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執筆者の写真香月葉子

いまさら聞けない「性別」の話 | セックスとジェンダーのちがいとは?

更新日:8月15日


性別に〈セックス〉と〈ジェンダー〉という2種類のことばがあるのはどうして?


 セックスとジェンダーはともに〈性別〉と訳されてはいますけれど、それぞれちがうものです。


 外来語のセックスとジェンダーということばを輸入したのはいいけれど、欧米とちがって、そのことばのちがいを肌で感じるための社会的・文化的な背景がなかったために、どちらのことばにも〈性別〉という訳をあてるしかなかったのではないかと考えられているようです。


 米国の医学誌の定義によりますと、〈セックス〉とは女・男・インターセックス3者におけるそれぞれの身体的なちがいのことです。

 生物学的にもって生まれた性のことで、出生時に診断され、あてがわれた性別のことでもあります。

 ここで言うインターセックスとは「身体的な特徴が女・男のどちらにもあてはまる人・どちらにもあてはまらない人」と申しましたが、正確には女と男それぞれがもつ生物学的特徴のさまざまな組み合わせをもって生まれてきた人をさしています。

 女と男のどちらでもあり、またそのどちらでもない身体的特徴をもって生まれた方のことです。


 つまり〈セックス〉とは「体によって決められた性別」のことだとお考えになったらいいかもしれません。


 それに反して〈ジェンダー〉とは、それぞれの社会や文化圏によってつくられた女性・男性(女らしさ・男らしさ)についての考え方とイメージからくる役割、行動様式、そして特質などによるちがいのことです。


 つまり〈ジェンダー〉とは「それぞれの社会のなかでイメージされている性別」のことです。


 そこから生まれてきたのがジェンダー・アイデンティティ(性自認)ということばで、みなさんひとりびとりが、ご自分のことを、女性・男性・そのどちらでもない性、のどれにご自分をあてはめておられるかという自己認識をさしています。


 つまり「こころが決めた性別」とでも言えばいいのでしょうか。

ノンバイナリーの人の写真
わたしはノンバイナリー

 つまり、ジェンダーとは社会的・文化的につくられた性別であるのと同時に、〈性自認〉 Gender Identity と呼ばれる心理学的性別の元にもなっているのです。


 もともと心理学用語として生まれたジェンダーということばは「それぞれの社会や文化圏によってブランド化された男らしさ・女らしさのこと」と言ったほうがわかりやすいかもしれません。


 けれども、わが国では、欧米のように「男女のちがいはそれぞれの社会や文化圏によってもつくられる」という考え方はありませんでした。

女と男のちがいは「自然」なことであり、「そうなるべくして成った」ことなのだから、「しかたのないこと」だし、「変えることはできないもの」なのだ、という考えが、わたしたちのモノの見方に大きな影響をおよぼしていたのではないかとお考えになる学者さんもいらっしゃいます。

 ですから、ジェンダーということばにも、セックスとおなじ〈性別〉という訳をあてたのだろうとみられているようです。


『どちらも似たようなものだ』というふうに誤解してしまったのかもしれません。


 そのせいで、わが国では、ジェンダーについて語っているときですら、男女のちがいは「自然」で「あたりまえ」なものであって、もって生まれた「とうぜん」のちがいだというニュアンスがまといついてくるようになったのではないか、とおっしゃる学者さんがいらっしゃいます。


 これが〈性別〉を考える上での誤解や混乱を引きおこすきっかけであり、また、そのせいで、わが国ではいまだに女・男のちがいは「自然からあたえられたもの」だとおもわれる原因にもなったのでは、と指摘されているようです。


