【映画】中年養蜂家の逆鱗(げきりん)に触れてしまったIT Geek(アイティーオタク)たち
ジェイソン・ステイサム主演の『蜂の巣を守る男』(The Beekeeper)は典型的なリベンジアクション映画です。
『蜂の巣を守る男』という邦題はわたしが勝手につけさせてもらいました。
元CIAの特殊工作員だった孤独な中年男性の養蜂家クレイ(ステイサム)を、家族のようにして面倒をみてくれていた黒人女性が、フィッシング詐欺にあって、財産をすべて奪われ、自殺。で、すみやかに復讐のアクセルを踏みこんでしまうミスター・クレイ。
ピストルなどの飛び道具はいっさい使わずに、ネット上でフィッシング詐欺をおこなっている組織を次から次へとつぶしていき、そのボスに迫っていくうちに、元CIAやアメリカの女性大統領、麻薬漬けのIT Geek(このキャラクタ作りはさすがに荒唐無稽?)、そして、どこからどう見てもサイコパスみたいな契約殺人者(contract killer)までもがからんできて…。
遠くは日本の侍・ヤクザ映画から影響をうけたマカロニウェスタン、そして1970年代の『必殺仕置人』や『子連れ狼』からチャールズ・ブロンソンの一連の映画によって引きつがれてきた復讐劇に、『ジョン・ウィック』や『イコライザー』や『エージェント・ウルトラ』などでもお馴染みの「こう見えても、この人物、じつはある秘密組織に所属していたとんでもない人」というお決まりのフルコースで観客をもてなしてくれます。
もとはといえば、ジーン・ハックマン主演の1985年公開の映画『ターゲット』で使われた「だらしなく見えていたぼくの親父がじつは元CIAのスーパーエージェントだった」というトリックが始まりだったような気がします。
当時はみごとな隠し味だったのですが、近年のリベンジアクション映画では、それがすでにメインの調味料になってしまった感じがします。
なにも考えず、なにも思い悩まず、ご家族や恋人や友人たちと、笑ったり、ぺちゃくちゃと会話をしつつ、おしまいまで楽しんで見れる、典型的なハリウッド型娯楽映画であることはまちがいありません。
しかも、この映画の興行収入(box office)ははるかに予想を上まわるもので、過去にジェイソン・ステイサム氏が主演した映画のすべてをしのぐ利益を生み出しているとも伝えられています。
ギーク(Geek)とナード(Nerd)たちの進化
この成功の背景にあるのは、たぶん、現在のアメリカの一般市民にとって、ギーク(Geek マニア的オタク)とナード(Nerd 内向的オタク)という存在の意味が変わってきたことによるのではないかとおもわれます。
米国で Nerd や Geek といえば、高校時代にはまわりから奇妙な目で見られる存在です。
いつも図書館で分厚い本にかじりついていて、興味のないヒトたちからすればワケのわからない専門用語で話し、学校のなかでいちばん可愛いとされているチアガールたちからは見向きもされないタイプの少年少女たちです。
そもそも、12歳をすぎてもまだコミックを読んでいる子供やゲームに夢中になっている子供は、まわりから変人・奇人あつかいされることがあたりまえの米国で、D.C. Comic や Marvel とタイアップしたハリウッドの映画会社は、ここ15、6年のあいだ、コミックを原作にした一連のヒット作をとばしてきました。
つまり、米国文化の地平の片隅でひっそりと咲いていたコミック・ブック・コンベンション(コミコン)という小さな花が、いまや、大輪の花となり、市民権を得るにいたったのです。
とはいっても、一般人にとって「オタク」とは、あくまでも自分たちの生活とはそれほど関わりのない存在、おそらく自分たちの人生とは交差することのない存在でしかなかったはずです。
猫耳をつけて、ジャパアニメのコスチュームに身をつつみ、大好きなアニソンにあわせてダンスしている動画をTikTokなどで配信している女の子たちは、日本でしたら「イイネ」欲しさでがんばってるね、で済むかもしれませんけれど、アメリカでしたら、以前は「変人・奇人」あつかいされる超少数派(マイクロ・マイノリティ)の小箱におしこめられていたとおもいます。
ただ、下手をするとソーシャルメディアによるイジメ(bullying)にあって自殺に追いこまれそうだった女の子が、TikTokで大変身をとげて、イジメられていた日々から抜け出してハイスクールのセレブになった、というニュースを耳にしたあたり(コロナ禍に入った2021年ころ?)から、ずいぶん状況が変わってきたようです。
じっさい、14~16歳くらいのTikTokerのなかには、チアガールをはるかに凌ぐようなワールドクラスの「kawaii」女の子たちがいて、TikTokというソーシャルメディアは、たんに承認欲求を満たすためのものだけではなく、モデル業や女優業を得るための足がかり的プロモーションビデオに近い役割を果たすようにもなったらしいのです。
