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  • 執筆者の写真香月葉子

ファッションの世界とフェミニストの世界

更新日:3月27日


 なにげなく口紅へ手をのばそうとしたときに、ふとアイリーン・フォード(Eileen Ford)という女性の名前をおもいだしました。

 ファションモデルさんたちのマネジメントを行うモデルエージェンシーを創設したのは俳優さんでもあったジョン・ロバート・パワーズという方だそうです。

 1923年のことでした。

 つづいて、フォード・モデルズ(元はフォード・モデリング・エージェンシーでした)がこのアイリーン・フォードによって1946年に創設されたのです。


 女性ファッション誌には欠かすことのできないのがファッションモデルさんですけれど、そんな彼女たちを見つけて育てては『VOGUE』や『ELLE』や『COSMOPOLITAN』そして『Harper’s Bazaar』などの女性誌へ売りこむという、たいへんな仕事にたずさわってきた方がフォード女史です。

 気力と忍耐力だけではなくて、先を見る目と人を見る目のふたつがなくてはならないお仕事だとおもいます。


 ずいぶん前に、たしか1980年代のなかごろだったでしょうか、アメリカのテレビのドキュメンタリー番組で見たことがあるのですが、小顔で美しいファッションモデルさんたち、とはいっても、まだ少女にしか見えないモデルの卵さん(models in the making)たちを自分のお城のような邸宅に住まわせて、テーブルマナーからはじまる行儀作法や会話術にいたるまで、社交にたいせつなさまざまなことをおしえておられました。


 写真をごらんになった方は、だれの目にもあきらかな彼女の作り笑い(plastic smile)ときびしい顔つき(stern face)に、どことなく裏のある恐そうな人という印象をうけたかもしれません。

 わたしはそのような感想をもちました。

 けれども、アーカンソー州やアイダホ州やウィスコンシン州など、見わたすかぎりトウモロコシ畑がひろがっているような田舎から出てきた、世間知らずで洗練されていない女の子たちにとっては、自分たちの将来を心から案じてくれている叔母のような存在(role)だったようです。

 じっさい、宴会場やファッションショーで撮影された広報用の写真とはちがって、自宅でうつくしいモデルたちにかこまれているときのフォード女史の、あの自然な笑顔をごらんになったら、彼女のウソのない愛情がおわかりいただけるとおもいます。 

フォード女史がパーティ会場で気さくにファッションモデルと歓談している写真です。
アイリーン・フォードの写真 / 甘いことばをかけているのかな?

 どれほどきびしく感じられる人でも、その人の心のまんなかに、相手の身を案じてこその真摯さ(sincerity)がひそんでいるものならば、たがいに通じあえるものはあるはずです。

けれども「あなたを愛するからこそきびしくしているのです」と言いつつ、ほんとうは自分の心の傷をいやすためにだったり、名誉や権威や利益を手にするためだけにムチをふるっているような人は、不思議なことに、かならずいつかその素顔があらわにされてしまうようです。

ヒトは理不尽(unfair)なあつかいにはすぐに気がつく生き物だからだそうです。

 そのように心理学の先生方は言っています。ただ、それにたいしてじっさいに声をあげたり行動にうつしたりするための勇気と機会がもてないだけで。


 フォード女史は、2014年に92歳で亡くなるまで、きらいなものはきらい、好きなものは好き、と自分の思ったことはハッキリとかくさずに言う女性だったようです。また、裏切り者はゆるさず、モデルたちへの要求ははげしかったともいわれています。そのために、ずいぶんとたくさんの人たちからうとまれ、また憎まれもしたようです。ただし、モデル・エージェンシーという仕事を、きちんとした合法的なビジネスとしてつくりあげるという歴史的な偉業をなしとげるのには、どうしても通らなければいけないけわしい道もたくさんあったのだとおもわれます。


 たとえば、モデルになりたい女の子たちをえらぶ場で「あなたはダメ、あきらめなさい」とぶっきらぼうに言って、たくさんの女の子の希望をつぶし、彼女たちの将来をも傷つけた、と書いている伝記作家もいます。

 それではフォード女史自身はどのように考えていたのでしょうか。

 彼女のインタビューを読んでみますと「モデルになりたい女の子たちへのわたしの評価とあつかいは、ほかの人の目には冷酷な印象をあたえたかもしれません。それはわかっています。けれども、有名になりたいセレブになりたいと夢見るばかりで、それが自分には合っていない職だと気がついていない女の子たちに、ウソの希望とムリな目標をあたえて、いつまでもだらだらと苦しい下積み生活をつづけさせるほうが、よほど残酷だとわたしにはおもえました」とふりかえっています。


 名のある方の人生を評価するのは、わたしたちのように無名で、ひっそりと生きて死んでいくであろうおおぜいの、そのひとりびとりの人生を評価するのとおなじようにむつかしいことだとおもわれます。