 ところで、みなさんのなかには、いままでふしぎに思ってきた方がいらっしゃるかもしれませんが、セックスということばには、もちろん〈性行為〉の意味もふくまれています。


 けれども、ここでは、あくまでも、女・男・インターセックス3者それぞれの生物学的なちがいをあらわすための〈性別〉という意味としてだけつかわせてもらっています。



〈セックス〉という生物学的性別のことをもっと知りたい


 さきほど説明させてもらったのですが、〈セックス〉とは女と男とインターセックスの3者それぞれの生物学的・身体的なちがいのことで、生まれもっての性別のことです。


「男に生まれたきた・女に生まれたきた・その両方でありそのどちらでもないものに生まれてきた」というのが身体的な性別です。


 別の言い方をすれば「からだによって決められた性別」のことですし、日本では出生時に診断されて戸籍(米国では出生届や出生証明書)に記載(きさい)されている性別のことでもあります。


 英語圏で「あなたのSexは?」という項目のある書類を手にお取りになったときは、ご存知のように、他の動物にも使うFemale(メス)もしくはMale(オス)とお答えになるとおもいます。



〈ジェンダー〉という社会的・文化的につくりあげられた性別のことをもっと知りたい


 さきほど、ジェンダーとは、それぞれの社会や文化圏がうみだした「男らしさ・女らしさ」と述べました。


 ご両親から「女の子なんだから・男の子なんだから」そうしなければいけない、そんなことをしてはいけない、そういう考えでなければいけない、などと言われた方がいらっしゃるのではないでしょうか。


 わたしはそうでしたし、たぶん、わたしの世代のほとんどの方々はそうだったとおもいます。


 それは、このわたしと同じように、わたしの両親もまた、祖母や祖父から言われて学んだ社会や文化圏によるジェンダーについての考え方によるものなのです。

そういう日々の教育の連鎖(れんさ)という歴史の「つらなり」のなかに文化がかたちづくられていくということはみなさんも学校で学ばれたことだとおもいます。

 さすがにこれはちょっぴり古くさいイメージかもしれませんけれども:


①女の子は髪をのばし、ピンク色の服を着て、お人形を抱いて、ままごとをするもの。


②男の子はざんぎり頭で、青色の服を着て、棒切れや玩具のピストルをふりまわしながら、かけっこやとっくみあいに夢中になるもの。


③女の子は家のなかでお料理やお裁縫を学び、母親のしてきたことから学ぶもの。


④男の子は外に出て、キャッチボールをして遊び、昆虫採集をしたり、木にのぼったりして、父親の後ろ姿を追いかけるもの。


⑤女の子は可愛く、やさしく、繊細で、包容力があって、涙を流すことがゆるされている存在。


⑥男の子は決断力をもち、勇敢で、闘争心に燃えていて、涙を流すことはゆるされない存在。


⑦女の子は相手からの要望を受け入れる立場で、男の子は自分からはたらきかける立場。


⑧女の子はプレゼントを受けとる側、男の子はプレゼントを送る側。

少女と少年の写真
女の子vs男の子

 これらはほんとうに古くさい女性・男性という性別(ジェンダー)による行動様式と役割分担ですけれども、このように、ある社会や文化圏では、女らしい(フェミニン)とはどういうものなのか、男らしい(マスキュリン)とはどういうものなのかが、しぐさや言葉づかい、服装やメイクの仕方、他人とのつきあい方から受け答えのしかたにいたるまで、どこかに法律や規律があるわけでもないのに、おどろくほどこと細かに決められていて、しかも「世間の目・世間の声」という力で、そういう行動様式を強制することができます。

 

 それと同時に、わたしたちひとりびとりの心の中にも「そうしなければいけない」とか「そうすることがとうぜんであたりまえ」という、心理的な規制がはたらくようにもなっています。

だれからも強制されていないのに、なぜか「そうしなければいけない」という自主規制にもとづいて行動しているときが、そういう状態なのだとおもいます。

 また、小説や絵画や映画や音楽、そしてTVドラマやCMやソーシャルメディアなども、あるときは計算ずくで、あるときは知らず知らずのうちに、女性・男性というジェンダーのちがいによるモノの見方やふるまいを利用しながら、結果としてそのちがいを認める役割を担(にな)っています。


 そして、そういう性的役割分担や性別による固定観念(ステレオタイプ)からハズれたことをすると、白い目で見られたり、社会からのけものにされたりすることがおこります。


 ここに、社会的文化的にかたちづくられた性別(ジェンダー)の、とても深い意味と秘密が隠されているのだとおもいます。



あなたはシスジェンダー? トランスジェンダー? それともノンバイナリー?


