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支配層に都合のよい「分断統治」について | エネルギー危機がもたらす経済破綻と餓死

  • 執筆者の写真: 香月葉子
    香月葉子
  • 3 日前
  • 読了時間: 13分

更新日:10 時間前



食料供給を支配する者は人々を支配し、エネルギー資源を支配するものは国を支配し、金融を支配するものは世界を支配する。

ヘンリー・キッシンジャー(1923年5月27日 - 2023年11月29日)

(アメリカ国家安全保障問題担当大統領補佐官および国務長官)




 政治や世界情勢にかかわるモノを書くときに、ひとりの書き手としていちばん懸念していることは、わたしたち現代人が「効率性」(efficiency)というものを最優先させているという事実です。


 政治や世界情勢に関する読み物の場合、ほんの数行に目を走らせただけで、この書き手は「何々派」のひとでは? とか「何々主義」を信じているひとなのでは? といった疑問にとらわれる方々がおられるようです。


 ソーシャルメディアに目を通してみると、わたしたちはなんについてもすぐに答えを出したがる時代を生きていることがわかります。


 あの人は何々だとすぐに決めてかかる方々も多いようです。



 最小のコストで最大の成果をめざすという「効率性」は、見方を変えれば、ようするに「こらえ性」を失わせていく最大の要因のひとつだとおもいます。


 そうなると、ちょっとした先入観(色眼鏡)によって書かれたり語られたりした内容を解釈するようになり、その結果、いま起こっている出来事の「いきさつ」を判断するようにもなり、たとえその中に人生を変えるような貴重な情報がもりこまれていたとしても、そこに到達する前に興味をうしなってしまう可能性すら出てきます。


 そういう情況が残念でなりません。


 そして、いま、「状況」ではなく「情況」という漢字をつかっただけで、もしかしたらわたし香月葉子は「何々派では?」とか「何々主義者では?」と疑うような方々がおられるのではないかとおもって、じつは、わざと使ってためしてみました。


 正直なところ、この21世紀にいまだに「サヨク」だの「ウヨク」だのといったラベルを信じている方がおられるとはおもってもいなかったのですけれど、日本で書かれたものだけではなく米国や欧州で書かれたものやYouTubeやSMSを見まわすと、いまだにそういうことに目を血走らせている方々がおられることはたしかなようです。


 でも、そもそもなにが「サヨク」でなにが「ウヨク」で、どういうことが「革新」でどういうものが「保守」なのかと問われても、定義そのものがあいまいですし、語っている方々にしても、それぞれの定義に関してそれぞれ微妙にちがった考えをお持ちのようですから、あまり「効率性」を高める結果をもたらしてくれるお話ではないようです。


 永遠の平行線をたどるために永遠に議論しつづけているようなものかもしれません。


「宗教」「イデオロギー」は移り変わっってゆく時代の表面をなぞってきた壁画みたいなものだとおもいます。


 その壁画が描かれている建物は「資源」と「資産」という建材を用いて「権力」と「支配」を維持するための壮大な構想(グランドデザイン)によってつくられてきました。


 つまり、細部まで考えぬかれた法と制度によって。


 それを構築した者たちにとって、壁画の描かれている建物そのものへ目を向けさせないようにするためには、入館してくるひとびとが、壁画についてだけの意見を交換しながら論争しつづけてくれたほうが都合がよいのです。



 そういう意味では、まさに米国の歴史家ハリー・エルマー・バーンズ氏(1889年6月15日 - 1968年8月25日)の唱えた『永遠の平和のための永遠の戦争』(Perpetual War for Perpetual Peace)を地でいくような「非効率的」な論争をつづけてきたのではないかとおもっています。


