることで、自分に悩みをもたらしている源泉(げんせん)へは目を向けないでおこう、という心の戦略なのだと考えられています。
辞書的な定義では、お酒や薬物に手を出したり、買い物がやめられなくなったり、万引きをしたり、すれちがいざまにとつぜんだれかを殴りつけたり、駅のホームからひとを突き落としたり、自分の子供を虐待したり、ようするに、俗にいわれる「イライラしていたので、つい、やってしまった」というBSing(特に政治家たちがでっちあげた大ウソ:ブルシッティング)な言い訳が必要となるような「反社会的行動」にあらわれるとなっていますけれど、ラザラス先生は、そういうものばかりではないとおっしゃっていました。
「行動化」って良い意味じゃないの?
朝早くから町内のゴミ集めにいそしんだり、ドライブに出かける予定もないのにまだ暗いうちから黙々と自家用車を磨きはじめたり、たんにふつうの週末だというのにまるで大晦日(おおみそか)が来たかのように家の掃除にはげんだり、とつぜん釣りをはじめたのはいいけれど湖の魚をぜんぶ釣らなければ家にはもどらないぞ、といった必死さで釣りをしていたり…そういう行為のなかにも『行動化』(アクティングアウト)という心のねじれがひそんでいる場合があるのです、と。
そのひとつのあらわれが、このアメリカ社会全体を包みこんでしまったかのようなジョギングブームだと考えられる、とおっしゃっていました。
1960年代後半から1970年代へかけての独特な文化的『解放感』と、世代全体が共有していたある種の『共感』がうしなわれて、いつのまにか、自分だけがいちばん大切だ、自分さえよければそれでいい、つまり『I・Me・Mine』(わたしが! わたしが!・わたしに! わたしに!・わたしのもの! わたしのもの!)という考えがひろまり、そのぶん、それぞれがたったひとりで社会のなかで戦って勝ち抜いていかなければいけない、というプレッシャーを感じるようになっていったのだと説明する社会学者さんたちがいます。
そういう世相を反映しているのがジョギングブームなのかもしれません、と、こんどは人格心理学者(パーソナリティ・サイコロジスト)のひとりラザラス先生は解釈していたようです。
1980年代がもたらしたブランド化と競争意識って?
世間的に満足できるきちんとした生活(decent life)をきずき、男女ともにビジネスライクな関係をきずき、さらにより良い暮らしをもとめて頑張らなければいけない、という時代精神(ツァイトガイスト)によって1980年代が幕開けしました。
そして、他人とせりあって勝ち残らなければいけない、という資本主義の競争原理がもてはやされるようになります。
わたしたちみんなが心のどこかに抱いている「劣等感」と「虚栄心」を燃料にしているのが競争意識なのですから、この闘いには終わりがありません。
それにくわえて、資本主義という考えを土台にした経済システムによってなりたっている国々で暮らしているひとびとにとっては、他人との優劣を決めるのが人間性とか社会性といったものではなく、シンプルに「お金があるかないか」という価値観だけになっていきます。
また、その価値観をさらに押しすすめるかのようにブランディングという広告戦略も幅をきかしはじめます。
そうなると、そのようなブランド品を身につけたり所有していなければ「敗者」だとみなされるのではないか、という不安が出てきます。
そして「わたし」という人間の価値は他人とくらべてみなければわからない、という考えがあたりまえの社会ができあがります。
つまり、他人との比較をすることでしか「自己」が認識できなくなったのです。
なぜなら資本主義を突き動かしている原動力は「妬み」(ねたみ:ジェラシー)だからなのでしょう。
あのひとは自分よりもいいモノをもっている、とか、あのひとは自分よりもいい人生を送っている、とか、自分よりも幸せそうだ、とか…。
しかも、そういう「ねたみ」の気持ちに火をつけるかのように、「わたしはこんなに幸せなのよ」アピールがインスタグラムなどでは盛んになっているようです。
つまりソーシャル・メディアの登場によって「ねたみ」から生まれた競争意識にいっそうの拍車がかかるようになってしまったのではないでしょうか。
とうぜんのように、そのような品物や暮らしを望めば望むほど、家庭での夫婦関係においても、また、仕事場での人間関係においても、さまざまなプレッシャーが生まれてきます。
そして、そのプレッシャーを払いのけたいがために、さらにプレッシャーを感じさせるようなジョギングをはじめるよりほかに、もう心の逃げ場がなくなっているのではないか、と先生はおっしゃっていました。
ジョギングはひとりでできるスポーツである、というのもその理由のひとつだと考えられます。
行動化という防御機制は、あくまでもひとりが行う、ひとりのための心の戦略なのですから。
とは言っても、あの当時にはまだインターネットもソーシャルメディアもありませんでしたので、いまよりはまだ「のろま」で「のんき」な資本主義社会だったのかもしれません。
お金持ちと有名人たちの暮らしぶりが気になって?
