1983年の秋のことです。
サンフランシスコの対岸にあるバークレーという学園都市でのことでした。
トールマンホールと呼ばれる建物の入り口へむかっていたときのことです。
ひとりの初老の男性が大きなガラス扉をあけたまま立ちどまり、こちらへほほえみかけているではありませんか。
きれいな銀髪にがっしりとした体つきの方でした。
ちょうどそのとき、わたしは女ともだちのジェシカといっしょに扉へ向かっていたところでした。
もしかしたらあの男性は奥さまを待っておられるのかな、とおもって、ふたりでさりげなくうしろをふりかえったのですが、わたしたちのほかにはだれもいません。
どうもわたしたちのためにガラス扉をあけて待っていてくださっているようなのです。
もしかして、レディーファースト?
おどろいたわたしたちは、ほんのすこし足を速めて、建物へはいるまぎわ、ほほえみながら感謝のことばをのべました。するとその方は「どういたしまして」とだけおっしゃって、にこりとほほえみを返してくださったのです。
とってもうれしくてエレベータへむかう足どりが軽くなりました。
いまだにそんなちいさな出来事をおぼえているのは、都会でくらす女性たちのあいだで、フェミニズムが、パンやバタのように自然なものになっていた時代に、まだそのように紳士的なふるまいのひとつである〈レディーファースト〉をみせる方がいるということにおどろかされたせいです。
その翌日、心理学の授業を聴講するために、古代ローマの劇場をおもわせるすり鉢状の教室の、いちばん前のほうの席にこしかけて、ジェシカとおしゃべりをしていましたら、はいってこられた教授は、なんと昨日レディーファーストな振る舞いを見せられた方で、名をマーク・ローゼンツウェイグ(Mark Rosenzweig)とおっしゃいました。
どうしてお名前までおぼえているかといいますと、そのあとも、心理学部の建物へはいろうとしたとき、先生とはちあわせすることがいくどかあったからです。
ある日、ジェシカとはべつの知りあいの女子大生といっしょだったとき、彼女はほほえみをうかべつつ、60歳の教授にむかってつぎのように言ったのです。
まるで友だちと話すような口調でした。
「わざわざドアをあけてくれなくてもだいじょうぶよ、先生。ドアくらい、ちゃんと自分で開けることができるから。それにこのガラス扉が重たく感じられるほど、わたし、弱くもないし。どうかご心配なく」
すると初老のローゼンツウェイグ先生はすぐさまつぎのように返されたのです。
「いや、きみを弱い存在だなんて思ったことはないよ。もちろんレディーファーストを実行しているつもりなんていささかもないしね。こうして女性のために扉をあけるのは、たんに、わたしの趣味なんだ。たのしみのひとつなんだよ」
「ねぇ先生、だったら、感謝する必要もないってことですよね」と彼女。
「もちろんだよ。わたしのほうがきみたちに感謝すべきかな」
こんなふたりの会話にはさまれて、わたしはどうしたら良いのかわかりませんでした。すこし気まずいおもいがしていました。そこをはなれるとき、先生には感謝のことばを返しましたが、たぶんぎこちなかったとおもいます。
彼女はいっしょにエレベータへ乗りこむとすぐさまわたしを見つめました。
「どうして、ありがとう、だなんて言ったの?」
「だってドアをあけて待っていてくれたんだもの。その行為に感謝したかっただけよ」
「感謝? 逃げるの、じょうずね。あなたの立ち位置が見えない」
「わたし、なになに主義っていうのが信用できないだけ。ほんとうは同性を競争相手だとしか見ていない女性だって、わたしはフェミニストです、ていうだけで、まるで同性を気づかっているような顔ができるんだもの。そう思わない?」
「それ、どういう意味?」と彼女はけわしい目つきをしました。
「ドアをあけてもらっただけなのに、もう、こんな話、やめましょ」
「そういう小さなところが大切なのよ。そこで負けちゃうと、どんどん妥協しなくちゃいけなくなるわよ」
「まるで戦争ね。勝ち負けばかりを気にしなくちゃいけないなんて」
「なにを甘いこと言ってるの。それにしても、彼、フェミニズムについては、しっかり勉強してるようね。うまくわたしの質問をかわしたもの」
ほんとうに、いまの若い方たちからすれば笑いが出てしまうことかもしれませんけれど、あのころは、とくに大学のキャンパスにおいては、扉をあけてもらっただけで、たちまちこのような討論(debate)に発展してしまうような、そんな時代でした。
レディーファースト(Ladies First)ということばがありますけれど、もともとは欧州の上流階級でうまれたものらしく、女性が先に建物へはいって男性を出むかえたり、貞節をまもるために夫よりも先にベッドへはいり、朝はちゃんと先におきて夫のためにみじたくをととのえるという、そのような淑女(しゅくじょ)としての〈たしなみ〉のことだったようです。
つまり、いまの時代にわたしたちが想い描いているイメージとは、まるで逆なのです。
あくまでも女は男性に〈仕えるもの〉という考えからうまれたものだったのです。
それが『アーサー王と円卓の騎士』の物語や映画などで、みなさんにもなじみの深い騎士(knight)がうまれてくるころになると、すこし意味あいが変わってきたようです。
騎士たちがいだいている主君への忠誠心は、そのまま、かよわい主君の女子供を守り、貴婦人たちへは敬愛をこめてつつしんでつかえるという騎士道になっていきました。
騎士たる者の心得(こころえ)とでもいうのでしょうか。
それが、時代がさらに下るにつれて、いつのまにか紳士たちのエチケットへとかわってきたらしいのです。
エスコート(escort)ということばもうまれました。
とうぜんのことですけれど、平和な時代がつづいたら戦士はいらなくなりますものね。
かわりに上品で優雅な紳士へと変身して、今風(いまふう)のことばをつかわせていただくと、ほかの階級とのちがいをきわだたせることで、なんとか生きのびてきたのかもしれません。
つまりブランディング(branding)することで延命をはかったとも言えます。
ほかのひとびととはここがちがう、とみずからを目立たせるために、そのようなマナーやエチケットをつくりだしたのかもしれません。
「心得」というものですら、ときには、あらたな階級ブランドをつくるためのお道具になるのでしょう。
武士道がうまれたのも、戦国時代がおわって、平和がもたらされてからだそうですから、騎士道の誕生と似ているようです。
このように見てきますと、ほかのものとの差別化(branding)はずいぶん昔からおこなわれていて、生きのびるためには、どうしてもなくてはならないものだったのかもしれませんね。
つまり、レディーファーストという「作法」も、ひょっとしたらブランディングのひとつだったのではないかという、そんな楽しい見方もできるのではないでしょうか?
