わたしはレズビアンだから…
- 香月葉子

- 1 日前
- 読了時間: 10分
更新日:16 時間前
たとえ同性で同じ血が通っていても母親を理解することはむつかしい。
同じ屋根の下に住むのは、わたしには無理だった。
子供のころから成就しない恋ばかり。
相手がどうのこうのっていうのじゃなくて、問題になるのはいつもわたしの母親のほうだった。

好きになった女の子を家に連れてきて庭でよく遊んだわ。
ツリーハウスに昇って一緒に過ごすのが楽しかった。
はじめはハシゴを昇るのを怖がるんだけど「あそこが私の秘密基地なの」って誘いかけると、恐怖より興味の方を優先してくれて怖がりながらもハシゴを昇りはじめるんだよね。
いったん昇らせてしまえば、わたしの収集品の説明をしたり絵本を見せたりして、かなりの時間をいっしょに過ごせた。
でも、12歳くらいになると、母親はツリーハウスにガールフレンドを連れ込むのを快く思わなくなってきて。
それどころか、危険だからって、禁止令を出したのよ。
秘密基地は、たしかにだいぶ古くなってたから、いつ崩れ落ちるのか心配だったと思う。
ガールフレンドを連れてくると、いつも監視されてる感じだった。
どこにいても聞き耳を立てられてる感じ。
子供たちの動向を把握したかったのね。
女の子同士の秘密の話があるのに。

15歳になったばかりの時だった。
好きになった子を自分の部屋に入れて彼女をデッサンしてたんだけど、母親は女の子がふたりだけでいると気になるらしくて、30分ごとくらいにオヤツとかお茶をもってくるのよ。
邪魔されたくなくて『もう、じゅうぶんだから』って言ったら、しばらくのあいだは部屋の扉をノックする音はしなくなった。
だから安心してガールフレンドを下着姿にさせてデッサンしてたの。
はじめての試みだった。
そうしたらノックもせずにいきなり入ってきて、しかも、問答無用で彼女の手を引っぱって家から追い出してしまった。
『女の子同士で何がいけないのよ』って抵抗したんだけど。
けっきょく女の子を家に連れてくるのをやめるしかなかった。
それから半年くらい経った頃だったかな、夏休みに入って、従兄弟が友達を連れてやってきたのね。
彼らは一週間くらいうちの家に泊まってた。
わたしは彼らといっしょに海辺で過ごしたり、彼らの友達をデッサンしたりしたんだけど、わたしの部屋で描いていたのにもかかわらず、そのとき母親はわたしたちに構うことはしなかった。
監視されることもなかった。
彼女の機嫌がよかったのが不思議でたまらなかった。
男の子と仲良くできる娘を見て安心したのね。
わたしはわざとそう見えるように振る舞ってたんだけど。

わたしね、男の子と女の子が同時に現れたら、どうしても女の子の方に目がいってしまうのね。
どうしようもないのよ。わかるでしょ?
そんなとき本気で素描したくなる女の子が夏休み明けに転校してきたの。
家に彼女を連れてくるとまた母親に邪魔されるのがわかっていたから、それが嫌で彼女の家でデッサンさせてもらうことにした。
クロッキー用具を抱えて出かけようとしたら、母親にいろいろ聞かれたものだから、学校の絵の先生に特別に自分のデッサンを観てもらうことになったからだなんて、ま、いろいろ嘘をついて。
でも、それも、母親が花屋さんに立ちよったとき、ぐうぜんにその絵の先生と出会ったものだから、ぜんぶバレてしまった。
はじめて母親に頬を叩かれたわ。
痛かった。
そのあとカッと頭に血がのぼって、ちょうど週末だったから、わたしは自分の部屋に籠城することにしたの。
さすがに半日以上がすぎるとノックをして声をかけてきたんだけど、無言で拒否してたし、翌日の夜になってもわたしが部屋から出てこないものだから、さすがに娘のご機嫌をとりたくなったのか、彼女はわたしの部屋の扉の前に夕食のトレーを置いていったの。
お腹はすいていたけど、降伏したくなかったから、頑張って手をつけなかった。
じつを言うと籠城する前にバナナ2本をキッチンからもち出してたから本当のハンガーストライキにはならなかったけど。
3日目の夜に父親が出張から帰ってきて、学校にも行かずに部屋に閉じこもってるわたしを呼びにきたけど、わたしが反応しなかったものだから、こんどは父親と母親の喧嘩が始まったの。
わたしのことでお互いを責めあってるのが聞こえてきた。
結婚する前につきあってたお互いの恋人のことまで喧嘩のネタになってたみたい。
不安になるほど激しい口論だった。
それもそのうち或る夜の思い出のひとつになって薄れていった。