それでも、そういう競争時代の流れにくわえて、1984年からはじまったテレビシリーズ『Lifestyle of Rich & Famous(お金持ちと有名人たちのライフスタイル)』が大人気になったせいで、この世にはあんなお金持ちであんな暮らしをしているひとたちがいる、自分もなんとかがんばってああいう人たちみたいになりたい、ああいう生き方をしたい、そうすればこんな悩みはすべて解決して、きっと毎日が幸福感に満たされたものになるはずだ、という夢を抱くひとびとが増えたこともあるかもしれません。
その夢はそのままプレッシャーにも変わります。
まだ『セレブ』ということばがひろまっていなかった時代、『リッチ&フェイマス』なひとびとがもてはやされ、みんながそういう暮らしにあこがれたのです。
お金があって見た目がすばらしいひとたちを「ビューティフル・ピープル」と呼びならわしていました。
ここで問題になるのは、悩みをかかえたひとは、悩みの火種(ひだね)を、2度ほどもみ消そうとしているという事実です。
まず『否認』によって、自分がかかえているほんとうの悩みを無意識の底へおしやってしまいます。
ですから何が問題なのか意識できなくなっているのです。
そこへもってきて、なにが問題なのか意識できないことからくるモヤモヤやイライラをまぎらわすために、さらに『行動化』のあらわれでもあるジョギングをすることによって、そのモヤモヤとイライラを消し去ろうとしているのです。
この2重の防御壁を突破して、奥の奥にひそんでいる秘密の小箱をこじあけ、問題の原因をつきとめるためには、たいへんな努力が必要になるでしょう。
そして、もし悩みのモトを正すことができない場合、ジョギングやその他のスポーツにはげんでいるのにもかかわらず、問題を無意識の底へおさえこむことによって生じる精神的ストレスによって、体にさまざまな不調があらわれたりもします。
肩こりからはじまり、神経性腸炎をひきおこしたり、ひどい場合には胃潰瘍になったり、とつぜん出勤できないほどの疲労感にみまわれて寝こんでしまったりするひとびとが増えていきました。
見方によっては、1980年代というのは、「ストレスとコーピング」を教えておられたラザラス先生に出番をもたらしてくれた、とてもありがたい時代でもあったのではないかとわたしはおもっています。
アメリカ型心理学そのものが否認と行動化のあらわれ?
それに、ほんとうの気持ちを言いますと、わたしはアメリカの心理学というか、行動主義心理学(behavioral psychology)という学問の分野そのものが『否認』と『行動化』のあらわれだとおもっています。
アメリカの大学では、フロイトやユングやアドラーなどに代表される精神分析学(psychoanalysis)などは、文学か哲学か宗教学みたいなものであって、科学(science)ではない、と考えられています。
長椅子に横たわって「さて、あなたの子供時代にさかのぼってみましょう。まずは母親との関係はどうでしたか?」なんていう場面を描かせたらウディ・アレン監督の右に出る方はいないでしょうが、心理学の教授たちにとっては、ああいうものが心理学だと一般に誤解されては困る、というふんいきが強かったようにおもいます。
アメリカの行動主義心理学の生みの親たちといえば、ワトソンやスキナーなどがよく知られていますけれど、そこへの道を切りひらいたのは、もともと哲学者として有名だったウィリアム・ジェームズ(1842 - 1910)だと考えられています。
彼の弟さんは心理的ホラー小説の元祖ともいうべき、ほんとうに不気味な『ねじの回転』という物語の作者ヘンリー・ジェームズ(1843 - 1916)で、お兄さんのウィリアムが用いた心理学の概念のひとつである「意識の流れ」(stream of consciousness)をじっさいに適用することで、この小説を完成させました。
この手法は、後に、ジェームズ・ジョイスやヴァージニア・ウルフ、そして『失われた時を求めて』の著者マルセル・プルーストたちが用いた方法でもあるのですけれど、この文学者たちのテクニックのひとつになっていった「意識の流れ」とは真逆の考え方も、この心理学の父と言われているウィリアム・ジェームズの機能主義から生まれました。
機能心理学(functional psychology)と呼ばれているものです。
チクリと針で刺してその反応を調べればOK?