 そういう争いにばかりお熱をあげるように、うまくだまされてきたのだとおもいます。


 ヒトは長くつきあった方や親しくつきあっている方にたいして「あの人はどういう人なんですか?」という意見をもとめられるとコトバにつまってしまうことがあります。


 ほんの2、3の形容詞ではとても判断できないことに気づかされるからです。


 相手の方を知れば知るほど、距離が近づけば近づくほど、その方がいろいろな側面をもっていることに気づかされるからです。


 相手の方の複雑さと深さと変化に辛抱強くつきあってきた方ならなおさらです。


 ただ、「あの人ならそういうことをしたかもしれない」とか「あの人らしい意見だとおもう」とか「あの人がそういうことを言うはずはないとおもう」などと、相手の方がじっさいに行なったことにたいする判断にはゆるぎのないものがあるようです。


 ひとことで言い表わすことはできないかもしれないけれども、その方の性質というか性格の「芯」の部分だけはなんとなく理解してつかんでいるような気がする、とでも言ったらいいのでしょうか。


 母親や父親が「まあ、あの子はそういう子だから」という場合には、「そういう子」という判断にふくまれている「先入観」や「深い理解」や「愛や苛立ち」のすべてがふくまれているはずですし、けっして客観テストの「正か誤か」というような単純な受け答えから生まれたものではないでしょう。


アユタヤ王朝時代の支配構造
アユタヤ王朝時代の支配構造

 至極「乱暴」なことを言わせてもらうと、ヒトの歴史には支配層と非支配層がいるだけで、あとは彼らの「分断統治」(divide and conquer)による非支配層の仕分けしかないような気がしています。


 ひとびとにさまざまな人種差別意識をうえつけ、性差別の意識をうえつけ、クラス意識(階級意識)やグループ意識やエリート意識を根づかせながら、それぞれ互いに反目させるようにしむけて、自分たち支配層へは批判の目を向けさせないようにしながら支配力を温存させるという。


 つまり支配層にとっては「サヨク」の方々も「ウヨク」の方々も、また「革新」の方々も「保守」の方々も、それぞれ相手を揶揄することで自分たち支配層に批判の矛先を向けなくしてくれるという意味では、民衆コントロールのための「効率性」を高めてくれるとても便利な集団ではないでしょうか。


 けれども、ときどきこのカラクリに気がついて「労働者には黒人も白人も黄色人もない、みんなが一致団結すべきである」というようなことを述べて、そのまま一致団結した大行進をやりとげたマーティン・ルーサー・キング・ジュニアのような方が出現する場合があります。


マーティン・ルーサー・キング・ジュニア
マーティン・ルーサー・キング・ジュニア

 また「どこどこの国は仮想敵国であると結論づける前に、まずはその国を動かしている方たちと向かい合って話し合いをすることがほんとうの外交ではないのか。そうすれば戦争を避けることができるはずだ」と述べてじっさいにそれを行おうとしたジョン・F・ケネデイのような政治家があらわれることもあります。


ジョン・F・ケネデイ
ジョン・F・ケネデイ

 支配層にとっては困った状況です。


 とくにそういう人物がひとびとの尊敬と多大な人気をひとりじめにしているときには、かなり不都合な状況が生まれます。


 とはいっても、早いうちにその芽をつみとってしまえば、支配層の方々にとっては安泰です。


 つづいてしなければならないことは「黒人」と「白人」と「黄色人」の方々をそれぞれ争わせることです。


 彼らがたがいに反目しあって争っているあいだは自分たち「支配層」がなにを行なっているのかということについて誰も注目しなくなるからです。


 おなじように、自分たちの経済・政治・軍事の支配をおびやかすような国があらわれたときには、その周辺の国々をあおってそれぞれが敵対するようにしむけながら、彼らが手をむすんで強大になり自分たちに歯向かうようになる状況をつくらせないために先手を打っておかなければいけません。


 彼らにとって「戦争」は美徳であり「対話」は悪徳なのです。


 それさえできれば、支配層の方々はわたしたち全員の視界から消え去ることができます。


 見えない存在でありながら支配する存在でもありつづけることができるのです。


 それはまさに、荘園制度の終わりを加速させた産業革命以降、初期資本主義社会へ移行する過程で生まれてきた「不在オーナー」(Absentee Owner)とおなじように、ココには存在しないけれどもココのすべてのものを所有していて、しかもどこか遠くのほうからわたしたちが生かされているこの制度をコントロールしながら、この制度から利益をむさぼりづづけることができるひとびとでもあるのでしょう。


