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  • 執筆者の写真香月葉子

クラシックバレエと舞踏(Butoh)とストリートダンス | Part 3

更新日:4月4日


フラッシュダンスとMTVと暗黒舞踏


BGMはチルアウトでしかもアンニュイ系


 この「Danceはバトル……」を書きながら聴いていたのは、はじめてブレイクダンスを見た1983年当時に夢中になっていた ジャン=リュック・ポンティ(Jean-Luc Ponty)や パット・メセニー(Pat Metheny)ではなくて、2000年以降に聴きはじめた ジル・スコット(Jill Scott)や サブリナ・クラウディオ(Sabrina Claudio)、そして アリーナ・バラス(Alina Baraz)や H.E.R.(Having Everything Revealed : すべてをさらけだして)やスノー・アレグラ(Snoh Aalegra)の歌でした。


 5人の女性はR&B(リズム&ブルーズ)とNeo soul(ネオソウル)というジャンルの歌姫たちです。


 音楽評論家の方たちの分類によりますとオルタナティヴR&B(ちょっぴり風変わりなリズム&ブルーズ)というジャンルにもつま先を浸(ひた)しているようです。


 しかも、5人とも、休日の昼下がりにベッドの中でごろごろ過ごすときに流したくなる、ゆったりとリラックス(chillout)できる感じの、ちょっぴりアンニュイな曲を豊富にもっているので、ヒップホップ・ミュージックを聞いているときのように、とがった(edgyな)内容の歌詞に気をとられることはありません。

 とはいっても、おなじチルアウトなアンニュイ系のものでも、SexyでHotなシアラ(Ciara)の曲などでしたら、若い方たちの場合、きっと心と体の両方をかき乱されてしまうでしょうし、カリードKhalid)みたいに、まだ半分眠りから覚めやらないような声で歌われたら、こんどは寝落ちしてしまって、文章を書くどころではなくなってしまうかもしれませんね。



1983年というCoolでGroovyなハプニング


 思いかえしてみると、1983年という年は特別な年だったような気がします。


 その年がはじまって間もなく、「カーペンターズ」のカレン・カーペンター(Karen Carpenter)が亡くなりました。そのせいか、大学のキャンパスでは彼女の死因だった『神経性無食欲症:アノレクシア・ネルヴォーサ』(anorexia nervosa)ということばをあちらこちらで耳にするようになりました。


 拒食症(アノレクシア)といったほうがわかりやすいかもしれません。


 1960年代後半から70年代にかけて青春をすごしたわたしたちの世代は、たぶん13、4歳のころからバート・バカラック(Burt Bacharach)の映画音楽に染まっていた子たちが多かったはずです。しかも世界的(globally)に。だからこそ、わたしをふくめて、女子校に入ったころから流行のきざしをみせはじめたカーペンターズの曲にはすぐさま身をゆだねることができたのだと思います。


 それだけに、後年、カレン・カーペンターが亡くなったというニュースを耳にしたとき、胸がつぶれるような悲しみと痛みを感じた人は多かったはずです。


 わたしも例外ではありませんでした。


 わたしたちの青春をいろどってくれたひとつの象徴的な存在(Icon)が消えてしまったのですから。


 ところが、その悲痛な出来事のすぐあとに、こんどは映画『フラッシュダンス』(“Flashdance”)が大流行しました。


 まるでうららかな春の日の突風みたいに甘美な衝撃でした。


 会うこともできない遠い人カレン・カーペンターにたいする哀感はたちまち薄れてしまいました。そのかわりに、元気いっぱいのダンスシーンが元気いっぱいのBGMに乗って、つぎからつぎへと目のなかに投げこまれてくる映像に、わたしたちの五感は麻痺(まひ)させられたのです。


 でも、そのような映像に身をゆだねるのが初体験だったわけではありません。


 映画『フラッシュダンス』があらわれる2年前にはすでにMTVという放送局が生まれ、1983年をむかえたときには、友だちとのあいだで音楽の話題が出たとき、なくてはならないものになっていました。


