守られすぎてるから打たれ弱いの?
カマラ・ハリス副大統領は、2020年から2024年までの4年間、過去の米国の歴史に名をつらねてきた副大統領のうち、もっとも存在感の薄い人物だと言われています。
民主党のサポートにまわっている大手メディアからは、ずっと腫物(はれもの:kid-glove)にさわるようなあつかいを受けてきました。
そのため、大手新聞や雑誌においても、また大手のTV局によるインタビュー番組においても、政策についての具体的な質問をされたことはありませんし、いまでもそれは変わっていません。
というよりも、大統領候補になってからは、さらに手厚いあつかいを受けて、彼女が魅力的に見えるようなプロパガンダにやさしく包みこまれています。
それ以前からもずっと大手メディアによって『守られてきた人』だったせいか、2019年の民主党大会での公開討論会で、アメリカ合衆国下院議員トゥルシー・ギャバードからカリフォルニア州の司法長官を務めていた当時にハリス候補が犯した悪政を指摘され批判され厳しく追求されたときには、まともな反論がまったくできないまま、みるみる壁ぎわに追いつめられてしまいました。
彼女の悪政とは厳しすぎるマリファナ政策(doraconian marijuana policy)のことです。
ほんの数グラムというわずかなマリファナを所持していたという理由で、多くの黒人の青年やメキシコ系青年たちをつぎからつぎへと投獄し、カリフォルニア州が所有している刑務所の収容キャパシティーが限界に近づくなか、たとえばアマゾンやアップル製品用の箱作りなど、大企業のための労働力として、彼らをほとんど無給の奴隷状態で使役するために利用した、というものでした。
だれが見てもわかる、テレビ中継画面のなかでの敗北は、彼女があまりにも守られすぎていて、まさか同じ民主党内にそんな辛口の質問を投げかけてくる候補がいるとは思いもよらなかったことが原因なのではないか、と言われていました。
その後、トゥルシー・ギャバード下院議員のほうに注目があつまり人気が高まっていくなか、カマラ・ハリス候補はほぼ完全に『政治生命を絶たれたのでは』とウワサされていたのですけれど、不思議なことに、けっきょく民主党が副大統領に選んだのはカマラ・ハリス氏のほうでした。
困った時には笑えばなんとかなる?
ところが、副大統領のポストについたのはいいのですけれど、最初に述べたように、彼女の側についているはずの大手メディアにおいてすら、現在までのアメリカ合衆国副大統領のなかでもっとも『影の薄い人物』という評価に落ちついているようです。
じっさい新しい政策を発表するわけでもなく、また何らかの結果を出すわけでもなく、インタビューのたびごとに、バイデン大統領の民主党を推しているひとたちからも苦笑がもれるような、ほんとうにトンチンカン(マトはずれ)なことしか言わず、リサーチ不足で返答に困ったときには『カマラのバカ笑い』(Kamala's guffaw)でごまかすというイメージがついてまわっていますので、そういう評価がくだされるのもしかたがないかもしれません。
意識的にそのようにふるまっているのか、それとも彼女のアシスタント(aid:助手)たちによる調査結果やスピーチライター(講演用・マスコミ発表用の原稿を作成する人)の書いた草稿にきちんと目を通すこともなくインタビューにのぞむような勉強嫌いな方なのか、もしくは、彼女の頭の動きが元からそうなっているのか、ほんとうのところはわかりません。
ただし、米国の8th grader(8年生:日本の中学2年生)とほぼ同等レベルの内容の所信表明を、目を輝かせながら、情熱的に、さも意味ありげに語るのが得意な方であることだけは、たぶんまちがってはいないとおもいます。
今年2024年9月10日に放送されたハリス候補とトランプ候補によるテレビ討論会について、かつてライバルだったトゥルシー・ギャバードはつぎのように語っています。
「ハリス候補がハリウッドの俳優さんたちからもお呼びがかかるような演技指導者をつけて、ステージでの目のくばりかたや所作についての徹底的な訓練を受けたことはまちがいないでしょう。今回はなかなか見事でした」
言葉のサラダで煙に巻いて?
