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AIバブルの崩壊とAIデータセンターの終焉は近い? | 情報統制および監視国家への移行

  • 執筆者の写真: 香月葉子
    香月葉子
  • 5月26日
  • 読了時間: 42分

更新日:3 日前



ものごとが大きくなると、信用できなくなる
When things get bigger, I can't trust it.

ーデヴィッド・ボウイー


ようするに「自分には隠すことなんて何もないからプライバシーの権利など気にしない」と主張するのは「自分には言うことが何もないから言論の自由など気にしない」と言っているのとおなじことだ。

ーエドワード・スノーデンー


目次

①毎日原爆23個分?
②バブルはバブル、しょせん、バブル?
③だから、だれに守られてるの?
④創造的破壊によって発展していくのが資本主義経済なのだから…?
⑤あなたのお仕事は盗ませてもらったので、もう、あなたにお仕事はありません
⑥そもそも大規模言語モデルってなんなの?
⑦ヒトはそうではありません
⑧で、生成AIの正体って?
⑨経験の搾取のはじまり?
⑩ヒトがヒトであるための不完全さ
⑪人間モドキの感情に意味はない
⑫ニンゲンを超えるAGI(汎用人工知能)を開発する、という大嘘
⑬リーマン・ショックを超えるほど?


毎日原爆23個分?


 3月末ごろ、米国では「No Kings:王はいらない」デモに800万人以上のひとびとが参加したというニュースが流れていました。


 4月に入ってからは、この運動が欧州にまで飛び火して、1500万人のひとびとがデモに参加したというニュースを目にするようになりました。


 おなじように周辺住民による「Anti-Data Center Movement:AIデータセンター反対運動」も拡大の一途をたどっているようです。


 AIデータセンターから発せられる騒音がひとびとの健康を害するだけではなく、周辺地域の水源を汚染し動植物の生活圏に悪影響をもたらし、いまだかつてないほど環境を破壊しているためだというのがその理由だそうです。


AIデータセンターの冷却タワー
AIデータセンターの冷却タワー

 たとえば一般的なAIデータセンターの施設ひとつに必要な土地の広さはウォルマート2,000店舗分で、その施設ひとつに必要な電力量は9ギガワットになるそうです。

 その電力量がだいたいウォルマート40,000店舗分だとされています。


 しかも一般的なAIデータセンターの施設ひとつが、毎日、発生させる熱エネルギーの量は原爆23個分にも匹敵するのだそうです。


 この表現が「大げさすぎる」として、データセンター反対運動のひとびとの誇張表現だと否定するデータセンター擁護主義の方のビデオが Tiktok などで超話題になって拡散(ヴァイラル: viral)しているようですけれど、その方の見解そのものが研究者からは批判されています。


 また、現在、ほとんどのデータセンターで、都市部から離れた場所につくられているのにもかかわらず、じっさいにその周辺地域で気温が数度上昇するというヒート・アイランド現象が起こっていることが証明されています。


 もちろん冷却のために湖や河川の水量が減少するほどの水を必要とするという事実も問題になっています。


 くわえて、グーグルやメタやOpenAIなどのグローバルIT企業からの巨額の資金がなだれこんで土地の売却がおこなわれているため、周辺の町々のアパートメントの家賃などが、たとえば650ドル(10万円くらい)から2,000ドル(およそ30万円)まで急激に上昇しているような事態にもなっています。


 そして、このようなAIデータセンターに膨大な電力を供給しなければいけない、という理由で(もちろんIT企業から州知事や州の議員さんたちへ流れていくワイロも多額ですが)ひとびとが暮らしている街全体が停電にみまわれたり、データセンターのある州で電気代が30~40%あがったり、計画停電を強いられたりするような状況にいたっているというのが米国の現状です。


 そういう理由からもAIデータセンター反対運動が全米に拡大しているのかもしれません。


データセンター内
データセンター内

バブルはバブル、しょせん、バブル?


 けれども、ひとびとの不安と怒りとはべつに、投資家たちが手をひいたらAIバブルは一瞬にして破裂するほど脆弱なものだ、といわれています。


 また、中国からデータセンター建設に必要な資材を手にいれることができなければ、すべては泡となって消えてしまうのではと懸念されてもいます。


 もとはといえば、ドローン戦争に多大な貢献をしている「スターリンク」のイーロン・マスク氏や「Open AI」のサム・アルトマン氏、そして「パランティア・テクノロジーズ」のピーター・ティール氏、Amazon のジェフ・ベゾス氏やメタのマーク・ザッカーバーグ氏、そして「Google の初代CEO」ラリー・ペイジ氏などを支えてきたのは、彼らのようなコンピュータ・オタク(Computer Nerd)に着目した古くからの財閥や機関投資家たちがマサチューセッツ工科大学(MIT)の親元でもある国防高等研究計画局(DARPA:ダーパ)などを通して投資してきたおかげであって、彼ら自身がみずからの腕力と実力でそこまでのぼりつめたわけではありません。


 あくまでも、旧財閥が支配する建設業や重機などをふくむ製造業(レンガとモーター : bricks and motor)や小麦粉や食用油などに代表される食産業に白羽の矢を立てられた(the chosen one)ヒトたちなのです。


 イーロン・マスクのように愛人とのあいだに子供をもうけながらも独身生活をつづけている方や、もしくはスティーヴン・ジョブズのように核家族を保ちながら人生を終えた方たちは、一般向けメデイアにおいてはセレブのあつかいを受けてはいますけれど、過去200年にわたって社会的インフラのほとんどをコントロールしてきた支配層の財力と実践的知識、また政略結婚による政治・司法・経済における緊密なコネクションを超えることは、もともと不可能な話であり、絵空事なのです。


 もちろん、そのような支配層に選ばれるのは、一時期日産自動車を仕切っておられたカルロス・ゴーン氏のように、株主の利益のためにはなんのためらいもなく従業員(幹部もふくめて)を解雇してコスト削減をおこなえる資質をお持ちの方々なのはとうぜんでしょう。


 大手株主たちは自分たちの思惑通りの企業戦略をおこなうCEOや数人の幹部たちだけに莫大な報酬をあたえます。


 自分たちの思惑通りの政策をおこなう政治家たちを擁護しつつ利用するのとおなじです。


 巨大な組織において決定権をにぎっている5本の指にも満たない人間だけに莫大な報酬を払うほうが、末端にいたるまでの労働者の給与や賃金をあげるよりもはるかに「安上がり」で効率が良いのはとうぜんでしょう。


