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わたしはレズビアンだから…大陸横断!

  • 執筆者の写真: 香月葉子
    香月葉子
  • 3 日前
  • 読了時間: 12分

更新日:20 分前



 たとえ同性で同じ血が通っていても母親を理解することはむつかしい。

 同じ屋根の下に住むのは、わたしには無理だった。


 子供のころから成就しない恋ばかり。

 相手がどうのこうのっていうのじゃなくて、問題になるのはいつもわたしの母親のほうだった。



 好きになった女の子を家に連れてきて庭でよく遊んだ。

 ツリーハウスに昇って一緒に過ごすのが楽しかった。

 はじめはハシゴを昇るのを怖がるんだけど「あそこが私の秘密基地なの」って誘いかけると、恐怖より興味の方を優先してくれて怖がりながらもハシゴを昇りはじめる。

 いったん昇らせてしまえば、わたしの収集品の説明をしたり絵本を見せたりして、かなりの時間をいっしょに過ごせた。


 でも、12歳くらいになると、母親はツリーハウスにガールフレンドを連れ込むのを快く思わなくなってきて。

 それどころか、危険だからって、禁止令を出した。

 秘密基地は、たしかにだいぶ古くなってたから、いつ崩れ落ちるのか心配だったと思う。


 ガールフレンドを連れてくると、いつも監視されてる感じだった。

 どこにいても聞き耳を立てられてる感じ。

 子供たちの動向を完全に把握したかったんだとおもう。

 女の子同士で内緒の話すらできないくらいの息苦しさだった。



 あれは15歳になったばかりの時だった。

 好きになった子を自分の部屋に入れて彼女をデッサンしてたんだけど、母親は女の子がふたりきりでいると気になるのか、30分ごとくらいにオヤツとかお茶をもってくるものだから、邪魔されたくなくて『もう、じゅうぶんだから』って言ったら、しばらくのあいだは部屋の扉をノックする音がしなくなった。

 だからわたしは安心してガールフレンドを下着姿にさせてデッサンしてた。


 はじめての試みだったし、まるで微熱がつづいているみたいに、そのことで頭がいっぱいになってた。

 そうしたらノックもせずにいきなり入ってきて、しかも、問答無用て感じの仮面みたいな顔つきで彼女の手を引っぱって家から追い出してしまった。

 そんな母親にたいする恥ずかしさと怒りで『女の子同士で何がいけないのよ』って抵抗したんだけど、けっきょく女の子を家に連れてくるのをやめるしかなかった。


 それから半年くらいがすぎた頃だったかな、夏休みに入って、従兄弟が友だちを連れてやってきた。

 彼らは一週間くらいうちの家に泊まってた。

 わたしは彼らといっしょに海辺で過ごしたり、従兄弟の友だちをデッサンしたりしたんだけど、わたしの部屋に連れこんで描いていたのにもかかわらず、そのときの母親はわたしたちにかまったりはしなかった。

 監視されることもなかった。

 彼女の機嫌がよかったのが不思議でたまらなかった。

 男の子と仲良くできる娘を見て安心したのかもしれない。

 わたしはわざとそう見えるように振る舞ってただけなんだけど。



 男の子と女の子が同時に目の前に現れたら、どうしても女の子の方に目がいってしまう。

 それが、わたし。生まれつきそうなんだとおもう。


 そのうち本気で素描したくなる女の子が夏休み明けに転校してきた。

 こちらを見るときの彼女のまなざしを思い出すだけですぐにでも白昼夢に浸ることができるタイプの子。


 家に彼女を連れてくるとまた母親に邪魔されるのがわかっていたから、それが嫌で彼女の家でデッサンさせてもらうことにした。

 それでも、クロッキー用具を抱えて出かけようとしたら、母親がまるでテレビドラマのなかで刑事たちが尋問するみたいにいろいろ聞いてくるから、学校の絵の先生に特別に自分のデッサンを観てもらうことになったからだなんて、てきとうに嘘をならべて。

 でも、それも、母親が花屋さんに立ちよったとき、ぜんぶバレてしまった。


 あの花屋で母親とその絵の先生がぐうぜんにも顔を合わせるなんて。


 翌朝、口論になり、ウソをあばかれ、自分の運の悪さを呪ったとたん、母親の手のひらが飛んできて頬を叩かれた。

 痛かった。

 わたしは勢いよく頭に血がのぼってくるのを感じて、いままで使ったこともない烈しいことばで母親をののしりながら、ちょうど週末だったものだから、自分の部屋に駆けこんでドアに鍵をかけ、そのまま籠城することにした。