 新しい感性による映像の誕生でした。

 映画のなかで、ふいに会話が消え、波の音や風の音や街の騒音などの環境音が聞こえなくなり、ストーリーの流れとは関係のないようなコマ切れのイメージが、おしゃれなBGMに乗ってわたしたちの目と耳を奪いはじめたのです。

お話の論理的なすじみちや内容よりも、映像と音楽がひとつに抱きあった断続的なイメージがあたえてくれる雰囲気のほうに、よりいっそうの魅力があるように思えました。

 あのころ、サンフランシスコ・クロニクルやエグザミナーといった大手地方新聞で目にした映画評論を思い出すと、「テレビで見るCMとたいしてちがいのない映画」という評が多かったようなおぼえがあって、わたしはちょっぴりカチンときました。


 なぜかといえば、1960年代後半から70年代前半にかけて、わたしたちの世代のなかでも、とくに洋画好きだった人は、クロード・ルルーシュ監督と作曲家フランシス・レイのふたりによるMTVの先駆け映画に恋をした時期があったからです。


 表向きにはジャン=リュック・ゴダールが好みのようにふるまってはいても、ひとりになったときには、フランシス・レイの映画音楽を聴きながら、クロード・ルルーシュ監督やミシェル・ボワロン監督の甘淡い映像をおもいだして、胸をキュンとさせていたのをおぼえています。


 とにかく、映画『フラッシュダンス』のブームとともに、つややかで伸縮自在のレオタードというダンス&エアロビクス用の衣服と、ふくらはぎを包みこむレッグ・ウォーマーを、まるで普段着のように身につけた女の子たちを見かけるようになりました。


 レオタードを着てGUESSジーンズをはいただけの女の子たちが、キャンパスを闊歩(かっぽ)し、教室の前のあたりの席を占領しはじめたのです。


 ライクラ(Lycra)という合成繊維が使われているかどうかが服をえらぶときの決め手になりました。

 わたしの女ともだちも、そのころから、ときどきレオタードにミニスカートをまとっただけの姿で、約束の場所にあらわれるようになりました。

レオタードは、女の子それぞれがもっている胸のふくらみを、それぞれの形をくずさないまま、ひきしめ、ととのえてくれるので、見るほうの目にも心地よく、とてもステキな流行だったとおもいます。

 そのブームを追いかけるようにして、Part 1で読んでいただいたマイケル・ジャクソンの『Billie Jean』とムーンウォークのお披露目(ひろめ)があり、夏休みがはじまってほんのすこしのあいだ落ちついたかと思ったら、こんどはPart 2で説明したように、オークランドからやってきたB-boyたちのブレイクダンスがはじまりました。


 1983年は、とても思い出深い、カラフルな年だったのです。


みんなでいっしょに踊っても『群衆のなかの孤独』になっちゃうかも


 いまの若い方たちは、幼いころからブレイクダンスを楽しんだり、新体操を学んだりしているのだとおもいます。


 わたしたちが子供時代に学校で教えてもらったダンスといえば、みんなでいっしょに踊るフォークダンスでした。


 踊る相手をつぎからつぎへと替えていくため、片想いの相手に順番がまわってきたときには、ワクワクドキドキして、胸の高鳴りが聞こえてしまうのではないかと心配になり、手のひらも緊張のせいでしっとりと汗ばんでしまったのをおぼえています。


 そのせいなのでしょうか、いまでも、ワルツやタンゴやサルサ、チャチャチャやサンバやルンバなど、ようするに社交ダンス(Social Dance)と呼ばれるものを踊っているカップルを目にすると胸がときめきます。