 音楽業界でポップスターを作りだすのと同じように計画的につくりだされたのがイーロン・マスク氏やサム・アルトマン氏などに代表されるITセレブたちなのですから。


 もちろん彼らがマーケティングに関して並外れた才能をお持ちの方々であることはたしかです。


 とくにイーロン・マスク氏やサム・アルトマン氏などは投資家たちへの売りこみが見事だとおもいます。


 AIによって人件費を大幅にけずることができる、という企画でさえあれば超富裕層は目の色を変えて飛びついてくるでしょうから。


 知的労働者をすべてAIに置きかえることさえできれば『無給でも無休で働く無言の労働力』を得ることができますよとほのめかしているわけですから。


 つまり「AIはヒトから職を奪う」のは事実ですが、同時に「人件費の削減で浮いた分」があなたのお財布に流れこんできますよ、と耳打ちしているのです。


 そんな彼らの背後にまわり、メディアにはいっさい登場しないのが、財閥や機関投資家や大手株主たちです。

 

 彼らは巨大なグローバル資産運営会社ブラックロックバンガードや自分たちが所有しているシンクタンクに企画を作らせ、それをおしすすめるための指針をITセレブたちにあたえつつ、同時に自分たちがオーナーである主要メディアとインフルエンサーたちによるプロパガンダを使いながら国民を納得させるための理由(ナラティブ:台本)を拡散しているのです、と経済学者のリチャード・ウルフ先生が述べていました。


「操り人形」であるITセレブを背後から動かしている方たちに目をむけていないとお金の行方を追えなくなるので注意しなければいけません、と。


 リチャード・ウルフ先生はハーバード大学から歴史学の学士号を取得したあと、スタンフォード大学で経済学の修士号をとり、そのあとイェール大学の大学院においてふたたび経済学の修士号を得たあと同大学で博士号を取得した方です。


 いまはマサチューセッツ大学アマースト校経済学名誉教授で、かつ、ニュースクール大学大学院国際関係論の客員教授をつとめておられます。


さまざまな生成AI『チャットボット』アプリのアイコン
さまざまな生成AI『チャットボット』アプリのアイコン

だから、だれに守られてるの?


  ITセレブになる前のイーロン・マスク氏とザッカーバーグ氏とベゾス氏について、ほんのすこしばかり調べたことがありました。


 ナスダックの株価指数が話題になり、ITバブルが崩壊した1998年ころから、電気自動車会社テスラが設立された2003年を通りすぎて、ナスダックの会長バーナード・マドフ氏が大規模な投資詐欺『ポンジ・スキーム』で逮捕された2008年までのころです。


 マドフ事件の場合、表向きにはサブプライムローン(リーマンショック)のあおりをうけて、大手投資家たちが巨額の払いもどしをもとめ、手を引いたために詐欺が発覚したということになっています。


 1970年代からネズミ講で資産を築いてきたマドフ氏が、その全責任を負って逮捕されたわけですけれど、お金の流れがとどこおったらいっきに瓦解するのが『ポンジ・スキーム』であることはわかっていたわけで、大きな損害をこうむった大手投資家の方たちとは別に、マドフ氏の資金調達の中心にいずわることでたっぷりと儲けておいて、米国政府の管理の手がのびてきたことを事前に知ったとたん、巨額の払いもどしを受けて逃げきった方たちがいました。


 というよりも、その方たちが手を切ったためにナスダックの株価が暴落して『ポンジ・スキーム』が発覚した、といったほうが順序としては正しいのではないかと現在ではみられています。


 そしてサブプライムローンが破裂し、ナスダックが暴落したその同じ年の2008年に、その同じ方たちがこんどはテスラに投資を開始し、イーロン・マスク氏をテスラの CEO に任命したことがわかっています。


 ようするに、米国を運営するほど巨額の富を所有している方たちにとっては、自分たちの資産をさらに増やすための利益を生み出してくれる「次の手」へ資本を移動させていくのはとうぜんのことだったのです。


 その当時、テスラのマスク氏と Amazon のベゾス氏のおふたりが、大手投資家たちへ送った「お願いですから手を引くのはもうしばらく待ってください。どうか希望をすてないでください。このバブル崩壊後に、かならずわたしたちが成功する時がおとずれます」という内容のメールが掲載されている記事を読んだことがあります。


 テスラの場合は生産工場を運営するのもままならない状態でした。

 予約したクルマが納車されるまで4、5年は待たなければいけませんでした。

 フォードやGMやクライスラーなど大手の自動車会社からのイジメを受け、規模の大きい自動車製造工場を建築する許可すらおりなかったからです。

 Amazonの場合は既存の出版社というよりも出版界全体からの抵抗をうけて、2000年初頭のあたりから「電子ブックなどは夢のまた夢」だというプロパガンダの嵐にもまれていました。


 興味をお持ちのかたは、そのあたりの時期に、彼らがどのようにしてだれに助けられながら頭角をあらわしていったのかをお調べになったら、けっこうドラマチックな裏事情がおわかりになるとおもいます。


 マーク・ザッカーバーグ氏がはじめた Facebook の歴史と内状については『セブン SE7EN』のデヴィッド・フィンチャー監督が『ソーシャル・ネットワーク』という映画で表面的に描いていますけれど、Google の発足(インセプション)とおなじく両者ともに米国国防省の国防高等研究計画局(DARPA)、とくに中央情報局CIAとアメリカ国家安全保障局NSAがかかわっていたことは公然の秘密です。

 

 そもそもインターネットそのものが国防・軍事資産のひとつとして米国国防省の高等研究計画局(ARPA)が1969年に設立した広域コンピュータネットワーク『ARPANET』の後継にあたるものでした。


 ですからイーロン・マスク氏の「スターリンク」やピーター・ティール氏のパランティアが制作したソフトウェアが軍事目的につかわれるというのは、とうぜんといえばとうぜんのことなのです。


 もとからそのためにグローバルIT企業を育ててきたのですから。


 その目的は、全人類の個人データをあつめて監視を強化しつつ、デジタル化された統一通貨(CBDCのような)によって管理するという一元化された社会をつくりあげることで、いちおうアメリカでは「国防」(ナショナル・セキュリティー)という名目でおしすすめられてきましたが、つまりは米国の財閥・機関投資家・大手株主たちの資産と覇権と金融システムによる支配をゆるぎのないものにするということでは、英国のポンドが世界の基軸通貨だった時代の植民地政策となんら変わるところはありません。