ヒトの心理を理解するためには、ヒトを「心」とか「意識」のある生き物としてとらえることはせずに、外界からうけた刺激にたいしての生理的な反応のしかたによってのみ理解するのがもっとも科学的だ、という考え方です。
針で相手の手の甲をチクッとつついたときに、(やめてくれる? 痛いんだけど)と感じているかもしれない生き物としてとらえるのではなく、その瞬間、そのヒトはどんなふうに手を動かしたのか、体を動かしたのか、顔はしかめたのか、瞳孔に変化はあったのか、そのときの心拍数はどのくらいだったのか、血圧に変化はあったのか、または、発汗はあったのか、などと測定可能な反応(情報)によって、針でつつかれたという状況にたいする適応能力を判断してみよう、という考え方とでもいったらいいのでしょうか。
1890年に刊行された彼の著書『心理学原理』から生まれた考え方で、それが後にアメリカで大きく育つことになった行動主義心理学の基礎をなしています。
乱暴な言い方をさせてもらいますと、ヒトの内面などはどうでもいい、そんなことにこだわっていてもしかたがない。意識だの潜在意識だの無意識だのは、もともと器具をもちいて測定することすらできない「お化け」みたいなものなのだから、無視してもかまわない。それよりも、ヒトの生理的反応や行動という目に見えるもの、じっさいに測定できるものから学ぶほうが、そのヒトの感情の動きや意識の流れを知ることができるはずだ。
そういう考え方がもとになっています。
ウィリアム・ジェームズという名が出てくるたびに、よく授業中に言われていたのが「If a man meets a bear...」(ヒトが熊に出くわしたら)というものでした。
ヒトが熊に出くわしたら?
熊に出会ったヒトがどのような行動(生理的反応)を起こしてその状況に適応しようとするのか、まずは観察することです。そのためには、心拍数や発汗の度合い、血圧の変化や瞳孔の開きかた、など、熊に出会ったことで起こるさまざまな生理的反応を測定することです。そうすれば、そのときそのヒトが熊と出会ったという「環境」にたいして、どのように適応しようとしているのかを見きわめることができるようになります。
そういう考え方でした。
熊に出くわしたヒトに「あなたはそのときどう感じていましたか?」とか「どんなことを考えていましたか?」とか「どのくらいの恐怖感をあじわいましたか?」なんて問いかけることになにか意味があるのでしょうか?
それよりも、そのヒトの手のひらの汗の量、鼓動の速さ、呼吸数などを調べたほうが、より科学的に、そのヒトのおかれた心理的状態をつかめるのでは?
こういう考え方がアメリカの心理学の根っこにはあります。
あまりの恐怖でその場に立ちつくし、熊に気づかれたくないために心をしずめて心拍数をおさえ、発汗をおさえようとしているヒトがいるかもしれません、と手をあげたことがありました。
「先生、その場合、はたから見たら、ただ何もせずに立ちつくしているとしか見えないかもしれませんが、心のなかでは激しい嵐が吹き荒れているかもしれません」
「でも、それはあなたの推測、もしくは想像の範囲を出ませんよね。はたから見たら、まったく恐怖を感じていないか、もしくは、あまりの恐怖にすくみあがって、逃げることすらできないという『行動』をとっていることになりませんか? そして、その硬直した状態も、そのヒトの生理的反応を測定することで、どのくらい硬直しているのか判断することができるはずですが」
そんなふうに先生はおっしゃって、わたしの質問はあっさりとゴミ箱行きになりました。
そのとき、わたしは、ほんとうに、とてもくやしいおもいをしたのです。
愛とは想像力のことだ、なんて言ったのは?