 叶えられた願いよりも叶わなかった願い(unanswered prayer)のほうが、より長いあいだ人生に楽しみをもたらしてくれるのかもしれませんね。


 いまでは、YouTubeのおかげで、競技ダンスと呼ばれるものだって、クリックひとつで楽しむことができます。

 フレッド・アステアとオードリー・ヘップバーンがふたりで踊るシーンにしても、そのうちいつかテレビの『洋画劇場』で放映されるだろうと首を長くして待つことはいりません。


 いつでも見ることができます。


 しかも居間にあつまって家族といっしょに見るための気づかいはいりません。


 または自分のお部屋で友だちや恋人と見るための約束もいりません。


 自分の手のひらのなかで、いつでも、どこでも、その映像を見ることができます。


 核家族(nuclear family)というのは、夫婦もしくは親子だけの家族ですけれども、いまではひとり暮らしの方でなりたっている単独世帯(single household)が、いままでにないスピードで増えているそうです。

これから先は、人がみな、タピオカみたいに、ひとりびとり粒子化(つぶつぶ化)して、スマートフォンとだけ深い関係をきずいていくのでしょう。 

 そんなアトマイズさせられた社会と時代への予感がしてきます。


 じっさい、いまでは Atomized Society(超細分化社会)という言葉すらあるようです。


 これを書いているあいだ、なぜか、ダンスの世界でも、それと似たようなことが起こっているのではないかと感じられました。


 みんなで踊るためのダンス、もしくはカップルのためのダンスではなくて、いまでは自分独自の表現を追いもとめるダンスが主流になってきているように思えるのです。


 盆踊りやその親族ともいえるパラパラダンス、そしてフォークダンスのように、ある共同体のなかで暮らしている人たちのつながりや、その地域へのさまざまな思いを強めてくれる踊り、または社交ダンスのようにふたりの関係をたしかめたりアピールしたりするためのダンスとはちがって、踊るためのパートナーすら必要としない自己表現のためのダンスが増えてきているような印象を受けます。


 自分よりも大きななにかのため、とか、自分とはちがうだれかのため、ではなくて、よりいっそう現代美術(modern art)の世界で重んじられていたオリジナリティの追求に向かっているような気がするのです。


 つまり、すでに確立された伝統的な形式だけに従うのではなくて、『伝統の外部にいるさまざまなアーティストに感化(inspire)され、彼らから会得(master)したものに自分独自のものをつけくわえる』という自由の息吹(いぶき)が感じられてしかたがありません。


 それがプロフェッショナルのダンサーだけではなくて、わたしたちのような一般人のあいだでも、とても大切な価値として受けとられている気がします。


 個人の主体性(subjectivity & identity)がいちばん大切、という考え方です。


 もちろん、いまの時代でも、主役のミュージシャンや歌手をもりたてるために背後で踊っているバックダンサー(backup dancer)の方たちがおられます。


 そういう方たちは、踊りながらも、たえずご自分のまわりにいる踊り手の方たちを見ておられて、同時に、全体の動きやショーの流れにも気をくばっておられるでしょうから、そういう意味では自分よりも大きななにかのため、とか、自分とはちがうだれかのためのダンスをしていることにもなります。


 プロフェッショナルの方たちでしたら、そうすることで生計を立てておられるのですから、自己表現はできるかぎり控えめになさっていることでしょう。

 でも、そういう方たちが、ひとりでYouTubeやInstagramやTikTokなどにダンス動画をアップロードなさるとしたら、どんな踊りを見せてくださるのでしょうか?