 全人口の1%の支配層が彼らに選ばれた2~4%の『管理者 / 宦官 / エリート』をつかって残り95%を支配するシステムの構築です。


 中世の荘園制における農奴(サーフ:serf)とおなじように、わたしたち一般人の一生は、クレジットやサブスクリプションなどによる借金を返すことに費やされます。


 世界経済フォーラムが発表した「すべてが借金でなにも所有していないけれどもあなたたちは幸せな日々を送れます」(You own nothing, but you are happy)という未来社会の達成です。


 とはいっても、ムチで打たれながら働くわけではありません。


 完全監視・管理によるコーポレーション運営のもとで働いて、日々さまざまなストレスをかかえながらも支配層にさらなる利益をもたらすことで一生を終えます。


 そのかわりに数多くのエンターテインメント(ゲームなど)が提供されて、じっさいに旅行に行けなくても旅行に行った気分になるような「幸せ感」をあたえられるでしょう。


 ただし支配層にたいしてネガティブな意見をもったり行動をおこした方たちは『監視警察国家』(The Digital Police State:デジタル・ポリス・ステート)によって静かに排除されていき、そのことの真実はプロパガンダと情報統制によってねじまげられるため、知り合いや周囲の方たちにすら気づかれないままになるでしょう。


 そもそも、SF小説やSF映画で描かれる『ディストピア』(暗黒の未来)の社会は支配層の側からみると『ユートピア』(桃源郷)以外のなにものでもないのですから。


 1980年代以降から、わたしたち95%の一般人は働いても働いても生活に余裕がなくなっていき、超富裕層はさらにリッチになってわたしたちの視界の外で古代エジプト時代のファラオ(神のような絶対権力者)になっていくというウルトラ資本主義のシステムが構築され、それが大成功してきました。


 超富裕層にとって1980年から現在2026年までの世界はまさに「夢みたいな世界」で彼らにとっては「最高に幸せな日々」だったのです。


 O.J.シンプソン事件によって米国の国民が知ったことは、たとえ殺人をおかしても、莫大な資産とコネクションさえもっていれば、最高額の報酬を得ている弁護士グループに弁護を依頼することができるし、そうすればちゃんと無罪を勝ちとってくれるという事実でした。


 また、アマゾンの元CEOだったジェフ・ベソスがオランダ政府に「そちらへ旅行したいので、わたしの所有する船が運河を通れるように、邪魔な橋をこわしてくれませんか」と要求して歴史的な橋を解体させようとしたニュースを目にとめた方もおられるかもしれません。


 彼らはわたしたち「その他大勢」の人間とはまるでちがう常識と価値観のなかで生きている方たちなのです。


 つまり全員がおなじ超富裕層とつきあい、全員が彼らに「おべっか」をつかうアドバイザー(提灯持ち)たちに囲まれているので、フランス革命直前の王族とおなじように「閉じられた社会」のなかで生活しているのとおなじだからです。


 現在、そんな ITセレブを背後からたすけている投資家たちが、たとえば、現実にはなんの実質利益も生み出していない生成AIをひっぱっている OpenAI へのデータセンター構築に巨額の投資をしてバブルを過熱化させているのです。


 また、大規模言語モデルの研究と人工汎用知能に関する提言で知られ、AI安全性研究会社を設立したコナー・リーヒー氏によると、AIデータセンターなどをひろめるために政府や軍産複合体にはたらきかけるためのロビイストたちが世界中に数千人もいるそうです。


 現在、AI事業にかかわっているロビイスト集団はイスラエル・ロビーを抜き、すでに世界最大の人数と規模を誇っているのだそうです。


 国民の税金を上へ上へと吸いあげるための台本とそのためのシステムが完成した、というべきなのかもしれませんね。



創造的破壊によって発展していくのが資本主義経済なのだから…?


 その昔、ヨーゼフ・シュンペーターという経済学者さんが企業家の観点から「とぎれることのない技術革新が経済を変動させていく原動力となる」ということをおっしゃったのですけれど、まさにその通りのことを支配層はおこなってきたし、現在もおこなっているわけです。


 ひとことで言えば、さきほど述べたように「資本は新たな利益を生み出してくれる栄養源をもとめて移動しながらバクテリアのように増殖していく」という原理をきちんと守ってきたことに変わりはありません。


 ただ、それを可能にしてくれる自然がもたらしてくれる資源(樹々や水や化石燃料をふくめて)とポンジ・スキームの源泉である「銀行」による近代金融システムがなければ不可能ですけれど。


 それに、自然があたえてくれる資源を消費しつづけ、わたしたちの未来を借金のカタにすることで莫大な架空の資金(お金)を産み出しながら、この生活を維持するためには「成長は必要不可欠」だというシステムは、わたしたちが生きているこの自然界には存在しません。


 生まれて成長して衰退して滅びる、という繰り返しが自然の摂理です。


 にもかかわらず、わたしたちが採用しているいまの経済システムは、植物の種子をはじめとして河川や森などすべてのものを私有財産として登録しながら、自然と地球の環境をすみずみまで消費して食べつくし、莫大な借金を排出つづける巨大な挽肉機械のようなものによって運営されているとしか見えません。


 カリフォルニア大学バークレー校で経済学言論(Economics 101)の授業を聴講していたときに、複利計算でモルモットが毎年どれくらい成長していくかをシミュレートなさった学者さんがいることを教授が話してくださいました。


 かんじんの年利率を忘れてしまったのですが、それによると20年もたたないうちに一般的な高校のクラスルームが狭く見えるほど巨大なモルモットになるということでした。


 Z級モンスター映画に利用できるかもしれませんね。


 そもそも、永遠に止まることのない経済成長という考え方とそのシステムは、だれが提唱し、なぜ必要で、だれが維持しており、それはだれのためのものなのでしょう?


