top of page
  • 執筆者の写真香月葉子

【ワインカントリー】紙袋をかかえたタウンハウスの隣人

更新日:2023年9月5日

 はじめてカリフォルニアの乾燥した空気にふれ、バークレーで1年を過ごしたあと、緒斗(おと)がナパのコミュニティ・カレッジ(現在はナパ・バレー・カレッジ)に入学することになったので、夏が深まる前にナパの長屋(タウンハウス)へ引っこし、その夏は裏庭で二人だけのバーベキューを三日にあげず楽しんだ。


 すぐ近くにフッドシティという小規模スーパーマッケットがあって、おどろくほど豚肉の塊が安く、車で15分のところにホームセンターもあったので、BBQ用の炭も手に入れやすかった。


 買い物を終え、タウンハウスにもどってきて、1974年型フォードLTDからおりたとき、「いつも美味しい匂いをありがとう」と上背のある老婦人が駐車場で声をかけてきた。

 まじりけのない銀髪で両手にはフッドシティの紙袋(brown bag)を抱えていた。

 ナパに引っ越してきてちょうど1ヶ月が経ったころだった。そのときはじめてこのバーニースという女性が長屋の隣人で、ひとり住まいだということを知らされたのだった。

 タウンハウスの駐車場で割り当てられていたスペースもわたしたちのクルマのとなりだった。


 裏庭の木製の塀越しから立ちのぼる煙で、バーベキュー好きな日本人が引っ越してきたと思われていたのにちがいなかった。

 緒斗がバーニースから差し出された手をそっとにぎって握手を終えると、彼女はにこりと微笑んで「これ、お願いしてもいいかしら?」と紙袋のひとつを緒斗にゆだねた。

 緒斗が紳士的な顔つきでそうしたがっているそぶりを見せたからだ。


「お茶でもいっしょにどうお?」とバーニース。

 わたしたちはよろこんで彼女の誘いを受け、そのまま彼女のタウンハウスに足をふみいれ、やわらかすぎるソファで話しているうちに、ぐるりとナパの街をかこっている丘のように低い山々は夕日に染まり、そのうち夕食を一緒に作ることになった。


 緒斗とわたしは、はじめて食べるアーティチョークのガクの根元についている果肉を一枚一枚歯でこそぐようにして食べながら、バーニースと3人でテレビシリーズ『私立探偵マグナム』を見た。

 彼女はトム・セレックの大ファンだったのだ。

 彼女はわたしの母と同じ歳だった。

 太平洋戦争を20代でくぐった世代だ。

 

 バーニースは彼女と同じドイツ系移民の夫とハワイで新婚生活を送った。電気技師だった夫は出征し、片足を負傷して帰還した。

 彼の太ももには弾が埋まったままだったと言った。

 ときに激しい痛みに襲われるのにもかかわらず、彼女に痛みを訴えることはしなかったらしい。また酒に溺れることもなかったらしい。痛みに強い男性だったと彼女はそれを自分のことのように誇らしげに語るのだった。しかも、とても優しい夫だったと。


 2人の娘と息子に恵まれたが、長男で末の息子が高校を卒業する直前に、夫は心臓発作で他界した。彼女はそれから数年後に再婚したが、その男はじきに暴力夫に変身した。そのため、結婚は長続きせず、離婚。それから彼女はしばらく生活保護を受け、今は年金暮らしをしているのだと言った。


 彼女は、わたしたちが帰るまぎわ、低所得者に支給されるフッドスタンプで交換したという直方体のチェダーチーズの塊の半分をカットして、おすそ分けしてくれた。

 食べきれないから、と言われて手渡されたチーズの重さは、ほぼ2キロはありそうだった。

 おかげでわたしたちは毎日のようにチーズ入りのサンドイッチを食べ、しかもアメリカの子供たちが大好きだというマカロニ&チーズも好きになった。


 封切りされて間もない映画『トッツィー』を彼女と観にいったことがある。

 ナパ川のほとりにあるショッピングセンターにある映画館だった。

 小さな街だったが、なかは満席だった。

 ポップコーンのバターの匂いが充満していた。

 ダスティン・ホフマン演じるトッツィーの饒舌に観客のみんなが笑うのでわたしもつられて笑った。


 それから、ひと月に一度は彼女と映画を観にいくようになった。


 夜、暗くなってからの運転をバーニースが嫌うので、遅い時間に出かけたとき、映画館からの帰路は、代わりに緒斗が運転した。

 長屋まではほんの数分の距離だったが、後部座席でバーニースはたいてい映画の感想を楽しそうに語りながら、わたしの手をずっと握りしめていた。

 彼女の手のひらは、わたしの母のもののように筋張っていて、温かかった。


 ロシアン川にかかった緑色の鉄橋を渡ると、じきに鬱蒼(うっそう)とした街路樹の隙間から、住宅街の家々の窓の、ぼんやりした明かりがとぎれとぎれに見えはじめる。

 港町の町屋に育ったわたしは、その光を見るのが好きだった。




1982年 春 / ナパ




無断引用および無断転載はお断りいたします

All Materials ©️ 2021 Kazuki Yoko

All Rights Reserved.


Comments


Commenting has been turned off.
bottom of page