 わたしたちにダンスを教えるための教育的なビデオのほかにも、オリジナルでユニークな踊りを披露してくださるのだと思います。


 たとえばワンミリオン・ダンス・スタジオ(1Million Dance Studio)の創設者で振付師のリア・キムさんなどはその良い例です。


 たぶんこれが時代の流れなのでしょう。


 ちょうど単独世帯が増えているのと同じように、ソロダンスが主流を占めていくのはしかたのないことだと思われます。

それとも、そんな〈人生の孤島化〉を払いのけるようにして、みんなで一緒に踊ることのできるダンス、みんなの肉体と魂(body&soul)をみんなでシェアできるようなダンス、踊ることでヒトとヒトとのつながりを深めることができるようなダンス、などが再熱のきざしを見せるのでしょうか。

 楽しみでしかたがありません。


ダンスはダンス、HighもLowもありませぬ


 ちょうどわたしがアメリカで暮らしていたころに、大学のキャンパスでは〈ポストモダニズム〉と〈脱構築〉が流行中でした。


 そのせいで、クレメント・グリーンバーグという美術評論家の先生が提案なさった前衛vs後衛(アヴァンギャルドvsキッチュ)という美術の評価方法から生まれたといわれる高級芸術vs大衆芸術の区分けそのものが、ほとんど意味をなさなくなっていました。


なにが高級芸術(High Art)で、なにが大衆芸術(Low Art)なのか、わからなくなってきたのでしょう。


 もともとそんな境界線はなかったのだという方たちも増えてきました。


 とくに、60年代にあらわれたアンディー・ウォーホールのポップアートなどは「こっちの芸術はホンモノで洗練されていて高級だけど、こっちはニセモノっぽくてヤボったくて大衆向けだね」という分け方そのものを問題にしなくなったのです。


 キャンベルのスープ缶とモナリザが同じレベルであつかわれるようになりました。

 マリリン・モンローが身につけていた下着や映画『イージーライダー』で使われたチョッパーといわれる改造オートバイそのものが、ピカソの絵画やジャコメッティの彫刻と同じ価値をもつ美術品としてあつかわれ、ギブソンのエレクトリック・ギターといっしょにMoMa(ニューヨーク近代美術館)で展示される時代がおとずれる前ぶれでもありました。


 わたしたちの世代の方でしたら、舞踏(Butoh)ということばを耳にしたとき、土方巽(ひじかた たつみ)さんがおつくりなった『暗黒舞踏』や天児牛大(あまがつ うしお)さんの『山海塾』に共通した、体のすみずみまでをも白く塗り、スキンヘッドで、しかも、ほとんど全裸に近いかっこうで踊るダンサーたちを思いうかべるかもしれません。


 澁澤龍彦さんのものを読んでいるときに知った笠井 叡(かさい あきら)さんもそういう〈舞台意匠〉を凝らしておられました。


 いまでは、ベビーメタル(Baby Metal)を背後でささえている神バンドの方たちが、そのような化粧と衣裳で演奏しておられます。


 わたしは、舞踏家のなかでは、勅使河原三郎(てしがわら さぶろう)さんの踊りが大好きです。


 西洋のものとも日本のものとも言えない空間のなかで、リズムと息づかいと肉体のゆらぎがひとつに溶けあって、しかも勅使河原さん独自(singular)のフレーズが緩急自在にくりだされ、高度に洗練された美しい動きを見せてくださいます。


 ところで、1960年代初頭に「暗黒舞踏」が登場したとき、正統的な舞踏界の方たちからは「テクニックのない素人の情念の踊り」と批判されてさげすまれたそうです。

 わたしも、当時、「暗黒舞踏」が舞踏界の異端児としてあつかわれていたことは、いろいろな書き物で目にしたことがあります。

でも、あのころの青春にとっては、『異端』であるほうが、もしくは『アンダーグラウンド』であるほうがカッコいいし、そちらのほうがほんとうはスゴいのだ、という見方も強かったので、あまり気にはとめていませんでした。

 ただ、「いまの世で何歩も先に進んでいるものが、のちの世ではスタンダートになる」というような意味のことを、あの当時、わたしのまわりにいた女の子や男の子たちが呪文のように唱えていたこともあって、いまでは世界的に評価されるまでになった日本の「舞踏」(Butoh)をつくりだした先駆者の方たちを思い出すたびに、ふと胸が熱くなってしまいます。






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