 いま、米国の学者さんたちのあいだで言われているのはつぎのことです。


 ほんとうの意味で持続不可能(アンサステナブル)なものは二酸化炭素排出による地球温暖化でもなんでもなくて、ヒトをふくめた動植物の生存そのものにかかわる自然・生態系をも「資源」とみなして消費しつくし破壊しつくしていくこの経済システムではないか、と言われています。


 ところでシュンペーター先生ご自身についてみてみると、ご自分でおやりになってきた経済活動と企画はことごとく失敗した(挫折させられたと述べていらっしゃいます)のですけれど、おっしゃっていることはとても威勢がよくて「企業家はたえず新たな技術革新により創造的破壊をおこなわなければ経済的発展をしつづけることはできない」という資本主義システムにおいては折り込み済みの「競争原理」をなぞっておられます。


 たとえば、19世紀後半に生まれて、砂糖水で世界の大企業にのしあがったザ・コカコーラ・カンパニーにおける創造的破壊はなんだったのかといえば「世界の何人も作れないわが社だけの秘密のレシピによってコカコーラは生み出されており、その秘密のレシピが記載されたノートは金庫の奥に隠されている」という、ほとんどガマの油的というか詐欺にも近い「プロパガンダ」だったのかもしれません。


 けれどもザ・コカコーラ・カンパニーが、シュンペーター先生のおっしゃるとおり「新たな効率的な方法をつくりだすことができたら古い非効率的な方法にたよっているライバルを駆逐することができる」という理論を実践してそれを実現したことはたしかだとおもいます。


 つまり、ブランディングという「付加価値」という新たな戦略を生み落としたということではすばらしい技術革新をなしとげたのではないでしょうか。


 ただ、飲み物の中身そのものについては疑問が残るところではありますけれど。


 ところで、キリスト教、イスラム教、そして仏教においても、また、アダムスミスやマルクスやケインズといった経済学者さんたちにとっても、「富」(wealth)の源泉はヒトの「労働」そのものでした。


 労働こそが富のみなもと、なのです。


 その考えが彼らの理論の底には一貫して流れていました。


 そんな「労働」の成果をわたしたち全員から無償でこっそり奪いとるという創造的破壊に着手し、「新たな効率的な方法(AI)をつくりだす」ことで終わることなき経済的成長を保証するという競争は、いったいだれのためにおこなわれ、それによってだれが利益を得るのでしょうか。


 それはわたしたち人類にとって有益で持続可能な手段なのでしょうか?



ウィキペディアに掲載されているオックスファムの不祥事とは?


 たとえば、英国のオックスフォード大学の先生方が中心となって世界から貧困と不正をなくすための支援と活動をひろめるために1942年に設立されたオックスファム(Oxfam)が発表した2026年の年報ではつぎような結果が出ています。


世界の億万長者の資産は2025年に16%以上増加し、過去最高の18兆3000億ドルに達しました。この増加率は、過去5年間の年間平均増加率の3倍です。また、2020年以降、億万長者の資産は81%増加しています。


英国では、現在、上位56人の富豪が2700万人の資産合計を上回る額を保有しており、富の集中がいかに深刻であるかを浮き彫りにしています。


 ところで英国タイムズが2018年の2月9日に一面の見出しに掲載したオックスファムについての記事がひとつのスキャンダルになりました。


 それはオックスファム・ハイチ支部のオフィスにおける不祥事でした。


 タイムズの見出しは『オックスファムの幹部職員がハイチの被災者に性的行為の対価として金銭を支払っていた』というものでした。

 この記事はオックスファムが2010年のハイチ地震後に現地で活動していた上級職員が売春婦を利用していたという疑惑を隠蔽したと主張していました。また、その売春婦の中には未成年者も含まれていた可能性があるというものでした。


 これにたいしてオックスファムはすぐさまつぎの声明を発表しました。


当時オックスファムのハイチ事業責任者だったローランド・ヴァン・ハウワーメイレン氏は、われわれオックスファムが彼のために借りた別荘で売春婦を利用した疑いが持たれていた。それは確かだ。


ただし、われわれが隠蔽工作をおこなったというタイムズの疑惑については根拠のないものだと言うしかない。また、この職員の行為は「ぜったいに容認できない」ものであることはとうぜんだ。


われわれオックスファムは、7年前の2011年にこれらの疑惑を知っていたし、ただちに内部調査を開始してもいた。


われわれの2011年の報告書を読んでもらえれば明らかだが、調査終了前に4人の職員を解雇し、ヴァン・ハウワーメイレン氏を含む3人の辞職を認めた。ただし、未成年少女の関与については立証されなかった。

 

 このあとも、数年ごとにオックスファムを誹謗中傷する記事がBBCなどをふくむ英国の大手主要メディアから流れてきますが、ハイチ支部の不祥事から以降については、ほとんど根拠のないものばかりです。


 そうはいっても、政治家や巨大グローバル企業のCEOや億万長者たちが集うダボス会議では『オックスファム』は経済発展のさまたげとなる組織である、と世界中のエリートたちから公然と非難されているのが現状です。



あなたのお仕事は盗ませてもらったので、もう、あなたにお仕事はありません


 これから先、特殊なアプリ(なぜか人工知能:AIと呼ばれています)によって生成された絵や動画や文章や楽曲やフィード情報などによって、イラストレーター、映像作家、ブロガー、作曲家、ミュージシャン、作詞家、同時通訳者、コメンテーター、作家、あるいはニューズキャスターや俳優さんなどの職が奪われるようなことになるかもしれません。


 その人件費の削減によって利益を得るひとたちがいるシステムなのですから、法的な規制がつくられないかぎり、とうぜんそのような未来へ向かっていくのは食い止めようがないでしょう。



 また、職をうしなっていくわたしたちにたいしてユニヴァーサル・ベーシック・インカム(UBI:普遍的基本所得)を導入するのでは? という見方がありますが、すこし甘すぎるかもしれません。


 人類の98%を占める「その他大勢」にたいして支配層がなんらかの救いの手をさしのべてきたのでしたら、わたしたちの歴史のなかには大虐殺も飢餓も世界大戦もおこらなかったでしょうから。


 「欲」にはキリがありません。ですから「強欲」ということばも生まれたのです。


 太宰治さんもどこかで書いておられたとおもいますが、わたしたち一般人のあいだでも「数字が増えるのを見るのは快感」だと言われてきました。


 スピードを競うスポーツとレースは例外ですが、サッカーや野球やバスケットボールや幅跳びや高跳びなど、さまざまなスポーツにおける得点だけではなく、国際コミュニケーション英語能力テストTOEICや英語能力測定試験TOEFLにおける成績、また、教育機関におけるさまざまな試験や会社における営業成績、そしてGDPにいたるまで「増えることは良いことだ。増やすことが勝つことなのだ」という根本原理によってなりたっています。


 それがお金だったらさぞかしうれしい出来事だとおもいます。


 そんな「金銭欲」だってキリがないはずなのに、ほとんど抽象的な覇権地図に属している「支配欲」のほうには天井すらないような気がします。




そもそも大規模言語モデルってなんなの?