 性のあり方についてのさまざまなカテゴリーが誤解をうんだり、わたしたちを混乱させるのは、さきほど説明させてもらった身体的性別(からだによって決められた性別)と性自認(こころが決めた性別)という考え方にくわえて性的指向(好きになる性別)とジェンダー表現(ふるまい方)いう考え方をも視野にいれなければいけないからです。

男性ふたりの写真
愛する人たちは性別を問いません

 つまり、その4つの関係を理解していないとわからなくなるほど、性の多様性を認める社会になってきた、と言えるのかもしれません。


〈身体的性別〉Sex とは、さきほど説明させてもらったとおり、出生時に診断されて戸籍に記載されている生物学的・身体的性別(セックス)のことで「からだによって決められた性別」のことです。


 これはみなさんの体の外がわと内がわの両方によって診断・判断することのできる性別です。

 つまり、女に生まれてきた・男に生まれてきた、ということです。


〈性自認〉Gender Identityとは、その生物学的・身体的性別とはかかわりなく『あなたはあなた自身の社会的・文化的につくりあげられた性別(ジェンダー)をどのようにとらえていますか』ということです。


 つまり、あなたはあなた自身を女性だと思っているのか、それとも男性だと思っているのか、もしくは、そのどちらにも当てはまらないものだと思っているのか、ということですから、別の言い方をすれば「こころが決めた性別」のことです。


 さて、ここまで読んでくださったら、〈トランスジェンダー〉と〈シスジェンダー〉それぞれがもっている考え方のちがいを、よりハッキリと理解していただくことができるかもしれません。


 まず、〈トランスジェンダー〉とは、出生時にあてがわれた戸籍上の性別は「女」だけれども、わたしは自分を「男性」だとおもっている、とか、出生時に「男」と診断されてはいるけれどもわたしはわたしのことを「女性」だとおもっている、というふうに身体的性別(セックス)と性自認(ジェンダー・アイデンティティ)が一致していない、しっくりこない、違和感をもっている、という方たちのことです。


 べつの言い方をしますと、男として生まれたけれど、ぼくは自分のことを女性だとおもっている、とか、女として生まれたけれど、わたしは自分を男性だとおもっている、という方たちがトランスジェンダーというカテゴリーに入ります。


 いつか性別適合手術を受けようとおもっている方も、また、将来にわたって手術をするつもりのない方も、両者をふくめてトランスジェンダーと呼びます。


 じっさいにホルモン療法や性的適合手術をのぞんでいる方たちはトランスセクシュアルと呼ばれています。


 では、出生時に「男」と診断されてご自身も「男性」だとおもっている方や、出生時に「女」と診断されてご自身も「女性」だとおもっている方はどうなのでしょうか。


 そういう方たちは〈シスジェンダー〉と呼ばれています。


 ちょっと待って、それって、つまり、「あたりまえ」ていうか「フツー」ていうか、ようするに「ノーマル」なひとたち全員のことじゃない?


 なぜ〈シスジェンダー〉なんてことばを使うの? 「フツーの人」で良いのじゃない?


