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執筆者の写真香月葉子

ディープステート(軍産複合体)と巨大製薬会社の危険性について|ドワイト・D・アイゼンハワー大統領が退任演説(1961年)で放った警告がヤバすぎる

更新日:3 日前


 1961年1月20日にジョン・F・ケネディは米国大統領としての就任演説をおこないました。


 そのちょうど3日前の1月17日には、ドワイト・アイゼンハワー大統領が全米にテレビの生中継で退任演説をおこないました。


 そのなかでアイゼンハワー大統領は、はじめて軍産複合体の存在を公(おおやけ)に明かして警告を発したのです。


 また、今回のコロナ騒動の陰の立役者ともいえる医療産業複合体Medical-industrial complex)を支えている巨大製薬会社(ファイザーやモデルナやアストラゼネカ)と政府機関NIHCDCとの癒着(ゆちゃく)への可能性をすら暗示する警告を発していました。


 年々、研究者の数が増えつづけ、新たに発表される科学的論文の数も増えつづけてはいるけれども、社会全体に寄与するような新たな発明と発展の結果はあまり出てきていない、とされている現代的な問題についても暗示されています。


 スマートフォンやコンピュータやAIなど、わたしたち一般人の目には、めまぐるしく社会が変化しているようには見えますけれど、それらを支えている発明はほとんど半世紀前になされたものばかりだそうで、現在はただ過去の発明を技術的に実用化できるようになっただけのことであって、ほんとうの意味で科学(science)を推し進めるために必要な革命的な考えや発明の数は、じつのところ1960年代からずっと下り坂になっている、という統計データがあらゆる分野に共通して出てきているらしく、現在、世界レベルで科学者たちの心配の種になっているようです。


 大手メディアをにぎわせている華々しいサイエンス・ニュースとはちがって、現実には科学の分野が全般的に重篤(じゅうとく)な病にかかっているのだそうです。


 その原因のひとつが、たとえばイーロン・マスク氏のいう「官僚主義があまりにも巨大で複雑になったために、なにか新しいことを試したくても、膨大(ぼうだい)な役所の手続きが必要になるために、それが足かせになって、なかなか斬新な研究に着手することができない」という問題、つまりアイゼンハワーが暗示していた問題にもつながっているようにみうけられました。


 それに、子供時代からの知的好奇心にかられて自然と人間社会の謎に挑んでいるような研究者に、国(公共機関)や個人投資家が助け舟を出してくれるような時代は、とっくの昔に終わってしまったということです。


 どんな種類の研究にどんなふうに手をつけたら、その研究費のための「補助金や助成金」を得ることができるのだろうか。

 まず最初にこのことを考えないとどんな研究も不可能だというのが現状なのだそうです。


 それが企業から流れてくるお金でしたら、なおさらのことでしょう。


 とうぜん、その企業の利益にむすびつく結果を出さなければいけないでしょうから、たとえば新薬が生み出した副反応などにかまっている余裕はないかもしれません。


 しかも企業に不利益をもたらすような論文や言説はみずから検閲(けんえつ)していかなければ、真に夢に見ていた研究ですらもが、将来、続けられなくなってしまう可能性があります。


「いまはウソをついたりちょっぴりデータをいじくったりして不正をしなくてはいけないが、それも本当の目的を達成するためにはしかたのないことだ」

「真実は知っているけれども、自分の将来と家族の生活をほろぼすようなことはしないほうが身のためだ」

 口は災いの元。内部告発は死の宣告。けれども…未来の子供たちと社会全体のことを考えたら…。

 そんな葛藤に苦しんでいる清廉(せいれん)な研究者の方々が、いまも、どこかにおられるかもしれません。


 それとは逆に、自分たちがおこなっている研究には意味がなく価値もなく興味も失ってはいるけれども、生活のためにはしかたがないので、あたかも価値があるフリをしながら続けているだけだ、とアンケートにこたえた科学者が78%にもおよぶという数字も出ているようです。


 残念なことに科学の恩恵は見えにくいものです。

 新しい発明や技術がもたらしてくれた驚きも、また、その便利さにたいするありがたさも、たちまち色褪せ、あたりまえのことになって日常生活に溶けこんでしまいます。

 発明してくださった方たちとそれを実用化してくださった技術者の方たち、そして、それを商品化してくださった会社や企業にはもうしわけないのですけれど、情報の洪水のなかを泳いでいる現代人にとっては、それもしかたのないことだとおもわれます。


 そのくせ、科学技術の発展による弊害だけは、かならずはっきりと目に見えるようになる、というのが歴史が教えてくれた真実のひとつなのかもしれません。


 そして、その弊害を受けるのは、たいてい、科学の専門知識と情報の外におかれているわたしたち一般市民です。

 とくにその弊害が戦争のための道具、人殺しのための道具によってもたらされたとき、世界はどのような姿を見せるのでしょうか…。


 以下はアイゼンハワー大統領の退任演説からの抜粋を意訳したものです。



ジョン・F・ケネディ(左)とドワイト・アイゼンハワー(右)の写真
ジョン・F・ケネディ(左)とドワイト・アイゼンハワー(右)