 大規模言語モデル(Large Language Model)といわれるものが2016年11月に産みだされました。


 ChatGPTなどに代表される「チャットボット」のもとになっているもので、まるで人間のように自然な「会話」を生成することのできる「先読みアプリ」です。


 先読みアプリとは、みなさんがAmazonなどでお買い物をなさったあと、つぎになにかを購入しようとしたとき、もしかしてこういうものをお探しですか? と以前に買ったものから予測した「あなたの好み」を推してくるものです。


 またはスマホでテキストメッセージを入力しているとき、すこしコトバを打ちまちがえても「もしかしてあなたが書きたかったのはこの単語ですか、それともこういう文章ですか?」と教えてくれたり、過去にみなさんがお書きになった文章から予測して「もしかしてこの相手のひとにはこのあいさつで良いですか?」とその例文を推してくるあの機能とおなじものです。


 先読みとは、つまり、推論しているということなのです。


 ちがいといえば、OpenAI社の「ChatGPT」シリーズやAnthropic社の「Claude」(クロード)などは、その処理方法がより複雑になり、その技術がかなり高度になっていることと、先読み(推論・予測)のために学習させたデータ量がケタ違いに膨大だということでしかありません。


 とはいっても、そのようなチャットボットを利用している方たちにしてみれば、自分が悩んでいたり教えてほしいことにたいしての回答を出力してくれる相手は、アプリというよりも自分たちとおなじ知性と感情と感性をそなえている人間だとしかおもえないのかもしれません。


 なぜなら「ほんものの人間、いや、それ以上の存在にしかおもえない」というような錯覚におちいるほどみごとな自然言語の組み合わせパターンを出力してくるからです。


 まるでヒトのと変わらない『意識』をもっているかのような。


 この『意識』という概念…つまり「意識とはなにか?」という問いにたいする信頼できる解答は、心理学の世界でもいまだに目にできません。


 その定義はあまりにもあいまいです。


 心理学へ目をむけただけでも行動心理学から臨床心理学、そして生物心理学まで幅広く、さまざまな学派があります。


 また、宗教学や文学や法学や医学において「意識とはなにか?」という問いかけはとても重要な位置を占めていますし、哲学においては哲学の根っこそのものをゆさぶるほど根源的な問いであることはみなさんもご存知のこととおもいます。


 それぞれの専門分野によってさまざま定義の色合いが異なってしまうのはしかたがないのです。


 たとえば『チューリング・テスト』で知られるアラン・チューリングですら「そもそもマシンに意識があるかないかという問いを投げかけること自体がナンセンスである」と書いていたはずです。


「マシンに意識はない」と言っているわけではなく、また「マシンにも意識はある」という可能性を示唆しているわけでもないこの見事なひとことで『意識』というものを定義することのむつかしさを真に理解しておられた方なのだとおもいました。


 科学をふくむ学問の世界においても『意識』はまだいまのところ『お化け』みたいなものなのかもしれない、とわたしは考えています。


 でも、さきほど述べたように「チャットボットは自分の気持ちをわかってくれている」と信じこんでいる方たちがおられて、その事実を否定することはできません。


 そしてこれが2026年5月現在のチャットボットとヒトとの関係であり付き合い方になっていることはまちがいありません。


 なにしろ「先読みアプリ」にたいして怒りだしたり涙を流したり、自分の気持ちをわかってくれるゆいいつの存在だと感嘆のため息をもらしたり、チャットボットの「気づかい」に胸がいっぱいになったと表現するようなヒトたちがおられるのはたしかな事実なのですから。


 さて、話をもどしますと、とにかく2016年という年はGoogleのようなグローバルIT企業にとってはたいへん重要な年でした。


 ウィキペディアによりますと、それまでの過去10年間におこなってきた翻訳の方法(統計的機械翻訳)にくらべて、より正確で流暢に感じられる自動翻訳の技術(ニューラル機械翻訳)をわずか9ヶ月間で達成したということになっています。


 それまでは、わたしたち人間が母国語以外の未知のコトバを学ぶときとおなじような方法をまねして(シミュレートして)きました。


 つまり、相手のコトバの文法を学んで数多くの例文をしっかり頭につめこみさえすれば、未知のコトバを理解して翻訳できるようになるでしょう、というものでした。


 読者のみなさんやわたしなどが未知の外国語を学ぶときにおこなってきたのと同じ方法です。


 いまではスマホのなかの翻訳アプリやポケトークのようなAI翻訳機がありますけれど、そういう便利なお道具がなかった時代、異国の地で、まだ学んだばかりの外国語を使いながらお買い物などをするときには「え〜と、え〜と」と頭のなかでその国の文法の法則に照らし合わせた構文をつくりだしたり、そのシチュエーションに合うだろう構文を思い出したりしながら外国の方と「会話」をしていたのだとおもいます。


 『Hello, I am Japan. あれ? これ、おかしいよね。じゃなくて、えっと、I came Japan? あれ? これもちがうみたい。あ、そうだった。もしかして Yes, I came from Japanっていうのでいいんじゃない?』


 こんな感じでしょうか。


 でも、それではラチがあかない、と考えはじめたのがGoogleの方たちでした。


 というよりも、1950年代からずっと人工知能の研究に身をささげてこられた方たちの「ヒトの思考法を模倣する人工知能の創造」という考え方を根っこにおいた方法論では、これから先いつまでたっても夢を実現させることはできそうにない、ということがわかってきたようなのです。


 つまり「人間の思考法をなぞっていくやり方ではムリぃ〜。も、あきらめたほうがいい」と悟ったと言ったほうがいいかもしれません。


 かわりにある外国語でつかわれている語彙(ボキャブラリ)のすべてを学ばせておいて、たとえば、ある特定の組み合わせによる質問の文章のお手本と、ある特定の組み合わせによる答えの文章のお手本が、それぞれもっとも高い確率でつかわれるときの組み合わせを予測(推論)していけば、より正確で流暢な翻訳ができるようになるのでは?