 人と人とのかかわり、人と時代とのかかわり、人と社会とのかかわりは、すべてのひとびとにとってふくざつで謎めいたところがあるのはとうぜんでしょう。

 さまざまな意見に耳をかたむけようとしても、こういうことはどうしても当事者ではないとわからないことが多くて、とくに異国の、しかもわたしにはのぞき見ることすらできない業界でのことなのですから、じっさいにはどんなことがあったのかわかりませんし、また、彼女とかかわりをもった人たちが、それぞれどのようなおもいでをたずさえていたのかもわかりません。

 できることといえば、みずからの経験をもとに、できるかぎり相手の方の心をくみつつ想像することだけです。


 ところで、そんなフォード女史が、そのおなじテレビのドキュメンタリー番組のなかで「口紅はたいせつな女のたしなみのひとつです。いそがしくてきちんと化粧ができない女性のきもちはわかりますが、すくなくとも口紅はつけなければいけません。口紅をつけていない女性は信用できません」と言っておられたのです。

 わたしはかるくめまいをおこしたようなショックをうけました。


 大学へ通いはじめたころ、はじめて口紅を買ったのですけれど、それも1本だけで、しかも、それからあとも、口紅をつけるようなことはほとんどなく、化粧はほんのすこし眉を濃くして軽くアイシャドウをいれるくらいで、5分もあればすんでしまうようなものでした。口紅をつけなくてはいけない場にまねかれたときは、そのたった1本の、自分の唇の色にほとんどちかい色合いの口紅をつけて出かけていました。

だれかの唇を待ちわびている口紅

 幼いころに耳にした「若いころは、ただ、清潔にさえしていればそれでいいのよ」という叔母のことばを〈うのみ〉にしていたからだとおもいます。

 わたしのように面倒くさがりの人にはとても便利ないいわけをあたえてもらったのかもしれません。


 どうしても口紅の味になじめませんでした。食べ物の味が変わってしまうのも気になりました。コップやグラスをつかったあとに、さりげなく、口紅のついたところをきれいにしなければいけないのも、めんどうくさかったのです。

 それに、お化粧にくわしい友人を見ていると、とてもあれだけの知識と技術を身につけるのはムリだとおもえました。

 化粧品への知識は豊富で、素材や色のえらび方、そして、それらのとりあわせについてもおどろくほどくわしくて、そのとき、お化粧は芸術のひとつなのだと知りました。

 なにかがじょうずになるためには、そのことに興味がなければいけませんし、もっと言えば、好きにならなくてはいけません。

 わたしにはその両方ともが欠けていました。


 とにかくフォード女史にとっては「口紅をつけていない女は信用できない」ということだったらしいのです。

 ほんとうは、そのことばを聞いたとき、わたしは自分のことを言われたようにドキッとしました。

 心の肌に針をチクッと突き刺されたような痛みもありました。

 でも、じきに気をとりなおしたのです。

 それはあくまでもフォード女史の意見です。科学的な根拠をもとに得られたものではありませんし、もちろん真理でもありません。

 フォード女史の〈好み〉なのです。

 好みはひとそれぞれです。感じ方がひとそれぞれちがっているのとおなじように、それぞれちがうはずです。ですから、そのような〈好き嫌い〉からうまれた意見には、それが正しいとかまちがっているという批判はなりたちません。

 たとえ相手がどれほど著名な方だろうと社会的に力をもっている方だろうと、好き嫌いについては、その人ひとりだけの感じ方なのですから。

 そう考えてすこしきもちが楽になりました。

 それでも彼女のことばにドキッとさせられたのは、口紅をつけるという行為が長いあいだおこなわれてきて、おおぜいの人々のあいだでは、そうすることが決まりのようになっているということを、わたし自身が知っていて、どこかでそれを気にかけていたということが原因だったのかもしれません。

ひとつの慣習になっているものから〈はずれる〉おこないにはどうしても不安がつきまとうように感じられます。

 仲間はずれになったときのような不安感でした。

 ひとりぼっちになってしまったようなこわさでした。

 だから、わたしの唇は弱くて荒れやすくて、なかなか肌にあう口紅が見つからない、という理由づけをたよりにしていました。じっさいにそうだったこともありますけれど、つぎに、ようやく出会った好きな色の口紅が海外のものしかなく、しかもそれがとても高価だから1本だけにしぼらなくては、という理由もくわわりました。

 そうやって自分を説得することに成功したのです。

 ひとりぼっちになってしまったような不安もなくなりました。


 ところで、しばらくたって、フォード女史がなぜあのように辛辣(しんらつ)なことばをもらしたのか、しだいに見えるようになってきました。

「口紅をつけない女は信用できない」ということばの向こうがわには、もしかしたら、『Ms.』(ミズ)というフェミニストのための雑誌を創刊したグロリア・スタイネム(Gloria Steinem)という女性がいたのではないかしら、と考えるようになったからです。