 平和を保つために欠かせないものは軍事施設です。

 わたしたちの武器は強力なものでなければいけません。

 こちらを攻撃してくる恐れのある敵が自滅の危険をおかしてまで攻撃をしようとはおもわなくなるくらいに強力で、しかもすぐさま反撃できるものでなければいけません。


 今日のわが国の軍事組織は、戦争がない時期にわたしたちの先祖が理解していた軍隊というものではありません。

 また、第二次世界大戦や朝鮮戦争で戦った人たちが知っていたものとも、まるで似ても似つかないものです。


 つい最近の世界紛争、つまり第二次世界大戦が起こるまで、米国には軍需産業というものがありませんでした。

 もちろん農具のひとつである鋤(すき)を作っているアメリカの会社だって、時代の要求に応じて剣(つるぎ)を製造する会社になることはできるでしょう。

 けれども今は国を守るために戦争がはじまってから性急に手を打つという危険をおかせない情況なのです。

 ですから、わたしたちは平和時から巨大な規模の軍需産業を常に稼働させておく必要にかられました。

 加えて、350万人の男性と女性がじかに国防関係の機関で働いてもいます。

 そのため、わたしたちは、毎年、米国企業全体の純利益を超える額を軍事安全保障に費やしているのです。


第二次世界大戦の戦場で戦う米国兵士たちの写真
第二次世界大戦の戦場で戦う米国兵士たち

 この膨大な軍事機構と大規模な武器産業との結合は、いままでアメリカが経験したことのないものです。

 この結合がわが国全体におよぼす影響、たとえば経済に、そして政治に、あるいは精神面にさえおよぼす影響は、あらゆる都市や、あらゆる州議会だけではなく、連邦政府の省庁のすみずみにまで感じとることができます。

 もちろん、この軍事機構と武器産業が結合するという事態がやむをえないものであることをわたしたちはわかっています。

 けれども、このことがおよぼす重大な影響を理解しそこなってはいけません。

 わたしたちの労働、資源、そして生活のすべてが関わっていますし、もちろんわたしたちの社会の構造そのものが関わっているからです。


 政府の審議会において、それが議題になるかどうかに関わりなく、軍産複合体(military-industrial complex)が不法な影響力を得ることにたいして注意を怠ってはいけません。

 仕える相手をまちがえている権力の暴走を食いとめることができなくなる可能性がありますし、その危険性はこれから先も続くおそれがあるからです。

 この軍産複合体の勢力によってわたしたちの自由や民主的な手段が危険にさらされることを決してゆるしてはいけません。

 そうなるのもしかたのないことだ、なんて考えるべきではありません。

 警戒を怠らない豊富な知識をそなえた市民だけが、防衛のための巨大な産業と軍事機構を、わたしたちの平和的な手段と目標にきちんと沿うようにうながすことができますし、そうすることによって、わたしたちの安全と自由も共に繁栄できるのです。


戦場の兵士の合成写真
戦場の兵士

 ここ数十年にわたる技術革命が、産業・軍事態勢における大変革をもたらしました。

 この変革においては研究が中心となっています。同時に、研究そのものもいっそう多くの公的な手続きを必要とする複雑なものになっていますし、費用もかさむようになってきました。

 着実に増えてゆく研究費への財源の配分は、わが国の政府(アメリカ合衆国連邦政府)のために、政府によって行われるか、もしくは政府の指示によって行われます。


 いまの時代では、自分の作業場で創意工夫にはげんでいる孤独な発明家は、さまざまな研究所や実験場を仕切っている科学技術特別委員会の存在によってますます影が薄くなってきています。

 同じように、昔から自由なアイデアと科学的な発見の源だった自由大学も、研究のやり方に関して大きな変革を強いられています。

 つまり、政府との契約を得るということが、事実上、知的好奇心に代わるものになってしまったのです。

 その理由の一部は、研究というものに莫大な費用がかかるということなのです。

 すでに現在では、古い黒板一枚ごとに何百もの新しい電子計算機が設置されています。


さまざまな薬物の写真
薬物

 政府が人を雇うときの決まりや、また事業計画の割り当てだけではなく、おカネの力によっても国内の学者たちが支配される可能性はつねにありますし、深刻に考慮されなければいけない問題です。

 ただし、科学的研究と発見を尊重する一方で、公共政策そのものが科学技術のエリート層に支配されるという逆の危険にも注意を払わなければいけません。


〈中略〉


 この世界の均衡(きんこう)を保つために必要な要因には時間の要素も関わってきます。

 社会の未来へ目を向けてみると、わたしたち、つまり、あなたとわたし、そしてわたしたちの政府は「いま」だけが良ければそれでいいという衝動に駆られてはいけません。

 いまのわたしたちを楽にさせ便利にさせてくれるからという理由で、未来の子供たちのための貴重な資源を使い果たすようなことをしてはいけないのです。

 未来の世代に残すはずの物質的な資産をも抵当(ていとう)に入れてしまったら、わたしたちの未来の子供たちは、わたしたちがつちかってきた政治的・精神的遺産をも失う危険にさらされてしまうでしょう。