オバマ前大統領のスピーチライターとしてよく知られているアダム・フランケル氏(Adam Frankel)は、今年の民主党全国大会におけるカマラ・ハリス候補の指名受諾演説を用意した方です。
オバマ前大統領時代のお仕事にくらべると、ハリス候補向けのお仕事には手抜きが多すぎるのでは、というふうにしか見えませんけれど、例の一見トンチンカンなワード・サラダ(言葉のサラダ:脈絡のない意味不明な文章)は、もしかしたら意図的な戦略のひとつなのかもしれません。
なにを言わせても漠然としていて具体性がなく、会話の主題と話の筋を見失わせる『言葉のサラダ』ではありますけれど、もしかしたら、たんに失笑の的になるだけのことばだとおもわれていたものが、彼女が大統領に任命されたあかつきには、いままで誰も予想していなかったような威力を発揮することばに変化する可能性だってあります。
なぜなら、アメリカ合衆国大統領という『最上位の広告塔』の座についたときには、話の内容に具体性がないために、どのようなことにでも幅広く適用できる権力行使のためのパワフルな武器になりえますし、脈絡がなく主題からそれているために責任回避の武器にもなりえるのでは、なんていう懸念を抱いてしまいます。
別の見方をすれば、わたしたちが聞き慣れている日本の政治家の『漠然としていて意味がつかみにくい』話し方、もしくは『なにも内容がないのに、なにか大切なことを言っているかのようにおもわせる』言いまわしに近づいているとも言えます。
ようするに「裏に隠された意味」を読みとらないかぎり、具体的になにが語られているのかわからない、といった話し方です。
たとえば「適切に対応します」というのは「いちおう仕事をしたふりだけはします」という意味ですし、「国民にていねいに説明いたします」は「いちばん大切なことは言えませんが、いちおうこれから先もおなじことばをくりかえすつもりです」という意味になります。
また「速やかに行います」は「ま、そのうち、するかもしれません」ですし「お答えは差し控えさせていただきます」は「真実は知っているけれど言うつもりはありません」という解釈になります。
そういう意味では、ついにハリス候補のスピーチライターたちが日本の政治家の台本から学ぶ時代がおとずれたのだ、なんていう夢を見て、ひとりあきれかえっているところです。
この手の言説は賛同者を得ることを目的とはしていません。
敵を作らないことと逃げ道を用意することを目的としています。
国民に期待感を抱かせることもなく怒らせることもなく、ただただ「無力感」をあたえるという不思議な力をもっているのがこの手の話し方です。
それでもダメならプロパガンダがある?
ただし、いままでは相手の怒りをなだめるための武器のひとつでもあった言いまわしも、ちかごろではあまり効力がなくなっているようにもみうけられます。
なぜなら、ソーシャルメディアの普及したこの世界では、ネット上を流れている汚れた情報だけではなく、プロパガンダの甘いウソのかたまりすら溶かしてしまうような酸っぱい情報も同時に流れてくるからです。
しかも情報の共有速度が増しているために、そういう独特に「あいまいな」言いまわしによって批判をのがれてきた人物の化けの皮も瞬時にはがされてしまいます。
そのことが逆にわたしたちの怒りに油をそそぐ結果になって、みなさんご存知の『炎上』という現象が山火事のようにひろがってしまうのでしょう。
そう考えていくと、ハリス候補というのは、具体的で論理的な説明を旨(むね)としてきた過去の米国の政治家たちと比べてみると、ほとんど『異端的』ともいえることばによる戦略を選んだともいえます。
わたしの造語で申しわけないのですけれど、ようするに米国政治家の日本化(the Japanization of American Politicians)が始まったのでは、とすらおもえてくるのです。
オバマ前大統領の講演会やインタビューにおける陰の立役者と呼ばれた演技指導者(acting coach)のカル・ペン氏(Kal Penn)の真面目でひたむきなイメージ作りで信頼度を高める方法に比べると、失礼ではありますけれど、カマラ・ハリス候補の演技指導者は『バカ笑い』(guffaw:グファー)しか教えてこなかったのではないかという印象すら抱いてしまいます。
米国の大手メディアは、ほとんど名誉毀損に一歩手前の「いじわる」な質問でトランプ大統領候補のイメージを落とそうとしているとはよく言われることですけれど、それとは逆に、民主党のお抱え司会者として知られているオプラ・ウィンフリーは、カマラ・ハリス候補に対しては熟柿(じゅくし)みたいに甘い質問を、ひと切れひと切れ、ていねいにつまんでは、ハリス候補のお口に運んであげるほどやわらかいインタビューをおこないました。
これほどお膳立てしてあげてるのに?