内面は知ることができない。他者の内面を見ることはできない。それはたしかにそうかもしれません。でも、だからこそ、想像力によって、相手の内なる心の状態をおしはかるという考え方が底になければ芸術も文学もなりたちません。
いくら文学と心理学では学問の分野がちがうとはいっても、人文科学や社会科学であつかっているのは「ヒト」という生き物であることに変わりはないのです。
そのヒトの心を物理学とか化学みたいな「自然科学」的方法によって分析しようという考え方にはどこか落ち度があるようにおもえてなりませんでした。
なぜなら、「ヒト」という在り方が、社会とおなじようにあまりにも複雑であいまいなうえに、その「ヒト」の心を分析して、おしまいに結論を出すときに使うお道具も、けっきょく、わたしたちがふだんから使っているこのあいまいな「ことば」(自然言語)というものなのですから、いくら心理学も科学のひとつだ、なんて言ってても、どこか無理があるのではないかしら、とおもってしまうのです。
20世紀のフランスの哲学者サルトルが言ったように「愛とは想像力のことだ」とおもいます。
だからこそ「地獄とは他人のことだ」という彼のもうひとつの名言も生まれたのではないでしょうか。
地獄とは他人のことだ、って?
この社会では他人を意識することなしに生きていくことはできません。でも、他人の視線ばかりを気にしていると、いつのまにか「自分」というものがなくなってしまって、いつしか自分ですら「他人」のように感じられてしまうのでは?
他人への視線、他人からの視線ばかりを意識しているうちに、いつしか自分をすら見失ってしまう。
そんな「視線のからみあい」のなかで生きていかなくてはいけない現代人にとって、「自分」であることすらゆがめてしまうような「他人」はほんとうに恐ろしい酷いものだ、というような意味だとおもいますけれど、これもヒトの「内面」のすごさを物語っているのかもしれません。
他人のこころを「推しはかる(おしはかる)」ことが自分の心を「知る」ことにもつながる。そういうありかたがヒトという生き物であり、わたしたちがつくりあげた社会というものなのだ、とサルトルは言いたかったのではないでしょうか。
ハリウッド映画のひとり勝ち?
ところが、ハリウッド映画が世界を席巻(せっけん)したのは、これとはまるで逆に、想像力によって相手の心のなかを「おしはかる」という努力を必要としない方法を使ったからだとおもいます。
ご存知のように、ウォルトディズニーのアニメ映画などは、登場人物の心の動き、つまり内面の変化は、いくつかの分類分けされた表情と動作だけによって理解できるように作られています。
ミッキーが悲しんでいるのか怒っているのか悩んでいるのか、たとえ国や文化はちがっていても、世界中の子供たちが、ほとんど例外なく理解できるのです。
ことばで説明する必要はありません。想像力を働かせることもいりません。「見ればわかる」のですから。
ミッキーの心のなかのできごとは、そのままミッキーの表情と所作(しょさ)によって表現されているのですから。
他者の内面を「おしはかる」という努力を必要としない、この「行動主義心理学」の原理にのっとった単純でパワフルな方法論によってウォルトディズニーは成功したのでしょう。
いえ、映画(動く絵)という新たな技術が生み出した新たな娯楽そのものの成功は、そのとき、すでに約束されていたのかもしれません。
アメリカではうつ病になったら、その原因をさぐってもしかたがない、それよりも抗うつ剤を服用させれば問題は解決する、という考え方がもてはやされます。
なぜ(why)そうなったのかという問いよりも、いかにして(how)治療すればいいのか、ただそれだけが重要なのだ、と。
いまじっさいに役に立つこととはなんなのかを考えて優先的に実行する、というプラグマティズム(実用・実践主義)です。
この同じ考え方で痛み止めが処方されます。
なぜ痛いのか、どうして痛いのか、そんなことを調べるよりも、とにかくまずは痛みを止めることが大切だ。
それで問題の大部分は解決するはずだ、と。
それも行動主義心理学の考え方をテコにして巨額の富を生みだすことになった製薬会社の方針なのかもしれませんけれど、その抗うつ剤や痛み止めを服用したために、その副作用によってさらなるうつ病におちいり、自殺をするひとが増えてしまいました。また、痛み止めのせいで、ひどい依存症におちいって生活が破綻(はたん)する人があとをたたなくなりました。そして、けっきょく、そういう方たちに多額の賠償金を支払った上に、市場からひきあげなければいけなくなった薬も多くあるようです。
内面に目を向けるのは弱さであり、過去をさぐるのは罪であり、原因をさぐるために時間をついやすことは無意味なのだ、とアメリカはささやきかけてきます。
理論よりも実践。過去よりも未来。
お墓の前でいまさら「じつは愛してた」なんて言われても?