 わたしたちは民主主義というものが破産してしまった未来のまぼろしになるのではなく、これから先も、すべての世代にずっと受け継がれてゆくことを望んでいます。




【補足】

1947年に歴史家のチャールズ・ビアードはハリー・エルマー・バーンズにたいしてつぎのように語ったそうです。

「ルーズベルト大統領とトルーマン大統領の外交政策を説明するときには『永久平和のための永久戦争』(Perpetual War for Perpetual Peace)という言葉がもっとも適切だね」と。

 おなじく歴史家だったバーンズは、1953年、戦争に関するさまざまな学者たちのエッセイをあつめて編集した自著のタイトルとしてこの永久平和のための永久戦争ということばを使用しました。

 このことばは、2001年9月11日の米国同時多発テロによって米国がふたたび戦争へ突入しようとする矢先の2002年に、作家ゴア・ヴィダルが同名タイトル『永久平和のための永久戦争:アメリカはどうしてこれほど世界中から憎まれるようになったのか』のエッセイを出版して、政府の出鼻をいちおう「思想的」にはくじいたかたちになりました。

 当時の米国政府は、ほんわかお坊っちゃまくんのジョージ・W・ブッシュ大統領を表において、裏では超タカ派の戦争屋(warmonger ウォーモンガー)で知られるドナルド・ラムゼフェルドとディック・チェイニーがじっさいの政治をおこなうという、まさに「大河ドラマ」などでおなじみのバカ殿と腹黒い策略家の老中の関係そのものの構図でイラク戦争はすすめられていきました。

 それを背後から推し進めていたのがアイゼンハワー大統領が明るみに出した軍産複合体(いわゆるディープステート)でした。

 ドナルド・トランプ大統領『ディープ・ステート』ということばを使ったせいで大手メディアから『陰謀論者』(conspiracy theorist)というレッテルを貼られることにもなった元凶でもあります。

第34代アメリカ合衆国大統領ドワイト・D・アイゼンハワーのポートレート写真
第34代アメリカ合衆国大統領ドワイト・D・アイゼンハワー

原文:意訳した箇所のみ】


A vital element in keeping the peace is our military establishment. Our arms must be mighty, ready for instant action, so that no potential aggressor may be tempted to risk his own destruction.


Our military organization today bears little relation to that known by any of my predecessors in peace time, or indeed by the fighting men of World War II or Korea.


Until the latest of our world conflicts, the United States had no armaments industry. American makers of plowshares could, with time and as required, make swords as well. But now we can no longer risk emergency improvisation of national defense; we have been compelled to create a permanent armaments industry of vast proportions. Added to this, three and a half million men and women are directly engaged in the defense establishment. We annually spend on military security more than the net income of all United State corporations.


This conjunction of an immense military establishment and a large arms industry is new in the American experience. The total influence-economic, political, even spiritual-is felt in every city, every state house, every office of the Federal government. We recognize the imperative need for this development. Yet we must not fail to comprehend its grave implications. Our toil, resources and livelihood are all involved; so is the very structure of our society.


In the councils of government, we must guard against the acquisition of unwarranted influence, whether sought or unsought, by the military-industrial complex. The potential for the disastrous rise of misplaced power exists and will persist.


We must never let the weight of this combination endanger our liberties or democratic processes. We should take nothing for granted. Only an alert and knowledgeable citizenry can compel the proper meshing of the huge industrial and military machinery of defense with our peaceful methods and goals, so that security and liberty may prosper together.


Akin to, and largely responsible for the sweeping changes in our industrial-military posture, has been the technological revolution during recent decades.


In this revolution, research has become central; it also becomes more formalized, complex, and costly. A steadily increasing share is conducted for, by, or at the direction of, the Federal government.


Today, the solitary inventor, tinkering in his shop, has been over shadowed by task forces of scientists in laboratories and testing fields. In the same fashion, the free university, historically the fountainhead of free ideas and scientific discovery, has experienced a revolution in the conduct of research. Partly because of the huge costs involved, a government contract becomes virtually a substitute for intellectual curiosity. For every old blackboard there are now hundreds of new electronic computers.


The prospect of domination of the nation's scholars by Federal employment, project allocations, and the power of money is ever present and is gravely to be regarded.


Yet, in holding scientific research and discovery in respect, as we should, we must also be alert to the equal and opposite danger that public policy could itself become the captive of a scientific-technological elite.



Another factor in maintaining balance involves the element of time. As we peer into society's future, we-you and I, and our government-must avoid the impulse to live only for today, plundering, for our own ease and convenience, the precious resources of tomorrow. We cannot mortgage the material assets of our grandchildren without risking the loss also of their political and spiritual heritage. We want democracy to survive for all generations to come, not to become the insolvent phantom of tomorrow.



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