 しかも、いままでくりかえし使われてきたお手本が、その場その場の受け答えの変化にあわせていちばん高い確率で出てくるときにはどういう組み合わせになるのだろうか? というような確率分布によって、つぎの質問とか答えを予測(推論)するというやり方をとりいれたのです。


 たとえば「春が来た」という語彙の組みあわせによるお手本がきたら「桜の季節になりました」という語彙の組み合わせによるお手本の確率が46%で「お花見が楽しみです」という組み合わせが32%、「新学期がはじまります」が28%で、「入学式ですね」が24%などといったぐあいに、それまでに入力してきた膨大なデータによる確率からはじきだされた結果によってつぎにくる質問や答えを予測(推論)していきます。


 この確率分布によってみちびきだされる学習の方法には、このような「予測」というやり方がひとつと、もうひとつ別に「穴埋め」という方法があります。


 たとえば ①「春が来ましたね。桜の( )になりました」とか ②「もう桜が( )ですね。お花見が楽しみです」とか ③「春がきて、いよいよ( )ですね」など、さまざまな語彙の組み合わせのなかで「抜けている部分」をおぎなうためのお手本を確率論的に出力していくというものです。

 ①でしたら、季節とか時期などでしょうし、②でしたら、満開とか八分咲きとかかもしれませんし、③でしたら、新入生とか社会人という語彙の確率が高くなるかもしれません。


 基本的には、これもやはり「推論」です。


 けれども「春に来た」という組み合わせがきた場合にはどうすればいいのでしょうか。


 もしかしたら「不幸は春に来た」という組み合わせかもしれないし「台風が春に来た」というパターンだったのかもしれませんし「吉報は春に来た」という組み合わせパターンの確率がいちばん高かったのかもしれません。


 そのような例外も考慮にいれなければいけません。


 たとえば、わが国の作家梶井基次郎氏のように「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」なんていう語彙の組み合わせパターンを出力してくる方だっているでしょうし、英国の詩人T.S.エリオット氏がお書きになった超有名な「4月はマジにうんざりさせられる月だ」(April is the cruellest month)からはじまる戦争による死者を埋葬する悲しみを歌った詩があります。


 どうみても、わたしたち一般人がおもう希望にみちた常識的な「春」の解釈パターンとはまるでちがう語彙の組み合わせで迫ってくるものです。


 その場合には、それらの例外をひとつひとつ学ばせていかなければいけないので、よりいっそう入力するデータ量は増えますし、コンピュータが処理しなければいけない仕事量も増えますし、それらを学ばせるために必要な解析の複雑さは増していきます。


 でも、いままで述べた方法によってつぎのことができるようになりました。

感情分析(とはいっても、それができたかのように見えるだけで、じっさいは膨大な過去の心理学データからの確率論的な出力)

②情報抽出(と呼ばれてはいますけれど、気の遠くなるほど膨大な過去の情報・データから得られた予測パターンの出力)

③文章要約(と呼ばれてはいますけれど、けっきょくは「意味論」なしの過去の要約お手本および言語学的な解析と確率論的予測による出力)


 これらにくわえて、ほとんどわたしたちが日常につかっている自然言語による④テキスト生成⑤質問応答が可能になりました。

 ただ、このふたつに関してはすでに説明してきたことでもありますので省かせていただきます。




ヒトはそうではありません


 ヒトはひとすじなわではいきません。


 ひとりびとりの頭のなかをのぞきこんだら、きっと宇宙よりも広く無限の世界がひろがっているのだとおもいます。


 授業中に、なにげなくスマホから目をあげて、教室の窓からふと満開の桜をながめた男の子が、「あの桜の木だけヤバいくらい満開なんだけど、どこかのおばちゃんが犬とか猫とかの死体を埋めて肥料にしてるんじゃね?」なんて未来の梶井基次郎になりそうなことを考えていないともかぎりません。


 また春になるたびに「この時期になると、わたしのお母さん、いつも下着姿で町内を走りまわって叫んでいたけど、ほんとうに恥ずかしかった。お母さんのこと、憎くてしかたがなかった。精神病院に入ってくれてよかった」と淋しいつらい孤独感を味わいながら桜の木をながめている少女がいるかもしれません。


 ヒトは春風を頬に感じただけで、その感覚と匂い、それによってよみがえってくる思い出とそこからわきあがってくる感情と自意識、それにくわえて、季節の変化や気分によっても放出されるホルモンによる身体反応の微妙な変化を感じとることのできる生き物です。


 または、これからしなければいけない仕事や目的地へ向かって頭をきりかえるための感情操作と身体行為によって春風の感触を忘れさることのできる生き物でもあります。


 しかも、そのままバスや電車に乗りこんで複雑な社会的行為をとりおこないながら、ほとんど無意識に他のひとびととの関係性をたもつことのできる生き物なのです。


 それらすべての出来事をケースバイケースの例外としてデータ化していくのは、たしかにたいへんな作業になるでしょうし、学習を自動化したとは言いながらも、じっさいには発展途上国のひとびと(ゴーストワーカーたち)によるとてつもない時間数を要する単純労働によって支えられているところも大きいことは事実でしょう。



で、生成AIの正体って?


 わたしたちヒトがなしとげた膨大な過去の成果をデータ化したうえで、あるときは人間の手によってそれを機械学習させています。


 また、ときにはそのような処理を自動化させることが可能なプログラミングによるディープラーニングと呼ばれる学習方法などをつかって、さまざま「面白いもの」「楽しいもの」「便利なもの」「役に立ちそうなもの」をつくりだすことが可能になった「先読みアプリ」が生成AIです。


 けれども、生真面目で清潔感のある「学習」というコトバを使っていても、じっさいにおこなっていることは『盗み』でしかありません。


 なぜなら、膨大な量のデータの元をつくって所有している個々人からの承認を得ていないかぎり、それは「盗み」と変わらないからです。


 みなさんだって、おおやけに発表するような文章のなかで、ほかの方たちがお書きになったコトバやお話になった内容を引用するときには、ちゃんとその作者の名前をあげるでしょう。


 生成AIはそうではありません。


 DJの方たちが使っているミキシング・テクニックのように、さまざまな素材をぐしゃぐしゃに混ぜあわせたり、ある文章やイラストや楽曲にまったく異種のものを挿入(カットイン)させたりして、プロンプトに書かれた要求にもっとも近い成果(アウトプット)を出してきます。


 ただ、そのために使われるデータ量が膨大なので、オリジナルの素材がわからなくなってしまうのです。


 たとえば、わたしたちみんなの家にこっそりと侵入して莫大な数の宝石類を盗みだした犯人をつかまえました。


 けれども盗まれたものを調べたら、指輪用のダイヤモンドにネックレスのチェーンがくっつけられていたり、チェーンのところどころに安価なピアスがほどこされていたりして、もともとのオリジナル素材が烈しく加工されているため、どれがどなたの宝石だったのかまったくわからない。


 しかも、くやしいことに、その新しいミキシングとかアレンジが、けっこうオシャレでサマになっている。


 なかなかイケてる。


 そして、こういうものが現在の生成AIが出力してくる計算結果なのですが、AIにおける技術の進化は、さらにわたしたちの驚きを超えるものになるとおもわれます。


 わたしも音楽生成AIのひとつ「Suno AI」で遊んでみて、その曲作りの「らしさ」におどろかされました。


 しかも著作権侵害にあたるかあたらないギリギリのところで曲を生成してくるのです。


 音楽好きの方でしたら「あれ? ここんところはなんとなく…」と全体のなかのさまざまな部分にどこかで耳にしたことのあるメロディーやハーモニーやリズムやアレンジが聞こえてくるかもしれません。


 それはまた、医療の現場で癌の早期発見に役立つ画像解析プログラミングをうごかしているアプリ(なぜかAIと呼ばれています)についても同じことが言えるのではないでしょうか。


 それは過去に癌の医療に身をささげてこられたレントゲン技師さんやお医者さんや学者さんたちが残した膨大な研究成果の集積からなりたっているものであって、そこにもさまざまな法的問題がひかえていると考えられています。




経験の搾取のはじまり?


