コーヒーが大好きで、ずいぶんおさないころから飲んでいました。
体がカフェインになれていたので、ペーパードリップでいれた濃いコーヒーを、早朝、2杯くらい飲まなくては、なにもはじまりません。
女学院にかよっていたころ、まだ15くらいでしたけれど、日に4杯くらいコーヒーを飲んでも平気でした。
それでも足りないくらいでした。
母の仕事のつながりで3歳からお茶をならっていたこともあり、そこでナマイキにもお抹茶をいただいていました。はじめのころは、いっしょに出されるお菓子のほうがたのしみでしたけれど、しばらくするとお抹茶なしには頭がはたらかなくなるほどになりました。
すっかりカフェイン中毒になっていたのではないかとおもいます。
そのうちお点前(てまえ)の手順もおぼえてしまいました。
そんなわたしの家のすぐちかくに、珈琲喫茶がありました。
コーヒー喫茶でもカフェでもありません、珈琲喫茶です。
サイフォン(siphon coffee maker)をつかって珈琲をいれてくれるお店です。
60年代のおしまいから70年代へかけてのころで、地方の街のことですから、カフェやレストランの店名といえば『白十字』や『浪漫』にならんで『セーヌ』や『シャンゼリゼ』などが多かったようにおもいます。
いま、こうやって書いてみると、どのことばからも時代の香りをふくんだノスタルジックなささやきが聞こえてきて、タイムマシンがほしくてたまらなくなります。
家のすぐ近くにあった珈琲喫茶は『青い鳥』というお店でした。
なぜか、あのころ、店名や人名は、字画がたくさんであればあるほど、おシャレに感じられたものです。
はなはだ不思議なことですけれど、澁澤龍彦さんのお名前のように、まるで迷路のようにいりくんだ漢語のほうが、いっそう西欧のふんいきを身近なものにしてくれるような気がしていました。
入り口にたてかけてある看板そのものが、うつくしく sensual で、ワクワクするようなものでしたから、映画館に足をふみいれるときには勇気がいりましたが、それ以上に、みおわって、夜の都会へあゆみでるときには、もう胸もとのボタンがはじけ飛んでしまうくらい、さらにドキドキしました。
官能と悪徳の時代がおとずれたのです。
サイフォンをつかって、ゆっくりと、ていねいに淹(い)れた珈琲。その表面に白く描かれてゆく雲のようなミルク模様。その変化を食いいるように見つめながら、頭のなかは、経験しようにもできない、あやうい妄想(もうそう)でいっぱいになることもありました。
グァテマラ、コロンビア、モカ、ブラジル、キリマンジェロ、そしてブルーマウンテン。
苦味と酸味の引っぱりあい。
そんな珈琲の香りは、しかめ面をした漢語でいっぱいの書物の香りと溶けあって、忘れかけていたおもいでを、濃い記憶の底から、まるでミルクのように浮かびあがらせてくれます。
ところで、家のすぐちかくの『青い鳥』は、御茶ノ水の名曲喫茶『ウィーン』の一角を切りとって、ちいさく建てかえたようなお店でした。
サイフォンのならんだカウンター席をいれても、ほんの10人もはいれば満席になってしまうほどのスペースだったでしょうか。
大学へかよっていたころ、渋谷の名曲喫茶『ライオン』にも、ときたま足をはこぶことがありましたが、都会のさわがしさがすみやかに遠のいてゆく、あの心そのものが〈くぐもる〉ような異国情緒が好きでした。
夏の店内はとてもすずしくて読書にもむいていましたし、椅子のきしむ音も好きでした。
近所の『青い鳥』が名曲喫茶でもあったわけは、ご主人が、コーヒーとオーディオ機器とクラシカル音楽の三つに生活のほとんどをささげていたからです。
あの当時はオーディオ・マニアと呼ばれていました。
いまでしたら音響オタクと呼ばれるような方だったのかもしれません。
海外から部品をとりよせ、アンプリファイアやスピーカーにいたるまで、なにからなにまで、ご自分でつくられていました。
真空管の時代でした。
父が大きな家具のようなビクターの真空管式ステレオ電蓄を、まだ小学校にはいりたてのわたしに買ってくれたのも、このご主人の影響があったのだと、女学院に通うようになったころにようやく知りました。
真空管式の電蓄はスイッチをいれてもすぐには音が出ませんでした。
しばらく〈あたたまる〉のを待ってから盤をまわすというのがならわしでした。
ほんの数十秒の待ち時間でしたけれど、新しいLPを手にしたときなど、その数十秒が待ちきれないくらいに胸がたかなりました。
とつぜん話は変わりますが、『青い鳥』のご主人は真空管の種類やつなぎ方ひとつで音が〈甘く〉なったり〈からく〉なったりするとおっしゃっていました。