遠くから片思いの相手をながめていても何もはじまりません。まずは勇気をふりしぼって声をかけてみればいいのです。そうすれば何かが起こるし、相手があなたのことをどのようにおもっているのかわかるでしょう。ダメだったらダメなりの、または、OKだったらそれなりの行動が、そこからはじまるでしょうから。
どれほど相手のことをおもっていても、それを自分の頭のなかでふくらませているかぎり、現実世界の状況にはなんの変化も生じないのですから。
愛していたひとのお墓の前で「いままでことばにはできなかったけれど、ほんとうは、あなたのことをずっと愛していたのです」とつぶやいても、時はすでに遅し。
他の人たちの目にも、あなたはその人のことを愛していなかったとしか映ってはいません。
これがアメリカ社会の底を流れている基本的な考え方なのだとおもっています。
日本では「愛する人を亡くしたら死ぬことだってゆるされる」という思いですら受け入れてもらえる文化的土壌がつくられているようにみうけられます。でも、アメリカでは、愛する夫や子供をうしなったひとが、会社に行けなくなって、社会生活から離脱し、家族や友人との連絡も絶って、家に閉じこもり、お酒におぼれたり、自暴自棄なふるまいをしているのを見たとき、最初の数週間は理解の目があるかもしれませんけれど、それが半年くらいつづくと、精神を病んでいるのではないかと心配しはじめ、1年をこえると、なるべくはやく次の女性とデートさせて社会復帰をめざすようにはげまします。
バークレーで知り合った大学院生のお母さんが、そういうプロセスを経て、ホームドクターから抗うつ剤をすすめられ、さらにひどい悲しみに打ちひしがれて、けっきょく精神病院に入れられてしまい、そのあと1年後に社会復帰できたのですけれど、家族や親族とは疎遠になってしまったと聞かされました。
アメリカでは過去にとらわれるのは「精神的な疾患」のひとつだとみなされるからなのでしょう。
精神病院に入れるほど裕福だったことが裏目に出たのかもしれない、と彼女の娘であり、わたしの女ともだちでもあった大学院生は言っていました。
アメリカの底を流れている考え方によって「満足」と「幸福」を得るのはとてもむつかしいことのようにおもえてなりません。
未来をつかもうとして、いつもいつも、前のめりに「現在」を追いかけつづけなければいけないのですから。
けれども、追いかけて、つかもうとする「現在」とは、永遠にうつろいゆく、一瞬にして消え去ってゆく「現在」でしかなくて、わたしたちに満足感をもたらしてくれるものとは、ちょっとちがうのではないでしょうか。
アメリカ人にとっての「現在」は、「いま・ここ」に生きているというよろこびの実感をもたらしてくれる「現在」ではないのです、たぶん。
「しかたがない」という国と「やるしかない」という国のちがいって?