大学は女子大を選んだわ。母親は猛反対したけどね。父親は『そのほうが安心じゃないか』って母親の意見をおさえこんでくれた。
彼はそのあとも娘の女子大志望に反対する母親の気持ちがわからないってぼやいてたかな。
とにかく女子大に入れたのはよかったんだけど、そこで事件を起こしてしまった。
必修科目を教えていた女性教授を好きになってしまって。
英文学の先生だった。40代半ばだった。
ひとめ惚れよ。
うっとりするほど、ほんとうに知性的な横顔だった。
もう夢中で勉強して、講義中に質問をぶつけたりしてた。
一目置かれたくて。
そんなとき教授から『なかなか思慮深い質問ね』なんて言われたりしたら心が舞い上がったわ。
寮のルームメイトはわたしの好みじゃなかったし、彼女が連れてくるボーイフレンドに興味を持ったこともないから、その子とはいい距離を保つことができてた。
だから、わたしの母親が抜き打ちで学生寮にやってきて、わたしと彼女との関係や他の女ともだちとのあいだの関係についてしつこく詮索したときも、ルームメイトの彼女はそれを不思議に感じることもなかったみたい。
娘離れのできない心配性の母親がやってきたくらいの認識だったとおもう。
もちろんルームメイトに憧れの教授について話したことは一度もなかったし。

2年目の終わり頃には、教授の部屋へ出入りを許されて、書棚から本を貸してもらえるくらいの信頼を得た。
自信を得たわたしは、時を見計らって『あなたの顔をデッサンさせてください』って教授におねがいしたの。
『横顔を描かせてください』ってね。
教授の鼻先から顎の先までのラインは完璧だった。
断られるかと思ったんだけど、『いいわよ』のひとことで、さらりと聞き入れてもらって、『ほんとうに?』と聞き返したのを覚えてる。
何度も彼女の家に通った。
週末に行くたびに一枚仕上げるのだけど、それを彼女があまり気に入ってくれないものだから困ったわ。
でもそのおかげでいっそう彼女の家を訪ねる理由と機会が増えたから気にならなかった。
満足してくれないことが喜びにつながるという不思議な心理を味わってもいたし。
ランチも一緒に食べることができた。
でも夕方になると必ず帰らなくてはいけなかった。
それでも、ある日曜日の夕方、どうしても帰りたくないという気持ちが募って、彼女の家の居間の窓からぼんやり通りを眺めてたら背後からいきなり抱きしめられて。
『えっ?』ていう感じ。ほんとうに『えっ? まさか』ていう。
それで、もう、いくところまでいってしまった。
はじめてのことだったけれど、はじめての絶頂を味わって、もう彼女から離れられなくなった。
精神的にも、肉体的にも。
だって『あなたを見てると、私の若い頃を思い出すわ』なんて殺し文句まで言うんだもの。
わたしは頭の中で究極のロマンスに浸って無我夢中になってたとおもう。
きっと子供だったのよね。
あの年齢で、彼女に恋人がいなかったはずはないだろうし、しかも女子大の女性教授なのだもの。
しばらくたって恋人がいることを打ち明けられて、しかも、教授と教え子という禁じられた関係をこのまま続けていくのは危険だと告げられて、あまりの衝撃で目の前が真っ暗になった。
ちょうどキッチンでお料理を作ってた時だったし、わたし、ナイフを握ってたから、言い争うこともなくスカートをめくって太ももの付け根にナイフを突き刺してた。
そのあとのことは何も憶えてない。
じつは、子供の頃、夏休みに、母親の実家のある海辺で祖父と過ごしたことがあったの。
水着姿でデッキチェアに横になってた小学生のわたしのそばに祖父がやってきてね。
『ここは大腿動脈というのが通ってるところでね。ここにメスを入れると人間はかんたんに死んでしまうんだよ。手首を切ったり足首を切ったりしたところでなかなか死ねるもんじゃない』って教えてくれたことがあったのね。
子供にそんなことを教えたりする祖父だったから、私の母親には敬遠されてたけど、彼は外科医だった。
わたしは祖父のことを好きだったし変なヒトともおもわなかったし、祖父もわたしという孫娘を気に入ってくれてたとおもう。
どうして子供のわたしにそんなことを教えてくれたのか不思議に感じてはいたけれど、その祖父の言葉がこの頭の片隅に長いあいだ残ってたことはたしかだった。
それにしてもほとんど無意識のうちに自分の大腿動脈を傷つけようとするなんてどうかしてたかもしれない。
今になってあの時のことを思い出しても、本当に死にたかったとはどうしてもおもえない。
ただそばにいた女性になんらかの衝撃を与えたかったことはたしかだとおもう。
わたしの気持ちを目に見えるカタチにしたっていうことでは成功したはずなんだけど。