それでもハリス候補はしっかりした受け答えができず、おしまいには民主党のプロパガンダと『言葉のサラダ』満載のひとり語りを延々と披露して、オプラ・ウィンフリーをすらうんざりさせる内容になってしまい、YouTubeにおいてもお笑いの的にされてしまいました。
とは言っても、ハリス候補は2010年にはカリフォルニア州の32代司法長官(32nd Attorney General of California)に選ばれただけではなく、2014年には再選されて2期連続して務めたような方です。そんなハリス候補がまるで幼稚園児を相手に語っているかのような内容で国民を煙に巻くのが上手だというところに、なんとも言えない不安を感じてしまうのです。
アメリカ合衆国議会そのものを所有しておられる献金者(donor:ドナー)や政治家たちを所有しているロビイスト団体(たとえば『イスラエル・ロビー』で有名なAIPACエイパックのような)、つまり支配層(the Establishment)の方々にとって、ハリス候補は彼らに多くの利益をもたらすであろう『安全』で、しかも、なんでも言うことをきく『お利口さん』人物カタログのなかのひとりなのでしょう。
そのようにみなされているからこそ、サンフランシスコ地方検事に抜擢されたのを皮切りに、カリフォルニア州司法長官を2期務めるほどトントン拍子に出世することもできたのでしょうし、ようするに超富裕層の方たちの広告塔の役目を担うことで『守られている人』に選ばれたのはまちがいがないのですけれど、それだけに、もしも彼女がほんとうに大統領に選ばれた場合には、こんどはその背後関係が問題になってくるとおもいます。
いくら大手メディアがカマラ・ハリス候補を推して、ダメなところを良しとしたり、まるで熱狂的人気につつまれている候補であるかのように飾り立てて話を作りあげた(spinした)としても、じっさいの人気の点でも話題性においてもトランプ候補のほうがはるかにパワフルで高い評価を得ていたことは事実です。
そもそもトランプ候補に匹敵する人気を得ている、という数字そのものが捏造(ねつぞう)であるとみなされていましたし、大手メディアによる足並みをそろえたハリス候補推しのプロパガンダがあまりにも酷いために、民主党支持者の方たちですらもが興ざめしたと言われています。
たとえアメリカ屈指の高額をとるスピンドクターたちに依頼しても、このソーシャルメディアの時代には、思惑通りにひとびとの心理をあやつるのはけっこうむつかしいようですね。
とにかく、あれほど存在感がなく、しかも言葉のサラダでお笑いになっていたカマラ・ハリス副大統領が、バイデン大統領の認知症のせいでとつぜん大統領候補にならざるを得なくなった、というシナリオはまだ理解できたのでしょうが、メディアのあつかいにかけては百戦錬磨のトランプ候補と肩をならべるようになったという大嘘を信じる人は民主党支持者のなかにもいませんでした。
でも、大手メディアによる豪雨のようなハリス推しプロパガンダも、継続的につづけられると、それなりの効果が表れるとおもわれます。
「嘘も突き通せば本当になる」ということばは本当なのかもしれません。
同語反復だったら小泉進次郎氏にも負けない?