 じつは、あのころ、化粧をしないことで有名なグロリア・スタイネム女史は、さまざまな場所でおこなわれた講演で、つぎのような内容の発言をしていました。

「化粧品メーカーや服飾メーカー、そして彼らのお抱えであるファッション雑誌は、マスメディアをとおしたさまざまな宣伝(プロパガンダ)によって、他人の目を意識した〈美しさ〉と〈かわいらしさ〉だけを追いもとめるように女性たちを洗脳しようとしています。そして、女性たちをたがいに競争させ戦わせることで、女性たちがひとつに団結しようとするのをさまたげ、男性たちにつごうの良い女たちをふやすことをめざしています。また、女性ひとりびとりの心のなかからうまれてくる美しさや愛らしさ、みずからが誇ることのできる美徳には目をむけさせないようにして、そのかわり、あのファッションモデルのような〈理想的な〉顔つきと体つきに近づけないかぎり、わたしの人生に幸せはやってこないかもしれない、という不安をいだかせています。見かけの美しさばかりを強調することで、たえず新しい化粧品と新しい洋服にお金をそそぎこむようにしむけているのです」

 短くまとめると、このようなことを言っておられたのです。

講演中の「口紅をつけない女」グロリア

 この方の意見も、フォード女史の意見とおなじく、とても辛辣(acerbic)なものでした。

 しかもまっこうから対立せざるをえないような考え方をたずさえているお二人です。

 ただ、『Ms.』創刊者のほうは、〈好き嫌い〉ではなくて、歴史的な事実や証拠にもとづいての考えを述べていたことはたしかでしょう。

 そうだったのにもかかわらず、アイリーン・フォード女史とグロリア・スタイネム女史は、それぞれ相手を名指しで批判することはなかったようです。

 とくに女同士の団結をうたっていたスタイネム女史はほかの女性をそのように公(おおやけ)の場で批判することは好ましくないと考えていたのかもしれません。

 またフォード女史のほうも『Ms.』を購読しているたいへんな数の女性たちを敵にまわしたくなかったのかもしれません。フェミニストの敵だとおもわれたらビジネスの上でも不利になるような、そんな時代のなかにいることを彼女は見ぬいていたのにちがいありません。

 そのような計算ができる方だからこそモデル・エージェンシーを今日のように成功させることもできたのでしょう。


 このように、ふたりが生きていた時代の背景に目をむけてみますと、彼女たちの意見が、彼女たちひとりびとりの頭の中だけから生まれてきたものではなく、じっさいには、それぞれ、おたがいの意見を意識しながら生まれたものでもあるということに、お気づきになったとおもいます。

 たとえば、心にとめている人やその人の書き物(text)について、じっさいにそれを口に出したり話題にすることはなくても、ある意見や批判の裏にはそれを書くきっかけになった意中の人物の影がうっすらと見え隠れしている、ということにはお気づきになったのではないでしょうか。


 文学作品の評論をなさっている方たちは、それを間テクスト性とかテクスト相互関連性(intertextuality)と呼んでいるようです。

 じっさいに相手の名前を出してはいないけれども、ほんとうはその人の意見や批判を意識しながら、その受け答えとして書かれたもの。また、そのふたりの書いたものに秘められている謎めいた関係、とでも言えばいいのでしょうか。

 そこには、また、同時代を生きた人たちが生み出した書き物(テクスト)と書き物とのかかわりだけではなくて、時代をへだてた方たちのあいだでやりとりされたテクストをもふくまれているようです。


 たとえば「人は自由をのぞむ生き物なのですから縛りつけると社会はとんでもないことになります」と書かれたものを読んで、なんて正しいことを言う作者なのだろう、と感心したあと、またべつの作者の本を手にとって「人は獣と変わりがありませんからこの世に規律と法律がなければ社会はとんでもないことになります」ということばを目にして、この作者もほんとうに立派な方だとおもいつつ、ふとその2冊の本が書かれた時期をしらべたら、そのふたりの作者はなんと同じ国の同じ時代に生きていた人物だった、というようなことがあります。


 わたしたちにとっては「きっと、このふたり、おたがいを意識してたんじゃないの?」で終わりになるところを、それぞれの作者が残した書き物をたんねんにしらべて相互関連性(インターテクスチュアリティ)をくわしく説明してくださるのが学者さんや評論家の方たちです。

 おたがいをそれとなく意識しながら書かれたモノ同士のかかわりを研究しておられるのです。

 こまやかな、たいへんなお仕事だとおもいます。


 とにかく、このように、口紅ひとつをとってみても、時代と人とのかかわりに目をむけてみると、クローゼットのなかに置き忘れられていた宝石箱をひらくようなたのしみを提供してくれるものなのですね。

 自分でもおどろいてしまいました。

 そんなわたしは、あいかわらず、たった1本の口紅しかもっていません。

 けれども、その口紅をしばらくじっと見つめているうちに、こうして、さまざまな想いと考えにひっぱられ、まどわされ、いつしか心と頭がいっぱいになって、めまい(vertigo)にすらおそわれそうです。

 ちょっと濃いめのコーヒーが飲みたくなりました。





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