救急車で病院に運ばれていったらしく、ようやく麻酔がさめかかってきた時、ぼんやりした視界に入ってきたのは、彼女と母親のふたりの姿だった。
わたしが目をあいたことにも気づかなかった様子で、ふたりとも私のベッドを挟んで対峙してた。
まだ水底からプールサイドの人たちをあおぎ見ているみたいな、おぼろげな視感だったけど、ふたりの会話から知り合いだったってことがわかった。
しかもふたりは同じ大学に通っていた恋人同士だったの。
意識は朦朧としていたけど、わたしにとっては青天の霹靂だったわ。
まさか母と娘が同じ女性を愛したなんて信じられなかったし。
ふたりは大学の寮のルームメートだったらしい。
同性愛なんて世間から隠されていた時代のことよ。
それなのに、彼女に求められるままに体をゆるして、彼女を激愛してしまったあげくに、わたしの母親はふられてしまった。
きっと言いようもない心の痛みと怒りがこみあげたのにちがいないわ。
だって、彼女に誘惑されて、危険な恋に落ちてしまったのだから。
あの当時のことだし彼女を恨んだと思う。そして怒りが冷めないうちに、自分の母親、つまりわたしの祖母が交通事故で死んでしまい、悲しみに打ちひしがれた彼女は、同性を愛してしまったせいで『神の怒り』に触れて、その罰として大好きだった母を奪われたのだ、と自分を追いつめたのね。
だから二度と過ちは犯さないと神に誓ったそうよ。
退院してまもなく母は涙ながらにそう告白してくれた。
母の気持ちは理解できた。わたしも同じ痛みと怒りを味わったから。彼女は娘にも同じ罪を犯させないようにしたかったのね。でも、そうはいっても、わたしは母とは違うし、いくら同じ血が流れてるからって、わたしが同性を愛してはいけないってことにはならない。
わたしと母とは別の個人なのだから。
それにしても、母と娘が同じ女性に魅かれて恋に落ちて、その女性にふられてしまうなんて、どんな確率で起きることなのかな。
なにか深い運命的なものを感じてしまった。

けっきょく母とは断絶することになった。
お互い妥協できないタイプだから、わたし、家を出たの。
大学も中退して未来は何も見えなかったけど、東部のコネチカット州からカリフォルニア州までヒッチハイクしながら大陸を横断したわ。
自分に勲章をあげたくなったくらい。
サンフランシスコまでやってきて本当によかった。
仲間がたくさんいるし、そのおかげでみんなと雑誌を立ち上げることもできたし。

父はわたしの様子を知りたくなると電話をかけてくる。
理解しようと努力してはくれてるみたい。
『父親としては、自分の娘がそこらの男とつきあうよりも、女性と上手く生きていける方が良いと感じるのに決まってるさ。それにしても、おまえもおまえの母親も本当に強情だからな。たいしたものだ』
そう言って笑ってた。

1986年 春 / バークレー
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