ところで、いつも一般的に話題になる『言葉のサラダ』なのですけれど、ワード・サラダでいちばん多く使われている素材は、論理学や文学や哲学ではおなじみのトートロジー(tautology)といわれているものです。
意味もなく同じことばをくりかえしたり、同じ意味の文章をちょっとことばを変えてくりかえし表現したりすることを言います。
同語反復、同義語反復、類語反復、などとも呼ばれています。
いちばんシンプルなのは「白いホッキョクグマ」や「あの人は人間です」などです。
ホッキョクグマはもともと白いので「白い」ということばは同語反復になりますし、「人」はもともと「人間」のことなので、これも同語反復になります。
中級クラスでは、みなさんもご存知のハムレットのことば「To be or not to be. That’s the question」(生きるべきか死ぬべきか。それが問題だ)が有名かもしれません。
これは論理的矛盾をふくんだ反復になるそうです。
おたがいに打ち消しあって、なにも言っていないことと同じになるからだそうです。
「明日は雪が降るだろう。もしくは明日は雪は降らないだろう。そこが問題だよね」というのもそれと同じです。
たとえば「出かけるべきか出かけないべきか? ここのところがいちばんの問題なんだよね」と言われたら一瞬アタマがフリーズする(固まる)かもしれませんけれど、「だからどっちなのよ」と聞き返したら、すぐに結論は出るかと思います。
ふつうは「出かけたほうがいいのかなぁ、それとも出かけないほうがいいのかな。どうしたらいいのかわかんない」と言うべきところを「この質問がいちばん大切なんだよね」と観点をズラしてしまうことで、ハムレットの場合とおなじく、どこにも結論の出ないことなのに、さも大切な深みのあることを言っているように見せかけることのできる構文ができあがってしまうのです。
じっさいは、言っている本人が、頭が良く見えるようにしながらも、その件についての叱責は受けたくないがために、そこから話が進まない自己完結的な言いまわしによって自分を守ろうとしているだけのことなのに。
①「わたしは正しいことしか言いません。ですから正しいこととは何かを知りたければわたしに聞けば良いのです」
②「わたしは疫病研究所の最高責任者でありわたしが言うことにまちがいはないのです。ですからワクチンについてまちがったことをわたしが述べるはずがないのです」
③「わたしのワクチンの副作用についての調査にまちがいはありません。ですからワクチンの副作用についてはわたしの見解が正しいのです」
④「わたしは女性に暴力をふるったことはありません。ですからわたしが強姦の罪に問われることなんてありえません」
どれも一瞬アタマが固まってしまって、どこにも行き場がないような気持ちにさせられますけれど、解決法はいたってかんたんです。
このようなことを述べている方がおられたら、最初の文章にたいして「その事実と客観的証拠をあげてもらえませんか?」とたずねれば、それでおしまいです。
どれも本人がそのように「断言」しているだけのことであって、どこにも客観的な証拠はないわけですから。
たとえば:
①「わたしは正しいことしか言いません。ですから正しいこととは何かを知りたければわたしに聞けば良いのです」
こう言われたら「あなたが正しいことしか言ってこなかったという具体的な例をいくつか教えていただけませんか?」とたずねてみれば良いのです。
③「わたしのワクチンの副作用についての調査にまちがいはありません。ですからワクチンの副作用についてはわたしの見解が正しいのです」
こう言われたら「その調査はどのような方法で行われて、それにまちがいはないという客観的証拠をあげていただけませんか?」と聞けば良いのです。
おなじように④「わたしは女性に暴力をふるったことはありません。ですからわたしが強姦の罪に問われることなんてありえません」と言う方がいたら、「いちども暴力をふるったことがないという客観的証拠はあるんですか?」とたずねてみましょう。