 たしかに、そんな意見が出るのは、とうぜんかもしれません。


 多数派、つまり、大多数の方々の意見でしょうから。

キスをする少年と少女の人形の写真
少女と少年のくちづけ

 けれども〈トランスジェンダー〉にたいして、身体的性別と性自認が一致している人たちを「ノーマル」だと考えるとすれば、トランスジェンダーの方たちは「アブノーマル」な人たちであり「あたりまえではない」人たちであり「フツーではない」人たちだとみなす考えが生まれてくるかもしれません。

つまり、わたしは「ノーマル」だという考えをもっていると、知らず知らずのあいだに、あの人たちは「アブノーマル」だという差別意識がうまれる可能性が高くなるかもしれないのです。

 そのため、出生時の性別(セックス)と、自分が思うところの性別(ジェンダー)が一致している多数派の方たちを〈シスジェンダー〉と呼ぶようになりました。


 ただし、シス(cis-)というラテン語は「こちら側」という意味で、トランス(trans-)というラテン語は「むこう側」という意味をふくんでいますので、たしかに〈ノーマルvsアブノーマル〉にくらべると、いくぶん毒がうすめられてはいますけれど、まだ、なんとなく危なかしい印象があります。


〈性的指向〉Sexual Orientation とは、最初のふたつ、身体的性別と性自認(からだによって決められた性別とこころが決めた性別)とはかかわりなく、ただ「あなたはどんな性を好きになりますか」ということだけをさしていることばです。


 あなたの恋愛・性愛対象はどんな身体的性別と性自認をもっている人なのですか? ということです。


 別の言い方をすれば「好きになる性別」のことでしょうか。


 たとえば、女に生まれてきて自分を女性だとおもっているシスジェンダーの女性で、しかも異性である男性だけを好きになる女性はヘテロセクシュアル(異性愛者)と呼ばれています。


 つまり、彼女はシスジェンダー女性で、異性愛者(ヘテロセクシュアル)です。


 それでは、女に生まれ、自分を女性だとおもっていて、好きになる相手は同性の女性だけ、という女性はどうでしょう?


 彼女は、シスジェンダー女性で、同性愛者(レズビアン)です。

女性ふたりの写真
恋人たち

 では、男に生まれてきたけれども自分は自分を女性だとおもうので、すでに性別適合手術をうけて女性に限りなく近い体を得た。そして、好きになる相手はきまって女性だけだという方はどうでしょう?


 彼女はトランスジェンダーのなかでもトランスセクシュアルといわれるカテゴリーに入る女性でMtF(Male to Female:男から女へ)と呼ばれる同性愛者(レズビアン)です。


 さいごに、身体的性別と性自認がともに女性で、しかも、恋愛感情・性愛感情をいだく相手は女性と男性の両方だという人はどうなのでしょうか。


 この彼女はシスジェンダー女性で、両性愛者(バイセクシュアル)です。


 けれども、ここに述べさせてもらった例は、あくまでも好きになる相手の「性別」を意識している方々であって、「好きになる相手の性別は問わない」という〈パンセクシュアル〉の方はまた別のカテゴリーにはいります。


〈ジェンダー表現〉Gender Expression というのは、とてもわかりやすいものです。


 ある社会や文化圏で〈男らしさ・女らしさ〉とか〈男っぽさ・女っぽさ〉とされている服装や髪型、しぐさや物言いなど、外見にあらわれる性別(ジェンダー)のちがいを、自分はどのように表現したいかということをさしたことばです。


 つまり、わたしはわたしが考える女らしさ・男らしさを、もしくは男・女のどちらでもない「らしさ」を、外見にあらわれる服装や髪型やしぐさや物言いなどで、どんなふうに表現したいかということです。


 このように、現在、セクシュアリティの問題は、まるで迷路(ラビリンス)のように入り組んだものになってはいますけれど、大きなちがいを理解しておくだけでも、多様化した性のあり方をよりクリアに見分けることができるのではないかとおもいます。





♥︎この記事は2022年12月14に公開された『LGBTQとは何か? | セックスとジェンダーの関係』からの抜粋(ばっすい)です


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歌の解説のかわりに、それぞれ、歌が生まれるきっかけとなった出来事を書いています。




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