荘園制度の時代
荘園制度の時代

 そのためにはわたしたち全員を借金漬けにすればいいのです。


 荘園時代の『農奴』とおなじように現在ではクレジットカードサブスクリプションの発明による「オシャレな」賦役と貢納によって、ギリシャの経済学者・政治家ヤニス・バルファキスさんが唱えてきたテクノ封建制(Digital Feudalism)への移行がすすんでもいるようですし。


 もちろん、ひとくちに支配層(Ruling Class)と言っても、風変わりな宗教や思想を信じて一般常識の世界から見るとおぞましいような儀式にお熱をあげる支配層もわたしたちヒトの歴史のなかには数多く出現しましたし、そういう支配層は、じっさい「陰謀説」に夢中な方々の食指をうごかすような秘密のベールにつつまれていた場合もあったでしょう。


 王朝や国家や帝国の興亡の波にもまれながら支配層もさまざま変化してきたことはまちがいありませんけれども、根本的に、彼らの目的は至極「シンプル」です。


 権力の維持であり、血族の維持であり、そのための利益の追求がすべてなのです。


荘園制度における支配構造
荘園制度における支配構造

 わたしたち「その他大勢」のことなど気にかけたことはありません。


 マイケル・ジャクソンが歌っているように、まさに「They don't care about us」なのです。


記事の見出しは『集団予防接種が始まる』
記事の見出しは『集団予防接種が始まる』

 自分たち以外のひとびと、つまり非支配層全員を完全にコントロールすることだけが彼らの夢であり野望だったはずです。


 支配を永続させるためにはあらゆる手練手管を弄して反逆の芽をつみとることでしょう。


 そこで思いついたのが、自分たちの存在を消し去ることだったのではないでしょうか。


 自分たちを批判の標的にさせないことが大切なのです。


 ですから、ほんのすこしでも自分たちが批判の対象になりそうになったときには「いやいや、悪いのはわたしたちではありません。あなたたちの敵は彼らです」と別の対象へ目を向けさせてきたのです。


 隣人と争わせるのがいちばん「効率性」の高い戦略なのはまちがいありません。


 わたしたちは「いったいだれのせいでこうなったのだろう」と悩むとき、どこかにその原因をさがそうとやっきとなります。


 彼らのせいでこうなったのだ。ああいう考え方のひとたちがいるからこうなっているのだ。あの国のせいでこうなったのだ。

 

 もしくは抽象的な「この制度のせいでこうなったのだ」とか自虐的な「すべては自己責任なのだ」という「あきらめ」におちつかせるのも効率的でしょう。


 そうすれば責任を負わなければいけない支配階級に属している特定の個人や集団に批判の矢が飛んでくることはなくなります。


 分断統治。


 古代から支配層がもっとも好んで使ってきた民衆コントロールがこの「Divide and Conquer」であり、ひとびとをさまざまなクラスや階層やグループに分け、互いに反目・対立させながら自分たちの地位の安定を図ってきました。


 いま、わたしたちの地球は戦争だらけです。


 さらに互いを争わせようと、隣国を敵視させるようなプロパガンダがメディアをおおいつくしているようにも見受けられます。


 さまざまな場所で「あの国は危険である」とか「あの国はわたしたちを押しつぶそうと狙っている」というように他国の脅威をおおげさにあおりたてて自分たちの政策を有利にさせようとする『恐怖煽動戦略』(fearmongering:フィアモンガリング)が発生しているようです。


 このような時代にもっとも大切なのは、抽象的な「平和主義」を訴えることではなくて、わたしたちを脅すことで誰が利益を得るのか、という具体的な事実をさらけだすことです。