とは言っても、10代の女の子たちのあいだでは、コロナ禍が終わりかけた2022年の末あたりからTikTokはすでに「時代遅れ」(outdated)だとみなされはじめて、みんなに人気だったTikTokerたちが、いまではinstagramやYouTubeやXにプラットフォームを移しはじめたという記事を目にしたこともあります。
マイクロマイノリティ(超少数派)がいつのまにかセレブに
ところで、日本のアニメは世界的になった、とは言われていますし、わたしもどこかでそのように書いたおぼえがありますけれど、アメリカや欧州諸国で、じっさいに高校生などが互いに『進撃の巨人』や『ONE PIECE』の話題に花を咲かせるということはまずないようです。
現在の英国やドイツやフランスやベルギーなどで育った20代後半から30代半ばの若者たちでしたら、「あのころは『セーラームーン』や『ドラゴンボール』が大人気だったし、いつも見ていたよ」と語るひとたちは多いでしょうけれど、忘れてはいけないのは5歳から12歳までのころは、いつもテレビにかじりついて楽しんでいた、という過去形のニュアンスで話しているということです。
みんなと共有できるアニメを見ていた「幼い時代」をなつかしんでいるのでしょう。
西洋文化圏では、マンガやアニメを楽しむのは、あくまでも「子供じみた行い」(kids' stuff / child things)だからです。
けれども、それと同じようなあつかいをされてきた非社交的(unsocial)で自閉症的(autistic)といわれるくらいに内向的なナード(Nerd : 内向的オタク)と、自分に興味のあることに関してだけは「専門家はだし」、つまり専門家が逃げ出すくらいの知識をもっているギーク(Geek : マニア的オタク)であったマイクロ・マイノリティに属するひとたちが、過去40年間のうちに、いつのまにか百万長者、いえ、億万長者になったのです。
1984年に公開され、かなりの人気を博して、当時、Saturday Night Live などでもひんぱんにとりあげられた映画『ナードたちの復讐』(Revenge of the Nerds)は、わたしにとってもなつかしい映画なのですけれど、文化的・経済的なレベルで彼らが支配層の側にまわるとは、さすがに予想できませんでした。
そして、マイクロソフトのビル・ゲイツやアマゾンのジェフ・ベゾス、そして元フェイスブックで現在はメタのマーク・ザッカーバーグなどが、機関投資家たちの援助(バックアップ)によって作りあげた、そのグローバルな企業による独占体制と検閲に関する問題がとりあげられるようになったせいで、数年前から、こんどは彼らは悪の権化のようにあつかわれはじめました。
そういう意味では、一般人の生活に溶けこむことはできたけれども、その結果はちょっと予想していたものとはちがっていたのかもしれません。
また、そういう「奇人・変人」タイプに属するマニア的オタク(Geek)たちが、いまやシリコンバレーに居並ぶ巨大IT企業(グーグル・アップル・メタ・アマゾン・マイクロソフトなど)を支配する億万長者たちへと変貌するのを、一般のひとびとは目の当たりにしてきました。
そして、そういう企業で働く高額のサラリーを受けとっている社員たちが移り住んできたために、サンフランシスコの地価が高騰し、家やアパートやマンションなどは想像を絶する値上がりをして、フツーの人々では借りることさえできず、また、それまでずっとそこで暮らしていた一般人は支払不能におちいって立ち退かされたり、他州へと引っ越しをしなければいけない状況(gentrification : ジェントリフィケーション)が、米国の他都市においても発生しています。
このような現実にたいして、一般人がかかえているだろう鬱憤(うっぷん)に焦点をあてたハリウッドの戦略は、なかなかみごとだとおもいます。
これに味をしめた銀行やウォール・ストリートの映画投資関係の部門が、今まで以上にハリウッドの映画作りに口をはさんできて、もしかしたら、これから先、何本か、ITGeek さんたちが悪者にされる似たような映画が作られるかもしれませんね。
あまり変な具合にねじれて欲しくない道筋ですけれど。
【映画】怖すぎるデンゼル・ワシントン
ところで『イコライザー最終章』のデンゼル・ワシントンは、彼自身がサイコパスとしかおもえない行動で迫ってくるので、ときおり目をつむってやりすごすしかない恐ろしい場面が多くありました。たとえ目をふさいでいても、うめき声や悲鳴が聞こえると肩がふるえてしまい、どうしてこんな映画を見ているのかすらわからなくなったりもしました。