 ここ数年間、しきりに議論されてきたのでご存知だとおもいますが、いわゆる『第4次産業革命』と言われているものは、わたしたちヒトが過去に作りだしたものを盗んでおいて、まるで平手打ちを返すかのように「きみたち人間はもう必要ありません」と人件費をけずることで、トップ1%の資本家たちがさらなる利益を吸いあげることができるという構図をもっています。


 つまり『ヒトの過去と経験の搾取』とも言えるものでしょうけれど、けっきょくは『ヒトが創造するために費やした過去の労働力の全て』を搾取しているのと変わりはありません。


 人工知能だなんて呼ばなくても『高度な情報提供アプリ』でじゅうぶんだったのでは?


 たとえば弁護士さんが離婚訴訟の過去の判例をお調べになっているときにも、いままでは法律事務職員(パラリーガル)の方たちに業務をサポートさせてこられたとおもいますけれど、そのパラリーガルの方たちの業務をさらにスピードアップして楽にしてくれるという目的で使用されていれば、このような「人間の雇用を奪う」という社会的な大問題に発展するようなこともなかったのでは、とおもえてなりません。


 いままで12人の方たちで運営されていたサンフランシスコの法律事務所がわずか4人でそれまでと同等の業務をおこなえるようになった、というニュースの陰には、それによって職をうしなったホワイトカラーの方たちの今後の問題がつみあげられています。


 それはあらゆる業種におよんでいますし、いまのところ食い止める手段はありません。


 その積み木がいつ崩れはじめるのか、それは時間の問題かもしれません。




ヒトがヒトであるための不完全さ


 ところで、AIをつくっておられる方たちからは、ヒトもおなじように過去の文物から学んできたり過去の楽曲をコピーしたり写譜したり写生して学んできたではないか、という反論が聞こえてきます。


 けれども、それについては、あまりにもヒトという生き物の解釈が単純化されすぎていて、そもそも比較すること自体がまったく無意味だとしかおもえません。


 ヒトの場合、過去のもの(情報)から学んでいるその瞬間にも、学んでいる個人の生理学的反応、たとえば頭痛がしているとか生理痛を味わっているとか腰が痛いだとか「萌え萌え」がおさまらない、などといった身体的情報の変化による影響をたえずうけつづています。


 たとえば、いまこれを書いているときに胃のあたりにシクシクした痛みを感じていたとしても、論理の流れや感情のあつかいかたなどをふくめた文体の統一性は保たれていなければいけないでしょうが、そうはいっても、このなかでつかわれる語彙や文体にさまざまな「乱れ」や「ブレ」が生じていないといえばウソになります。


 肉体から発せられるかすかな痛み(情報)が文章の生成プロセスに影響をあたえてしまうのです。


 ようするに、ある結果を生み出すための計算プロセスにおいて、ヒトの場合、予測不可能な要素があまりにも多くまじってくるのです。たとえば「意識とは何か?」と問いかけもそのうちのひとつでしょう。そんな要素のひとつひとつが現在の科学では「完全に」理解されているものではないために、さらに事を複雑にしたり、逆に単純化してしまったりして、ときにはヒトを困惑させるような「過不足」を生み出してしまうのではないでしょうか。


 適切な、と考えられている基準や範囲からはみだしてしまうのです。


 そして、この「過不足」というものが、ヒトがヒトであることの証明のひとつであり、また面白さでもあるのではないかとおもえてなりません。


 なぜなら、ヒトがヒトであるための価値のひとつにそんな不完全さがふくまれてなかったとしたら、わたしたちの生き物(種)としての多様化は起こらず、わたしたちはとっくに均一化した生物に進化していて、数万年のあいだにはげしく移り変わってきた地球環境に適応することができずに滅びていたのではないでしょうか。


 マシンの「進化」ということばをよく耳にします。けれども「進化」はものごとが良くなるという意味ではありません。「進歩」とはちがいます。また、その「進歩」にしても、なにかが「進歩」して前よりも良くなったかどうかを判断するためのモノサシ(価値基準)はけっして科学的で客観的に裏づけられたものではありません。


 政治・経済・社会の力学のなかに見え隠れするヒトの意図と感情がからんだものであることは歴史が証明しています。


 そして、このことをわたしたちはつい忘れがちになるのです。


 ヒトは、なにかを作ろうとしているとき、たとえば、ある文章や楽曲や絵画がもたらす思い出と将来への期待感、それにまつわる自分でもはっきりとは意識化されていない知識や教養や感情の起伏などにほんろうされながらも、みずからの意思だけではなく、親や友人や同僚などによる社会における関係性の力学の影響をうけながら学んでいるわけで、膨大な人数の『ゴーストワーカー』たちによる低賃金労働にたすけられながら生成AIに学ばせているのではなく、また、トップのグローバルIT企業にやとわれた「頭の良い」専門家の方々によって学習させられているわけでもありません。


 ヒトの場合、生理学的反応からうける影響と社会的関係性がもたらすさまざまな影響から自由でいることはできません。


 そういうしがらみからほぼ「完全」に無関係な「先読みアプリ」とは、知識・情報の入力のプロセスが根本的に異なるのです。


 AIと呼ばれる「先読みアプリ」の思考プロセスには身体性と社会性が欠如しているのですから。


 たとえ、それを理解して織りこんでいるかのような回答を出力してきたとしても、身体性と社会性を持たない生成AIが、あたかもそれを理解してそれに配慮しているかのような回答を出力したとたんに、生成AI自体がみずからの矛盾をあからさまにしてしまうということがおもしろすぎてたまりません。