 丸半日がすぎると、ノックがして、母親が声をかけてきたんだけど、無言で拒否してたし、翌日の夜になってもわたしは部屋から出なかった。

 とはいっても、両親の気配をうかがいながら、トイレへの往復は成功させていたから、なんの問題もなかった。


 日曜の深夜が近づいてくると、さすがに心配になって、娘のご機嫌をとりたくなったのか、彼女はわたしの部屋の扉の前に夕食のトレーを置いていった。

 お腹はすいていたけど、降伏したくなかったから、頑張って手をつけなかった。

 じつを言うと籠城する前にバナナ2本をキッチンからもち出してたから本当のハンガーストライキにはならなかったけど。


 3日目の夜に父親が出張から帰ってきて、学校にも行かずに部屋に閉じこもってるわたしを呼びにきたけど、わたしがまるで死んだように反応しなかったものだから、こんどは父親と母親の喧嘩が始まった。


 わたしのことでお互いを責めあってるのが聞こえてきた。

 結婚する前につきあってたお互いの恋人のことまで喧嘩のネタになってたみたい。

 不安になるほど激しい口論だった。


 そんな出来事も、じきに或る夜の思い出のひとつになって、記憶のなかから薄れていった。



 大学は女子大を選んだ。

 母親は猛反対したけどね。

 父親は『そのほうが安心じゃないか』って母親の意見をおさえこんでくれた。

 彼はそのあとも娘の女子大志望に反対する母親の気持ちがわからないってぼやいてたかな。


 とにかく女子大に入れたのはよかったんだけど、そこで事件を起こしてしまった。

 必修科目を教えていた女性教授を好きになってしまって。

 英文学の先生だった。まだ40代半ばだった。かなり優秀な女性だったことはまちがいない。

 完璧なひとめ惚れ。

 彼女がこちらに近づいてくるだけで息が浅くなって動悸がはげしくなって目尻がツンと斜め後方に引っ張られる感じ。

 うっとりするほど、ほんとうに知性的な横顔だった。

 もう夢中で勉強して、講義中に質問をぶつけたりしてた。

 一目置かれたくて。

 そんなとき教授から『なかなか思慮深い質問ね』なんて言われたりしたら、それだけで心が舞い上がるのをおぼえた。


 寮のルームメイトはわたしの好みじゃなかったし、彼女が連れてくるボーイフレンドに興味を持ったこともないから、その子とはいい距離を保つことができてた。

 だから、わたしの母親が抜き打ちで学生寮にやってきて、わたしと彼女との関係や他の女ともだちとのあいだの関係についてしつこく詮索したときも、ルームメイトの彼女はそれを不思議に感じることもなかったみたい。

 娘離れのできない心配性の母親がやってきたくらいの認識だったとおもう。

 もちろんそんなルームメイトに憧れの教授について話したことは一度もなかったし。



 2年目の終わり頃には、教授の部屋へ出入りを許されて、書棚から本を貸してもらえるくらいの信頼を得た。

 自信を得たわたしは、時を見計らって『あなたの顔をデッサンさせてください』って教授におねがいしたの。

 懇願したと言ったほうがいいかもしれないけど、教授のオフィスに通って『横顔を描かせてください』ってたのみこんだのをおぼえてる。

 教授の鼻先から顎の先までの輪郭には欠陥と呼べるものがなかったから。

 断られるかと思ったんだけど、『いいわよ』のひとことで、さらりと聞き入れてもらって、『ほんとうに?』と聞き返したのを覚えてる。


 何度も彼女の家に通った。

 週末に行くたびに1枚仕上げるのだけど、それを彼女が気に入ってくれないものだから困った。

 どこがだめなのか悩んだりもしたけれど、そのおかげで彼女の家を訪ねる理由と機会が増えたわけだから気にはしなかった。

 満足してくれないことが喜びにつながるという被虐的な心理を楽しんでもいたし。


 ランチも一緒に食べることができた。

 でも夕方になると必ず帰らなくてはいけなかった。

 それでも、ある日曜日の夕方、どうしても帰りたくないという気持ちが募って、彼女の家の居間の窓からぼんやり通りを眺めてたら背後からいきなり抱きしめられて。

 両足から力がぬけてしまうのがわかった。

『えっ?』ていう感じ。ほんとうに『えっ? まさか』ていう。


 そのまま、いくところまでいってしまった。


 はじめてのことだったけれど、はじめての絶頂を味わって、もう彼女から離れられなくなった。

 精神的にも、肉体的にも。

 だって『あなたを見てると、私の若い頃を思い出すわ』なんて殺し文句までささやかれて。

 わたしは頭の中で究極のロマンスに浸って無我夢中になってたとおもう。


 子供だったのかもしれない。


 あの年齢で、彼女に恋人がいなかったはずはないだろうし、しかも女子大の女性教授なのだから。

 しばらくたって恋人がいることを打ち明けられて、しかも、教授と教え子という禁じられた関係をこのまま続けていくのは危険だと告げられて、あまりの衝撃で目の前が真っ暗になった。

 ちょうどキッチンでお料理を作ってた時だったし、わたし、ナイフを握ってたから、言い争うこともなくスカートをめくって太ももの付け根にナイフを突き刺してた。

 そのあとのことは何も憶えてない。


 じつは、子供の頃、夏休みに、母親の実家のある海辺で祖父と過ごしたことがあった。

 水着姿でデッキチェアに横になってた小学生のわたしのそばに腰かけた祖父が、こんなことを話してくれた。

『ここは大腿動脈というのが通ってるところでね。ここにメスを入れると人間はかんたんに死んでしまうんだよ。手首を切ったり足首を切ったりしたところでなかなか死ねるもんじゃない』


