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  • 執筆者の写真香月葉子

合成写真とAIの日々

更新日:1月27日

 ついさきほど、たそがれの空もようを写真にとってきました。

 どういうきっかけで、あでやかな茜色(あかねいろ)にそまった雲を写したくなったのか、わかりません。

風景はむこうがわにあるもの、わたしの外にあるものではなくて、もしかしたら、みずからの心もようが見つけてくる〈写し絵〉なのかもしれませんね。

 ふと、そんなことをおもいました。


ポラロイドで撮影したシカゴのハイドパークの夕暮れ。
ポラロイドカメラで撮影したシカゴのハイドパークを染める黄昏 | 1987年

 うれしいとき、悲しいとき、くやしいとき、イライラしているとき。

 その、ときどきの気持ちにあやつられた目が、ぐるりとあたりを見まわして、ちょうどそのときの心もように、そっとやさしく寄りそってくれる、そんな風景をさがしだしてくるのかもしれません。


 いまでは、スマートフォンのおかげで、いつでもどこにいても、かんたんに写真をとることができます。

 しかも、ちょっと前でしたら、写真で生計をたてておられる方たちにしかとれなかったような写真を、いまでしたら、わたしのようなまったくのシロウトがとることすらできます。

 もちろん、〈それらしきもの〉がとれる、という意味でしかありませんけれど。


 ずいぶん昔のことになりますが「わたしにも写せます」というCMがありました。

 そのことばどおり、いまでは、いろいろな意味で、どなたにでも、おもわず声をもらしてしまうくらいに見映えの良い写真を写すことができます。

 たとえば版画のように、または水彩画のように、ときには油絵のように、そうかといえばスケッチ画風、もしくは漫画風に。

 それどころか、名のある写真家の方たちそれぞれの、そのユニークな撮り方とフィルムの質感を、かなりそっくりに再現することすらできるようになっているようです。


シャボン玉に乗った象の合成写真
不思議な夢を見せてくれる合成写真

 デジタルの技術とAIのおかげで、写真を加工するのはあっという間のことですし、さまざま、できることも、どんどん増えてきて、もう、ほとんど無限に近づいているとしかおもえません。

 100年前や、それよりもっと昔の銀板写真(ダゲレオタイプ)に写っていた人物ですら、いまではAIのパワーで現代風によみがえらせることができます。


 合成写真(フォトモンタージュ)といわれるものですら、手のひらの上でちょんちょんスッスッと指をうごかすだけで、かんたんにできあがります。

 渋谷駅の忠犬ハチ公や上野公園の西郷隆盛さんの像に、目までかくれそうな不織布マスクをつけさせることだって、とてもかんたんにできます。

 高層ビルディングにくしゃみさせたり、交差点でずらりと向かいあった自動車に〈にらめっこ〉させたり、夕焼け空いっぱいに色あざやかな気球をうかべることだって、ちょんちょんスッスッでおもいどおりです。

 

風景と少女たちの合成写真
にぎやかで楽しい合成写真
どこまでが〈そのままのもの〉で、どこからが〈手をくわえられたもの〉なのか、いよいよわからなくなってきました。

 わたしたちの指先で、現実そのものを変えることはできなくても、いまそこにある人や風景を変えてしまうことができるのですから。

 とまどいは感じますけれど、たのしくもあり、また、不思議でしかたのない、まるで魔術のような技術にふれることができてワクワクしています。

 今日は、さきほど目にした茜色の空のおかげで、いろいろと考えさせられ、さまざまなことを教えられました。






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