ところが、それも20世紀が終わりにちかづいたあたりで、さきほど聞いていただいた会話のように、紳士的なふるまいをどのようにうけとったらよいのか、どうあつかったらよいのか、わからなくて、とまどってしまうようになります。
男性のほうは敬意と善意のきもちで手をさしのべているつもりなのに、女性からしてみると、そんなにじぶんのことを非力で無能だとでもおもっているのかしら、と機嫌(きげん)をわるくしたり、もしかしたら不健全な下心でもあるのかしら、と用心して神経をとがらせたりと、たいへん気むずかしい時代になりました。
いまでは、先にドアをあけた方が、あとから来た方のためにドアをとじないでおく、というエチケットについては、性別にそれほどかかわりがなくなってきて、たいへんすごしやすくなっています。
それに、いまでは自動扉があります。
こちらがとまどっているあいだに扉はひとりでにひらいてくれます。
マナーもエチケットもいりません。
建物にはいったり出たりするという日々のいとなみが、みなさんとわたし、あなたとわたし、とのかかわりを離れて、いつしか、あなたと機械、わたしと機械、だけのかかわりになったのでしょうね。
ひととひととの関わりではなくてひとと機械とのかかわりばかりがふえてきました。
これから先、みなさんといっしょに、そういう社会を生きていくことになるのでしょう。
よけいなことを気にしなくてもすみますから、わたしは気が楽になりました。
ただ、おもいでという国のなかの、遠くすぎさった日々の破片が、ときおり、路肩に吹きよせられた桜の花びらのようにわたしの気をひくことがあります。
これも1980年代のことですけれど、米国のシカゴにマーシャルフィールズ(Marshall Field’s)という百貨店がありました。とってもいかつい立派な建物で、スーパーマンの映画でごぞんじの方もおられるかもしれませんが、あのデイリープラネット社の上の部分を切りとって下だけ残したような香合い(かざあい)のビルディングでした。
その百貨店の入り口が回転扉になっていたのです。
1950年代のハリウッドの白黒映画でしか見たことがなかったのに、じっさいにその扉をとおらなければ百貨店へ入れないということで、どうしようもなくドキドキしたのをおぼえています。
ちょうど遊園地(amusement park)へ足をふみいれるときのような気持ちの高ぶりを感じました。
ところが回転扉がとても重たいのです。
まわっているときはまだ楽だけれども、とまっているのを押しはじめるときはちょっと大変だよ、とはきいていました。
でも、ちょっとばかり押しただけではびくともしません。
もっと楽にスっとまわりはじめるものとばかりおもっていたのに、エイっと力をこめておさなければどうしようもなさそうでした。
しかも、ちらりとふりかえると、たくさんの方たちがこちらへむかってきます。
ちょうどそのときでした、背の高い金髪の女性が、わたしの肩ごしに腕をのばして回転扉をおしまわしてくれたのです。
「ふたりで押せばなんとかなるわ」とおっしゃいました。
ただし、回転扉のこまったところは、エスコートしてくださった人といっしょに、2枚のドア羽にはさまれたせまい空間に、いっしょにとじこめられてしまうことです。
おたがいに歩くテンポと歩幅をあわせなければなかなかうまく進めません。
なんとかぶじに店内へはいれたときには、ほんとうにホっとしました。
その方はにこりとほほえんで足早に去っていきましたけれど、あの2枚のドア羽にはさまれた空間のなかで吸った、あの女性の香水のかおりがいまだに忘れられません。
ステキな香りでした。
かすかに柑橘系のものがまじっていたような気はするのですけれど、いったいどこのブランドのなにをまとっていらしたのか、お聞きしたいとおもったくらいです。
それにしても、ほんの数秒の出来事が、こんなに長いあいだ、さわやかなおもいでのひとつになるなんて、不思議でしかたがありません。
いまだにその人のお顔ははっきりとおぼえています。
知的でシリアスな表情だったのに、軽くほほえむと温かみを感じさせるお顔でした。
銀髪のローゼンツウェイグ教授とともに、レディーファーストということばを目にしていちばん最初におもいうかぶのは、あの背の高い女性の香りと「ふたりで押せばなんとかなるわ」(We can manage this if we push this together)ということばかもしれません。
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