 子供にそんなことを教えたりする祖父だったから、私の母親には敬遠されてたけど、彼は外科医だった。

 わたしは祖父のことを好きだったし変なヒトともおもわなかったし、祖父もわたしという孫娘を気に入ってくれてたとおもう。

 どうして子供のわたしにそんなことを教えてくれたのか不思議に感じてはいたけれど、その祖父の言葉がこの頭の片隅に長いあいだ残ってたことはたしかだった。

 それにしてもほとんど無意識のうちに自分の大腿動脈を傷つけようとするなんてどうかしてたかもしれない。


 今になってあの時のことを思い出しても、本当に死にたかったとはどうしてもおもえない。

 ただそばにいた女性になんらかの衝撃を与えたかったことはたしかだとおもう。

 わたしの気持ちを目に見えるカタチにしたっていうことでは成功したはずなんだけど。



 救急車で病院に運ばれていったらしく、ようやく麻酔がさめかかってきた時、ぼんやりした視界に入ってきたのは、彼女と母親のふたりの姿だった。

 わたしが目をあいたことにも気づかなかった様子で、ふたりとも私のベッドを挟んで対峙してた。

 まだ水底からプールサイドの人たちをあおぎ見ているみたいな、おぼろげな視感だったけど、ふたりの会話から知り合いだったってことがわかった。

 しかもふたりは同じ大学に通っていた恋人同士だった。

 意識は朦朧としていたけど、わたしにとっては青天の霹靂だった。

 まさか母と娘が同じ女性を愛したなんて信じられなかったし。


 ふたりは大学の寮のルームメートだったらしい。

 同性愛がまだ世間から隠されていた時代だったのに、彼女に求められるままに体をゆるして、彼女を激愛してしまったあげくに、わたしの母親はふられてしまった。

 きっと言いようもない心の痛みと怒りに苦しんだのにちがいない。

 彼女に誘惑されて、危ない恋に落ちてしまったのだから、すべてを自分の責任だとも感じていたかもしれないし。

 わたしにはよく理解できる。


 あの当時のことだし、わたしの母親は彼女を恨んだと思う。

 しかも、失恋からのショックが落ちつかないうちに、こんどはわたしの祖母が交通事故で死んでしまい、自分の母親を失った彼女はいっそう深い悲しみに打ちひしがれたにちがいない。

 そして同性を愛してしまったせいで『神の怒り』に触れ、その罰として大好きだった母を奪われたのだ、と自分を追いつめたのだとおもう。

 だから二度と過ちは犯さないと神に誓ったらしい。

 退院してまもなく母はそう告白してくれた。


 母の気持ちは理解できた。わたしも同じ痛みと怒りを味わったから。

 彼女は娘にも同じ罪を犯させないようにしたかったのだとおもう。

 でも、そうはいっても、わたしは母とは違うし、いくら同じ血が流れてるからって、わたしが同性を愛してはいけないってことにはならない。

 わたしと母とは別の個人なのだから。


 それにしても、母と娘が同じ女性に魅かれて恋に落ちて、その女性にふられてしまうなんて、どんな確率で起きることなのかな。

 なにか深い運命的なものを感じてしまった。



 けっきょく母とは断絶することになった。

 お互い妥協できないタイプだから、わたし、そのまま家を出ることにして。


 大学も中退して未来は何も見えなかったけど、東部のコネチカット州からカリフォルニア州までヒッチハイクしながらアメリカ大陸を横断することになるなんて思ってもいなかった。

 自分に勲章をあげたくなったくらい。


 大型トラックにも乗ったし、家族4人といっしょにステーションワゴンの後部座席から景色をながめていたこともある。

 ハリウッド映画が描くような危険なことにはあわなかった。

 クルマをとめてわたしを乗せてくれた運転手のほとんどが会話好きだったことはたしかだけど。


 それぞれのクルマで車内の匂いがちがう。

 タバコ臭がしたり、ハンバーガーやコーヒーの臭いが残っていたり、ときにはグリースの臭いが強いのもあった。

 それぞれの匂いに個性があった。


 とにかくサンフランシスコまでやってきて本当によかった。

 仲間がたくさんいるし、そのおかげでみんなと雑誌を立ち上げることもできたし。



 父はわたしの様子を知りたくなると電話をかけてくる。

 理解しようと努力してはくれてるみたい。

『父親としては、自分の娘がそこらの男とつきあうよりも、女性と上手く生きていける方が良いと感じるのに決まってるさ。それにしても、おまえもおまえの母親も本当に強情だからな。たいしたものだ』

 そう言って笑う。

 わたしは、ムリしなくてもいいのに、とおもいつつ苦笑する。


 



  1986年 春 / バークレー




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