カマラ・ハリス候補の場合は「わたしは地域社会の子供たちについて話しているのです。ですから彼らはまさに地域社会の子供たちなのです」とか「わたしは時間の経過の重要性について話しているのです。時間の経過の重要性というものについてです。ですからみなさんがそれについて考えるとき、それは時間の経過の重要性についてなのです」とか「これはほんとうに真剣に取り組まなければいけない問題です。なぜならみなさんがこれに真剣に取り組まなければいけなくなっているのと同様に、これは真剣に取り組まなければいけない問題だからです」などが有名で、内容がなにもないのにもかかわらず、さも内容があるかのように話しているだけのことです。
いっけんすると「事実と証拠を述べてもらえませんか?」という武器が使えないので足止めされたかのように感じられた方もいるかもしれませんけれど、彼女の場合は話している「本人=主体」を消すという「自分隠し」のテクニックを使っているだけのことですから「あなたご自身はそれについてどう思っていて、具体的にあなたはどのような行動をとられるおつもりなのですか?」とたずねたら一歩踏みだすことができるはずです。
そういう意味では、わが国のYouTuberのみならず、大手ニュースメディアの解説者をすらあきれさせ、お笑いの対象になるのが得意な小泉進次郎候補と似たところがあるように見えます。
もしも、この候補選びですら、米国政府が組み立てた企画と意向に沿って、自由民主党が行っていることなのでしたら(ふたたび復活したとみられている『年次改革要望書』)、それほど笑ってすませられるようなことではなくて、これから先の経済政策やワクチン政策、もしくは労働環境や憲法改正などにも多大な影響をおよぼすような伏線が張られているとも考えられます。
けれども現在は石破氏が総理大臣になられたということなので、日本政府への米国の影響とその方向性にも変化が生じるのかもしれませんけれど…まるで米国の51州目としての役割を負わされているかのようなこの国で暮らしている市民のひとりとしては、いろいろと心配になることばかり多くて困ってしまいます。
とくにヘンリー・キッシンジャーのことばを思い出してしまう日には…。
「It may be dangerous to be America's enemy, but to be America's friend is fatal」
「アメリカの敵であることはリスクをともないます。でも、アメリカの友人であることは命にかかわります」
グレート・リセットで過去はなかったことに?
ところでカマラ・ハリス候補のお気に入りのことばにつぎのようなものがあります。
「I can imagine what can be unburdened by what has been」
過去の重みから自由になれたら何が可能になるのかわたしには見えるのです。
「自分がカリフォルニア州司法長官時代におこなった数々の悪政を忘れさえすれば未来はひらかれます」と言いたいのでしょうか。
なぜかハリス候補の『バカ笑い』が聞こえてくる気がします。
彼女がテレビでのインタビューや講演のさいに、くりかえし強調するこのことばにも、なんらかの深い意味とコロナ禍以後に世界の所有者たち(『巨大企業17社とグローバル・パワー・エリート 資本主義最強の389人のリスト』)が社会を根本的に再起動させて再構築するという意味での『グレート・リセット』を行おうとしていることとも、もしかしたら深い関係があるのでは、なんて考えさせられてしまいます。
なぜなら、みなさんはすでにご存知かもしれませんが、ダボス会議やビルダーバーグ会議で知られる世界経済フォーラムを仕切っている方々が、デンマークの政治家アイダ・アウケンのエッセイから拝借してきて2016年に発表し、大手メディアだけではなくソーシャルメディア界隈でもかなり話題になったり「炎上」したりしたつぎのようなことばが聞こえてくるからです。
あなたはなにも所有しなくても幸せになれます。
どのように受け取ったらよいのでしょうか。
喜んだらいいのか悲しんだらいいのか、褒めたたえるべきなのか怒るべきなのか、さっぱりわかりません。
このことばもまた、人を悩ませ「固まらせる」ことばのひとつかもしれませんね。
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