 現実のお金の流れを追いかけることです。


 Follow the Money。


 不可視の支配層の姿を太陽の光にさらすためには、具体的な数字が必要であり、具体的な組織図と人間関係が必要であり、これが必要なすべてであることに変わりはありません。


 そしてもちろん「反戦」運動などを筆頭に、さまざまなデモンストレーションは市民の権利ですし、もっとも具体的なカタチでわたしたちの意見を可視化できるということでは、これも昔から変わらない大切な武器のひとつです。


 たしか米国のニクソン大統領の回想録でしたか、国務長官ヘンリー・キッシンジャーとふたりでホワイトハウスの執務室(オーバル・オフィス)の窓から外をながめたとき、反戦運動に参加したひとびとによってホワイトハウスが取り囲まれていることを知り、ヘンリー・キッシンジャーとふたりで「言い知れない恐怖を感じた」と書かれていたように記憶しています。


 あれほどの地位と権力を手にしていたふたりがふるえたのです。


 わたしたち市民にできることは、そういう「恐怖」を、ほんの数秒でも数時間でも数日でも支配層に感じさせることではないでしょうか。


 それこそが「人民の、人民による、人民のための政治」を行なわせるためにもっとも大切な「愛国心」だと信じています。


 じっさいに街路に出て、プラカードをかかげて、さまざまな問題提議をなさっている方たちへの尊敬をうしなったことはありません。


「サヨク」でも「ウヨク」でも「革新」でも「保守」の方々でもかまいません。


 権力はほうっておくとどんどん強大になる、という歴史的ないましめから、わたしたち一般市民が自分たちの要求と意志を目に見えるカタチにできる権利を得ることができるようになったのは、西欧の民主主義がそこまで発達したおかげであることは言うまでもありません。


 その西欧が到達した「民主主義」の約束事が米国と西欧諸国そのものによって投げすてられようとしているように感じられてなりません。


 その「民主主義」とはなにもせずに得られるものではなく、たえまない討論と抗議によってだけ健康を保てるというのが歴史的教訓です。


 そういう方たちの行動力に匹敵できるコトバの力、言霊(ことだま)を引きよせることができるように、わたしはわたしなりに力をつくしたいとおもいます。


 絵を描くことのできる方、音楽を作ることのできる方、映像作品を作ることのできる方、大自然をこわすことなく農作物を作ることのできる方、学問に身を投じてきた方、無機質に見える数字を理解できる方、裏情報を得ることのできる方、YouTubeやその他のSMSなどで代替メディアを発信することのできる方…などが、みなさん、それぞれの場所でそれぞれの方法で「争い」へと向かっていくこの世界の流れをせきとめる意志を表現なさったら、かならず支配層の「たくらみ」をくじくことができると信じています。


 なぜなら、世界の経済が破綻し、肥料不足から多くの国々で飢餓が起こるかもしれない状況下で、お互いに小競り合いをしているような時間は残されていないのかもしれませんから…。


 1990年代初頭に東欧が崩壊した現場を取材していた元ニューヨークタイムズ記者のクリス・ヘッジズさんが講演会でつぎのように述べていました。


「なにかがうまくいっているように見えているところからいきなり全てが崩壊するのに数日はいらない。わずか数時間ですべてが変わってしまった。ほんの昨夜までディスコに行ったりブティックで買い物をしたりしていたはずなのに、翌朝にはスーパーや商店の棚から食べ物が消え去り、窓がこわされ、畑からは作物が盗まれ、街は暴力と略奪にあふれかえった。まるで夢を見ているようだった。その場にいなかった人にはぜったいにわからない感覚だ。ものごとが崩壊するときの速度はとんでもないものだ。ローマは1日にしてならず、されど滅亡は1日にしてなる、というコトバがあれほどの現実感でわたしの心をしめつけたことはそれまでなかった」


 広々した体育館のなかにドミノをならべて素晴らしい絵模様を描くのには大変な労力と時間がかかります。けれども、そのひとつを倒したとたん、となりあったドミノは次から次へと倒れていき、すべてが倒れてしまうまでにかかる時間はほんの数分間です。

 

 この忌まわしい「戦争だらけ」の世界情勢がそのような悲劇をもたらさないことを祈りつつキーボードから指を離したいとおもいます。




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