そのお店の扉をあけますと、ドアにくっついているカウベルがカランコロンと、のどかな音でやさしく鳴りました。屋根裏部屋のように天井のひくい2階には、レコード店のようにぎっしりとLPがならんでいまして、壁から張りでているお手製の棚を、ところどころ、その重みでゆがめていました。
「若いうちは交響曲とかピアノ協奏曲が良かったんだけどね、年をとってくると室内楽のほうが耳になじんできてね。ちかごろじゃ、弦楽四重奏ばかり聴いてるよ。シューベルト、シューマン、あたりかな。マーラーもダメになってきちゃったね。だけど、弦楽四重奏は、音がすくないでしょう。そのぶん、ごまかしがきかないから、このカートリッジと針じゃ、ちょっとムリになってきたかなぁ」
そんなことをおっしゃって、つらそうなお顔で、ゴムバルブのついたブロアーブラシで、針先にぷっぷっと圧縮された空気をふきつけておられたのを思いだします。
そんな『青い鳥』のすみっこで、父といっしょにコーヒーを飲んでいたわたしも、いまでは、耳にちいさなイアホンをおしこんで、ペーパードリップでいれた名もなきオリジナルコーヒーをすすりながら、ひとり、音楽を聴いています。
いまでは音楽はひとりで聴くことができますし、いつのまにかひとりで聴くようなものになってきました。
もちろん、ヒトの背たけほどもあるスピーカーからあふれ出てくる、あの、うぶ毛をたたせ、肌を打ちたたき、からだの芯(しん)をふるわせたりもする、そういう音はのぞめませんけれど。
それだけに、ライブコンサートの会場に足をふみいれたときなど、いまだに体がたかぶって、それに声までうわずってしまいます。
古代から祭りをとりおこなってきたヒトという生き物の血が、わたしのなかでさわぐのかもしれません。
たくさんの方々といっしょになって音楽をたのしむよろこびには、ほんとうに長く深い歴史があるのでしょう。
どのようなジャンルの音楽でも、コンサート会場に足をふみいれると、なんとなく儀式めいたものが感じられるのはそのせいかもしれません。
あるひとつの曲や絵や考えなどをたくさんの方と共有するという行為にはとんでもない力がひそんでいるように感じられます。
そのせいで、昼さがりの電車のなかや公園のベンチで、となりの方がイアホンをしたままスマートフォンをいじくっておられると、なにを聴いておられるのかな、とイケナイ好奇心にかられてしまうのでしょうか。
その方の好みを知りたくなるのです。いっしょに聴きたくなるのです。
でも、いつのころからか、プライバシーは、スマートフォンの中に移転してしまいました。
音楽を聴くことが、ウォークマンや、のちのiPod、そしてiPhoneなどのスマートフォンの発明のおかげで、とっても個人的(personal)なものに変わってきたからです。
それだけではなくて、手紙や書物や絵など、ほんとうになにもかもが、ちいさなちいさな装置のなかに入ってしまいました。
ですから、ほかの方のスマートフォンのなかをのぞくことは、その方がシャワーをあびているところを、こっそりとのぞき見るのとおなじような、そういうアブナイ感覚すらあるのかもしれません。
それが家族のものでも、親しい友人のものでも、たとえ恋人のものであっても、そのなかを見せてもらうときには、なんとなく胸がたかなります。
どこかに悪いことをしているというきもちがひそんでいるように感じられます。
ホテルのラウンジで、仲むつまじそうなカップルのひそひそ話を、こっそりと盗み聞くような、どことなく悪徳の香りのするおこないのような気がして耳たぶが熱くなります。
じつは、コーヒーカップを片手に、いま、これを書きながら、そんな妄想とたわむれていました。
悪徳は、たいてい、外からでは見えません。
100人のひとびとには、それぞれが秘密にしている、100の悪徳があるはずです。
どこからどう見ても、ういういしい処女にしか見えない少女が、じつはほんの10分前まで、彼女の母親よりもはるかに年上の女性とデートをしていた、ということはありえます。
その少女が罪の意識をもっていなければ顔はくもらないし目は沈まないからです。
そうなると、外からでは、まず、わかりません。
そこが〈悪徳〉の謎めいた陰翳(mysterious shadow)がもたらす魔力みたいなものだとおもいます。
でも、そんな悪徳には、もうひとつ、ステキなおまけがついてきます。
ひとりびとりの心の中には、ほかのだれものぞくことのできない、だれも足をふみこむことのできない秘密の小部屋があって、そこで、ひとは、自分だけの自由を、おもいきり、心ゆくまで味わうことができるという、その、とても大切なことをおもいださせてくれる、そんなおいしいおまけです。
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