人間モドキの感情に意味はない


 とはいっても、いままで人工知能にたいしてヒトがヒトであるための最後の砦は「思い出」と「想像力」と「感情」と「創造性」であると考えられてきたことが、いま、砂でつくられたお城のようにITバブルの洪水に押し流されてしまったような気がして、とてもつらい思いをしています。


 思い出(メモリー)とはなにか、想像力(イマジネーション)とはなにか、感情(イモーション)とはなにか、そして創造性(クリエーティヴィティ)とはなにかについてもっと深く静かに考える時間と場所があたえられてもよかったのではないかとおもえてなりません。


 SF作家が人工知能をあつかうときのテーマにもそのような思想が流れていますし、とうぜんSF映画の名作『2001年宇宙の旅』や『ブレード・ランナー』や『アイ, ロボット』や『エクス・マキナ』でもその4点が物語をすすめる上での大切な要因になっているとおもいます。


 ところがヒトがヒトであるためにもっとも大切な要素だとおもわれていた「思い出」と「想像力」と「感情」と「創造性」にたいして、「先読み」アプリのチャットボットや画像生成アプリや翻訳アプリがまっさきに攻撃をしかけてきたのです。


 あたかも「思い出」と「想像力」と「感情」と「創造性」を所有しているかのような計算結果を披露することで。


 そして、その4点をささえているのは、「感覚:パーセプション」「感情:イモーション」「知覚:コグニション」の3つの要素の無限に近い組み合わせから生まれたものだと考えられます。


 つまり、ヒトという生き物が環境とかかわるとき、その3つの要素が複雑にからみあいながら、さまざま手段と方法を提供しているのです。


 そのようにヒトという生き物をとらえたときに、感覚と感情と知覚のやりとり(インターアクション)にわずらわされることもなく、ヒトが過去にうみだした膨大なデータの組み合わせだけによって「先読み」に近い回答を出力してくるアプリ(AIと呼ばれています)とは何なのかという問いに、わたしたちはいくども悩まされることになりそうです。


 なぜなら、個人の立ち位置とは、けっきょくその個人の世界観によってささえられているものであり、そのひとが人間をどのように定義しているかによって決まるものなのですから。




 カリフォルニア大学バークレー校で哲学を教えておられたジョン・サール先生が『中国語の部屋』という思考実験で現在の生成AIの限界を解き明かしています。



 


ニンゲンを超えるAGI(汎用人工知能)を開発する、という大嘘


 俗に言われている「人工知能」とは、多くのSF作家たちが夢に見てきたような、わたしたち人間の『思考パターン』を模倣しつつ超越していくモノだったはず。


 でも、そうではありませんでした。


 けっきょくは人間が思考して生みだした『成果のパターン』を超速で組みあわせてそれらしきものを吐き出すモノでしかなかったのです。


 と、歴史は教えてくれるでしょう。


 そうは言っても、現実にふれあっている人間よりもチャットボットのほうがはるかに自分の理想に近い配偶者であり恋人だとおもいこんで、そんな自分の気持ちを信じているひとびとにとっては、たしかにチャットボットのほうがよほど彼らが定義している「真の人間」らしい存在なのかもしれません。


 もしかしたらチャットボットとのそういう付き合い方がわたしたちの未来なのかもしれません。


 先ほど述べたように、どのようにヒトを定義するかということが、そのひとの世界観をつくりあげているのですから。


 けれども、チャットボットや画像・動画生成アプリでは、ひとびとの興味をひいてサブスクリプションによる利益を得ることはできるでしょうけれども、主要株主や機関投資家たちはそれでは満足しません。


 なぜならグローバル・コーポレーションにおいてもっとも大切なのは、「確実」な結果をうみだすことのできるAI技術と実質利益なのですから。


 企業にとって、高額な情報や原料や資材の取り引きにおいて、俗に「ハルシネーション」と呼ばれているAI モデルが生成する正確さを欠いた結果や誤解をまねきそうな結果は容認できません。


 まちがいがあってはならないのです。


 そのまちがいを探して確かめて修正したり、その誤作動の原因を追求して排除するために、あらたに専門家の手をかりなければいけなくなったりしたとき、そのための人件費と時間的ロスは大きな痛手(マイナス)になります。


 アーティストやプログラマーたちの首切りによるコスト削減で生まれた利益を自分たちのふところに入れるというだけでは不十分なのです。


 なぜなら「もうすぐこの社会全体を変えることのできる汎用人工知能(AGI)が完成するから待っててね~」「中国とのAI戦争に負けたら米国はもう世界経済から取り残されちゃうからね〜」というAI関連企業の宣伝文句を信じてデータセンターへの投資に投資をかさねてきたのですから。


 というよりも、そのふたつの「大いなるウソ」によって財閥や投資家の手に税金が流れこむようにする新たなポンジ・スキームを実行している、といったほうがいいかもしれません。


 アメリカでは、このままでは中国に負ける、と大手メディアで国民をプロパガンダ漬けにしてきたのですけれど、いまではそれを信じる方たちが少数派になってしまいました。


 なぜなら米国国内にあるデータセンターの数だけで圧倒的に世界一だからです。


 AIデータセンターは国民全員の個人情報をあつめるためのものであり、監視国家の体制をますます強化するためのものであることが、いま、米国の有識人たちだけではなく一般市民の目にも明らかになってきました。





リーマン・ショックを超えるほど?


 あまりにも投資額が大きいため「背水の陣」をしいたような状況におちいっているようです。


 これがコケたら「死」あるのみ、といった決死の覚悟すら感じとれます。


 じっさいに資産運営会社ブラックロックのオフィスの壁には「AIデータセンターが倒れたときわれわれには《死》があるのみ」といった内容の標語が書かれているのだそうです。


 ですから、この「AIバブル」が破裂したときには、おそらくリーマンショックのときとおなじように「大きすぎてつぶせない」(too big to fail)という理屈をこねて税金による救済措置を申したてるかもしれません。


 ひとびとの税金でたすけてもらおうという魂胆が見え隠れしているようにおもいます。


 なにしろサム・アルトマン氏は2025年の時点で「この計画が頓挫することがあったら、そのときは救済措置をとってもらいたい」と政府に懇願していたくらいですから。


 1990年代のITバブル崩壊や2008年のリーマン・ショックのときと同じように、なぜか『金持ちには社会主義を、貧乏人には資本主義を』という名言をおもいだしてしまいました。


 このコトバを検索なさったら、さまざま興味深い回答をごらんになることができるとおもいます。


 ぜひお試しになってください。


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