怖すぎます。
わたしにはアクション映画というよりも『テキサス・チェーンソー(悪魔のいけにえ)』なみのホラー映画でした。
なんて言いながらも、じつは、ちゃんとおしまいまで観てしまいました。
もしかしたら、あれほど人殺しの技術に長けているのにもかかわらず、女性にたいして「はにかみ」をみせたりして、ちゃんと母性本能をくすぐるようなキャラクタにしてあるところにまんまと乗せられてしまったのかも。
とくに、幼いころ母親に言われたことを、いまだにきちんと守っているかのように、もしくは、どうしようもないほど法と正義が崩れてゆくこの世界のなかで、なんとか秩序を取りもどそうと願っているかのように、神経質そうに何度もきちんとナプキンを折りたたんでは整えようとする主人公のこまやかなしぐさには胸を熱くさせられてしまいました。
そういうディテールまで練りこまれたデンゼル・ワシントンの役作りがあるからこそ、B級リベンジアクション映画の典型でしかないストーリーなのにもかかわらず、見終わったあとに不思議な達成感につつまれるのかもしれませんね。
【音楽】それでもバカテク(超絶技巧)と言わずにはいられないマッテオくん
YouTubeで信じられないようなギターテクニックを披露してきて、ようやく処女アルバム『The Journey』を発表したマッテオ・マンクーゾ(Matteo Mancuso)くんは、イタリアンマフィアの本拠地とも言えるシシリー島のパレルモ生まれ。
ピックを使わない、指だけの奏法で、さまざまなギターテクニックをみせてくれます。ジャンルでいえばジャズ・フュージョンに入るのでしょうか。
生み出される音色も豊富で、色鉛筆48色のケースを開いたときのような嬉しさと驚きをあたえてくれます。ただ、技術だけでなく、あらゆるジャンルのギターやその他の楽器のフレーズの採譜(トランスクリプション/コピー)にはげんで、研鑽をつんできた過去があるだけに、「これもできます、あれもできます。これもしたいし、あれもしたい」といった感じのヴァージンアルバムといった印象が強くて、なめらかで甘やかな音に彩られたハイパー・ウルトラ・テクニックをのぞくと、彼自身の内部からあふれでるシンギュラーな歌い心(voice)がつくりだす世界観は、残念ながら、まだちょっと聞こえてこないかなぁ、という印象をうけました。
これからがとても楽しみなギタリストです。
また、Yamaha のギター大使として、日本の楽器製造技術のすばらしさを、さらに世界のすみずみまでひろめてくれるような気がして、とても喜ばしい気持ちでいっぱいです。
わたしは『Falcon Flight』と『Drop D』という曲が気に入っています。
シカゴで暮らしていた1980年代の後半によく聴いていたマイク・スターン(Mike Stern)や、同じく、そのころアメリカのテレビで放映されていた『Sunday Night』という番組のレギュラーギタリストだった故ハイラム・ブロック(Hiram Bullock)を思い出してしまいました。
ハイラム・ブロックのライブをシカゴ大学で見ることができたのは幸運だったとおもいます。
ところで、わたしの世代が使っていた『バカテク』ということばは、技術だけに特化して音楽性を無視した、という嫌味をふくんでいたわけではありません。
あまりの凄さにこの世のものとは思われない狂気じみたテクニックと音楽性を感じる、というようなニュアンスで使われていました。ダメという意味のbadをバァァァッドと引き伸ばすことで逆の意味に変えてしまう黒人の方たちの「OMG. He’s too baaaad!」(うわっ、あいつスゴすぎ)のようなものでしょうか。敬愛をこめて、この『バカテク』(超絶技巧)ということばをマッテオくんに贈りたいとおもいます。
【ファッション】ロゴワッペンを剥ぎ取ったらブランド力がさらに強化
1980年代中ごろのアメリカの大学キャンパスではGUESSのジーンズとトレトーン(Tretorn)のスニーカーが必需品だったのですけれど、Georges MarcianoのGUESSの場合、そのジーンズを身につけているだけで、かなり名誉のある(prestigiousな)ことでした。
でも、あまりにも有名になりつつあったものをはくのが恥ずかしくて、例の逆三角形の商標ワッペンをはぎとって歩いていたら、逆にその逆三角形の白い空白がイカしている(coolだ)ということで、周囲の女子大生たちがつぎからつぎへと同じことをしはじめて、いつのまにかバークレー校キャンパスでの小さな流行(fad)になったことが、わたしの小さな小さな自慢話になりました、という自慢話でした。
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