『アメリカと日本の文化の違いとその背景』というエッセイでも述べましたし、このエッセイのはじまりでも書いたのですが、日本人の心の底には「しかたがない」(It becomes so by itself)というあきらめへの誘惑がひそんでいて、アメリカ人の心の底には「やるしかない」(You gotta do it)と叱りつづける義務感がひそんでいるようにおもえてなりません。
一歩を踏み出そうとする気持ちをくじかせるようなささやきと、たえず何らかの行動へと駆り立てようとするささやき。
一見すると正反対に見えるこのふたつは、文化のちがう日本とアメリカにおいて、ひとりびとり異なっているはずの「個人」をひとつにつなぐための粘着剤のような役割を果たしているのかもしれません。
つまり、それぞれ個性的な思いと考えを持ち、育ちも性格もちがう「個人」があつまって、なんとかひとつにまとまった「国」という体裁(ていさい)を保つためには、それぞれの国で暮らしている(移民の方々もふくめて)ひとびと「みんな」がひとつになれるなにかが必要になってきます。
たとえば「自由」を重んじる国アメリカとか、ヒトや自然との「和」を重んじる日本といったふうに、なんらかの「売り」がなければどうしようもありません。
でも、「自由」にしても「和」にしても、それらはあくまでも「象徴的」なものですし、けっきょくは幻のようなものでしょう。
だからこそ「しかたがない」という日本人にありがちな心の姿勢と、「やるしかない」というアメリカ人にありがちな精神性というのは、他のみんなも同じように考えているはずだし、わたしもみんなとつながっているはずだという「まぼろし」の共感をつくりだすための手段のひとつとしては、なかなか効果的なものだったのかもしれません。
「うん、日本人だったら、やっぱりそう感じるはずだよね」とか「アメリカ人だったらとうぜんそう考えるはずだよね」というふうに。
そういう気持ちが芽生えるたびに、わたしたちは、ほかのみんなと同じ文化圏で暮らしていることを「再確認」しているような気分になるはずですし、ほんとうはみんながみんな赤の他人であるはずなのに、あたかもわたしたちはみんながみんな同じ気持ちをシェアしている同胞なのだ、といった幻の「安心感」を得ているのかもしれません。
でも、じっさいのところは、家族がこわれ、結婚というふたりきりの関係もむつかしくなり、ちかごろ話題になっている「孤立」した個人のあつまりばかりになっていくという『超細分化社会もしくは原子化社会』(Atomized Society)が到来しているということですし、ますますそうなっていくらしいのです。
つまりヒトとヒトとの関係は希薄になる一方で、ヒトとマシン、ヒトとAIとのつながりは強くなり増えていくでしょうし、また情報の受け取り方にしてもスマートフォンやスマートウォッチやスマートグラス、またはそれに代わるものとのやりとりのみになって、ますます『ヒューマン個別包装化社会』(わたしの造語でごめんなさい)が一般的になっていくなかで、ムリやりにでも「つながり」を求めさせようとすると、その義務感によって逆によりいっそうの「孤独感」に苦しめられるという、とてもむつかしい時代と社会のなかを生きているようにおもわれます。
バークレーの実験用ハツカネズミは蝶ネクタイをしているか?
ところでラザラス先生お得意のジョークにこういうのがありました。
彼の授業を受けた学生たちはみんなおぼえているはずです。
「ハーバード大学の実験用マウス(lab mouse ハツカネズミ)は蝶ネクタイをしているが、バークレーの実験用マウスはみな『グレートフルデッド』のTシャツを着てマリファナでぶっ飛びながら『イージー・ライダー』を観ているんだよ。だから、彼らを迷路のなかへ落としても、ハーバードのマウスのように必死になって出口をめざしたりはしない。のんびりと音楽を聴きながら迷路のなかをさまよっているのがバークレーの実験用マウスたちなんだ。きみたち実験者の思惑通りにはいかないよ〜、ってね。つまり、行動主義心理学がすべてではないってことを、バークレーマウスたちは教えてくれてるんだ」
宇宙からきたのはどの小石?
ところで、ここにいくつかの小石があります。
どれも似ていて、ちがいを見つけることができません。
けれども、実をいうと、このなかの小石のひとつは宇宙からやってきた高度な知性をもった生命体なのです。
国際宇宙ステーションで採取されたものなのですけれど、当初は軟体動物のような形状をしていて、何本もの触手をそなえていました。そして、こちらが与えた外的刺激にも反応していました。また、機械的な道具などは見あたらなかったのにもかかわらず通信能力をもっており、こちらが使用しているコンピュータ言語と同じものをつかってコミュニケーションを交わしていました。
ところが成層圏に突入してから以降、その形状に変化があり、現在の小石のような形態へと変わってしまったのです。そして、X線や赤外線や紫外線など、さまざまな波長の電磁波をつかって調査しても、地球の河原でひろってきたほかの小石とのちがいがまったくわからなくなってしまいました。
しかも、現在の形状では、触手も何も見あたりませんし、つついても、焼いても、叩いても、水をかけても、振動をあたえても、なんの反応もありません。
どこからどう見てもフツーの河原の小石です。
さて、このなかの小石のどれが地球の河原からひろってきたもので、どれが高度な知性をそなえた宇宙の生命体なのかおわかりですか?
そして、たとえわからなかったにしても、このなかの小石のうち、どれかひとつには知性があるのにちがいない、と信じることには、どういう意味があるのでしょうか?
そして、なにか意味があるのだとしたら、それを知ることは、わたしたちひとりびとりに、どんな影響をもたらすのでしょうか?
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